【お題46】MJQ2008/01/11 13:57:38

「MJQ」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「MJQ」ordered by カウチ犬-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




====================
◇ 歩み寄る紳士たち

 どういう意味を持つのかわからないが繰り返し見る夢があって、それを見た朝はいつもなかなか頭が日常に戻らない。とても、しん、とした気分になっていつまでもその夢の感触を味わっていたくなる。
 夢はいつもこういう風に終わる。わたしはどこかヨーロッパ風の街にいて、その街の広場にたたずんでいる。建物の影と木立がかなり遠くに見えるから、ここは公園なのかも知れない。人気もなく空は曇っていて少し肌寒い。少し離れたところに噴水もあるようだ。そこに人が現れ近づいてくる。シルクハットを頭にのせた紳士たちがあちこちから姿を見せだんだん近づいてくる。ああ。やっと出会えた。そう思った途端に夢は終わる。あの紳士たちが誰なのか、やっと出会えたというのはどういうことなのか、何もわからない。わたしはただ目を開き、天井を見つめ、あの広場のことを、彼らのことを、懐かしい感情のことをかみしめる。
 それでもわたしはちゃんと起きて、朝食を食べ、ひげをそり、身支度をして会社に向かう。そこは東京で、人と車と無数の音でごった返し、毎日会うのは会社の同僚と上司と取引先の人々だ。そうやって一日を終えて家に帰ると、朝、起き抜けにどことも知れぬ異国の地で、謎めいた紳士たちとの邂逅に胸を熱くしていたのは誰か全然別な人のような気がする。とても自分のこととは思えない。

 ある晩家に戻ってメールチェックをしていると、連絡を取り合うこともなくなっていた学生時代の仲間からメールが届いていた。当時の仲間のひとりが死んだという知らせだった。わたしはメールを返し、相手がさらに連絡をくれて、何人かで集まって飲むことになった。店は学生時代のたまり場の一つにした。
 予定の時間よりも早く店に着く。そこは死んだ彼女と2人でよく訪れた店だったから、できれば誰にも邪魔されず1人でその場所を見たかった。けれどもすでに同じようなことを考えたのか、連絡をくれた相手が着いていて、すぐに思い出話になった。古びていても丹念に磨き上げられたカウンター、身を寄せ合うようにしておかれたテーブル席、壁に掛けられたレコードジャケット、数え上げるようにして、店の様子が変わらないことに驚く。対するに街の方はすっかり変わってしまったこと、持病のこと、仕事のことなどとりとめもなく情報交換をしたあと、だしぬけに彼が言う。
「おまえたち、よく2人で来てたよな」
 わたしは心底びっくりする。その様子を見て彼は笑い、説明する。彼はまさしくその店のカウンターの中でアルバイトをしていたのだ。そしてわたしたちのデートの様子をすっかり見て知っていたのだ。
「いつもあのコーナーに座っていた。いいカップルだと思ったのにな」
 そうだ。わたしだってそう思っていた。この店に通い詰めていた頃、わたしも彼女もそう思っていた。ある時突然何もかもが終わってしまったあの日まで、何の疑問もなく幸せな時間を過ごしていた。その日のことはあまり思い出したくない。全然別な、当時できたばかりのピカピカの店で待ち合わせを指定した彼女は一人の男を連れてきて、「この人と暮らすことになったから」と宣言した。そんなバカげたシチュエーションでそんなバカげた別れ話を切り出されるなんて、悪い冗談としか思えなかったが、それが彼女と会話をした最後だった。以来、わたしは二度とこの店に来なくなった。

 わたしが黙り込んだせいで沈黙が訪れ、相手は立ち上がる。もうじきみんな集まってくるからマスターに言って用意をお願いするよ。わたしはうなずき、手元のビールを飲む。壁に掛けられた何枚かのレコードジャケットの文字を追う。
「LPサイズのジャケットデザインはいいよな」戻ってきた彼がわたしの目線を追って言う。それから叫ぶ。「そうだ。忘れていた」
 持ってきていた大きな紙袋の中をごそごそとかき回す。
「何だと思う?」
「さあ」
「2カ月前、彼女がこの店に来たらしい。これを返しに来たんだ。ずっと前にマスターからゆずりうけていたものを、急に手放さなければならなくなったとか言ってたずねて来たんだってさ」
 彼がLPのアルバムを取り出す。そのジャケットを見てわたしは息を飲む。彼が言う。
「ほら、あのコーナー。お前たちが座っていたあのコーナーに飾られていたアルバムだよ」

 それはMJQの『Concorde』で、夢の中の景色そのままにモノトーンの広場が映っている。遠くに噴水があり、建物の影が見え、木立がある。そこにはシルクハットの紳士たちではなく、たくさんの街灯がいくつもいくつもたたずんでいる。そして思い出す。それを「歩み寄る紳士たち」と呼んだのは彼女だった。

(「MJQ」ordered by カウチ犬-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題47】僕はなぜ急ぐのかだれか知らないか?2008/01/12 23:05:56

「僕はなぜ急ぐのかだれか知らないか?」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(僕はなぜ急ぐのかだれか知らないか?」ordered by helloboy-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




====================
◇ 息せき切って

 そこにいるのは確かに僕だ。見間違えようもない。本人が言ってるんだから間違いない。なのにこの違和感は何だ? 髪振り乱し、走り続けたせいか息が上がり、乾いた汗で土埃が額に張り付いている。上着はしわくちゃになり、ジーンズのすそは何かに切り刻まれたように見える。顔色も青い。じっくり見ているうちにだんだんそれは僕ではないような気もしてくる。

 不意に追っ手が現れる。ただしそれは人ではない。獣でもない。よくわからない何かだ。僕の背後からざわざわうねうねと近づいてくる。何か形のあるものと言うよりむしろ気配のようなものだ。ただしその気配は目で見て取ることができる。一見それは巨大な泡の群れを思わせる。無数の大きな泡をぶくぶく立てながら流れてくる、ねっとりした液体のように見える。でも次の瞬間それは気体に、あるいは煙の塊のようでもある。

 たちまち追いつかれ、僕はその逆巻く雲塊にからめ取られ手足の動きを封じられる。走っているところをそのまま氷付けにされたようないびつな姿勢でゆっくり身体が傾き、むくむく動く泡の中に全身が飲み込まれていく。あんなものの中でどうやって息ができるのだ? 衣類が張り付きますます身動きが取れなくなる。あえいでいるのか叫ぼうとするのか大きく開けた口。訴えるような目。顔に張り付く長い髪。

 不意に疑問が湧いてくる。それは本当に僕だろうか? よく見ると違うのではないか? あんな服を見たことがあるか? 髪も長過ぎるのではないか? 全体に華奢過ぎはしないか? 年齢だってかけ離れて見えてくる。だいたいあれは男ですらないのではないか? 弱い女のようにも見える。力任せに押し倒され襲われている女の姿に見えはしないか。何かよくわからないぬめぬめとしたものに服をむしり取られ、全身をなめ回され、陰部も口も鼻も耳も全身の毛穴もすべての開口部から押し入られようとしている女なのではないか?

 でもそれは僕だ。ぐしゃぐしゃの上着を脱ぎ捨て、身をよじるように雲の中から抜け出すのは僕に間違いない。傍らの地面にぼたりと倒れ、はいずりながら逃げ出すのは確かに僕だ。恐怖に顔を引きつらせ涙さえも流し、それでもぼくは立ち上がり走り出す。逃げているのか? この恐ろしい何者かから逃げているのか? それともどこかに急いでいるのか? メロスのように約束を守ろうとしているのか。でもその表情からは決意らしきものはうかがえない。

 よろよろと、ふらふらと、でも確かに速度を上げて僕は走り出す。体力の限界をとうに超え、汗さえ乾ききり、もはや涙を流すこともできず、血を流し、痣だらけで、恐怖にのまれ、屈辱にまみれ、声もなく、失いに失いに失い続け、それでも走り続ける。どこへ行こうというのか。
 僕はなぜ急ぐのかだれか知らないか?
 僕はなぜ急ぐのかだれか知らないか?

(「僕はなぜ急ぐのかだれか知らないか?」ordered by helloboy-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題48】熱帯の雪2008/01/13 00:06:37

「熱帯の雪」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「熱帯の雪」ordered by きのの曹長-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




====================
◇ ピニャ・カラーダ

 ホテルの部屋にいてもすることがないので1階に降りてバーを探した。すると外の方に案内されるのでどうなるのかと思ったらプールサイドにバースペースがあった。あちこちに丸テーブルが配され、それぞれ椰子の葉で葺いたパラソル状の屋根がついている。夜空の下でトロピカルドリンクを飲むという趣向だ。なるほどここはリゾート地でもあるのだ。

 やはり椰子の葉を葺いた屋根のついたやや大きめのコーナーがバーカウンターで、客はそこでめいめいにドリンクを注文して、金を払い、好きな席で飲めということらしいが、パラソル付きの席はもう満員だ。声からするとドイツ人とイタリア人ばかりがいるようだ。いずれにしても白人ばかり。現地の人間は一人もいないように見える。東京でこういう洒落たつくりのホテルのバーをつくると、日本人が少なくとも客の7割はいるだろうに。

 仕方がないのでバーカウンターのスツールに掛ける。プールも見えないし、星空も見えない。夜なのにセパレーツの水着を着てデッキチェアーに横たわっている女たちも見えない。見えるのはカウンターの中で派手な身ぶり手振りでカクテルをつくるパフォーマンスをしているバーテンダーだけだ。おまけにドリンクメニューの95%は甘ったるそうなトロピカルカクテルだ。何をしに来たのかわからない。これじゃあ部屋で飲んでいた方がマシだ。他に選びようもないのでビールを頼む。

「お客さん、日本の方ですか」妙に目の大きいやさ男が日本語で声を掛けてくる。「ここいいですか?」
 おれが返事するより先に男はそこに腰掛け「ピニャ・カラーダ」と注文する。ピニャ・カラーダだと? それはピナ・コラーダのことか? ピナ・コラーダだけでも許せないのに、よりによってピニャ・カラーダとは何だ。お前はそれでも日本人か。

 腹を立てていると男は急に振り向き「わたし、何人に見えますか?」と問題を出した。日本人ではないのか。黙ってにらみつけていると「この国の人間です」と正解を教えてくれた。現地の人間も店の中で飲んでいたのか。「でもここで、この国の人間はわたしだけ」まるでおれの心の中の声と会話をしているように男が言う。じゃあお前は何なんだよと思っていると「わたしは特別。ホテルに雇われて昼間日本人のガイドしているから入れるね」とまた教えてくれた。おまえは“さとるの妖怪”か。「お客さんショーは見ないの?」

 そう男が言った途端、プールの向こうの方がザワザワして、急にどやどやと客がなだれ込んできた。店のスタッフが慌てて対応に走るが、プールサイドにどんどん人があふれてきている。いくらあふれてきたってこの店に席はないのに。すると店の者と話していた一人の男が急に怒り始める。それを聞いてそいつらが日本人だということがわかる。

「お客さん、わたし、行ってきます。わたしのお客さんもいるみたいだから」男は律儀に挨拶をして席を立った。相変わらず大声で文句を言う日本人と懸命になだめる店のマネージャーか誰かの声が聞こえる。おれには関係ない。もう一杯ビールを頼む。やがて目の大きなやさ男は戻ってきて報告する。「ショーがね、中止になったみたい」「ショーって?」「あれお客さん知らないの。日本のヴェリフェイマスなマジシャンのマジックショーよ」「誰」「ハレルヤ・サイトーよ」「知らない」

 男は少し驚いたような表情でわたしを見、「ヴェリフェイマスよ」と繰り返した。おれはあいまいにうなずき、騒ぎの方に目をやる。数人の日本人がすごい剣幕でマネージャーに何かを要求している。ショーが中止になったうっぷんを晴らすために飲みに来たら満員だったのだ。当たり散らしたくなる気持ちもわかる。熱心にそちらを見ているので、関心があると思ったのか男は説明し始める。

「ハレルヤ・サイトーはとても偉大なマジシャンね。ヘリコプター、飛んでるところ消したり、ジャンボジェットを鳥に変えたり。すごいよう」見たことがあるのか。「わたし解説するだけ。見たことない。でも見たお客さん、みんなびっくりする。みんな楽しみにしている。今日やるはずだった『熱帯の雪』もとてもすごい」

「『熱帯の雪』だって?」おれは思わず聞き返す。
 男はわたしから反応を引き出せたので俄然元気が出てきたようだ。
「はいそうです。雪降らせます。この熱帯に。みんな空見上げる。タネも仕掛けもない。でも雪降る」
 男の興奮をよそにおれは納得する。だからか。だから今回の作戦には「熱帯の雪」などという気取った名称がついているのだ。ばかばかしい。

 その時ホテルの建物の方から一人の男が駆けてきて大声で叫んだ。
「ハレルヤ・サイトーが睡眠薬を飲んだらしい!」
 プールの向こうがざわめく。まずい。そういう騒ぎは起こって欲しくない。チャンスが失われてしまう。また日本に戻れなくなってしまう。ようやく日本政府が司法取引を用意してくれたのに。またくそいまいましいあの砂漠にとじ込められて何年も過ごすことになるのか!

「大変ね。お客さん。明日の取引はナシだね」やさ男は大きな目をぐりぐりさせながら言う。「本当に熱帯の雪、なっちゃったね。すぐ溶けて無くなる」

 連絡役だったのか、この男は。「どうするお客さん。おごるよ」他にどうできる? これで当分日本の地を踏むチャンスはなさそうだ。飲むしかあるまい。「ハレルヤ・サイトーの話をもう少し聞かせてくれ」「わかった。飲み物はどうする」考えるまでもない。「ピニャ・カラーダを」

(「熱帯の雪」ordered by きのの曹長-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題49】偽計と偽装2008/01/14 14:30:42

「偽計と偽装」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「偽計と偽装」ordered by はかせ-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




====================
◇ お伽草子

 貧しくも心優しき夫婦利して
 まぶしく明滅するその光ごと
 語り継ぐべき大いなる物語を書く巣
 聞けいにしえの教えにならい刀研ぎそうだ

 けれど時代はくだりバット50振りして
 父は誓う。受け渡すのだ、しっかり子と
 妻と友に。バットにふさわしき棹か楠 
 技芸におぼれる男、その名も都議左右田

 昼はEC、ポータル、ブログ、JAVAアプリして
 夜は3つ星レストランでついエスカリゴと
 言い間違え誤魔化すため、まくおがくず
 奇計案ずる手はいまにも米とぎそうだ

 現れたるは能楽なんか知らんふりシテ
 ワキに並べる、ベル、まさかり、琴、
 まじないの力で目に見えぬ錬金術師を捕獲す
 義兄よ、これは架空の地に生い茂るお伽草だ

 関係ない話をしてるフリして
 これは他人をあざむくはかりごと
 言葉遊びにまぎれて身を隠す
 これぞホントの偽計と偽装だ

(「偽計と偽装」ordered by はかせ-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題50】空からの手紙2008/01/15 00:18:33

「空からの手紙」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「空からの手紙」ordered by helloboy-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




====================
◇ 空からの手紙

 井上平太について調べれば調べるほど奇妙なことが次から次に出てくる。まず彼は日本においてはまったくうだつの上がらない冴えない中年男に過ぎなかった。それがネセメアに訪れて以降、人が変わったように精力的になり、性格もとても同一人物とは思えないくらい明るく積極的になり、事実また人望も集めるようになっていた。日本において井上がリーダーシップを発揮するなんてほとんど考えられもしなかったことだ。

 ところがここでは違ったようだ。いまこうして訪ね歩いて、当時を知る人を探していても、井上平太の名前を出すとそれだけで村人たちの対応が変わってくる。話を聞く限りほぼ全員が井上のことを知っており、それも極めて重要な人物だと認識されているらしいのだ。ある村では、我々が井上の知り合いだとわかっただけでいったいどこからこんなに出てきたのかというほどの群衆がわらわらと湧いてきて完全に取り囲まれた。身の危険を感じるほどだったが、後からわかったことは、彼らには井上の知人を傷つける気なんてあるわけがなかった。なにしろ井上はネセメアにおいて、ほぼ神に等しいと言っていい崇拝を受けていたのだから。

 その証拠を示すものがあるというので、ある村で我々はその証拠を見せてもらうことにした。村の呪い師の家に連れて行かれ、そこで何かの木の根を搾った飲み物を飲まされ、さんざん霊力を自慢された後で我々はその証拠を見せてもらった。そこには数枚の英語で書かれたビラがあった。ビラにはこのエリアに潜伏するテロリストへ降伏を呼びかけるメッセージが書かれていた。我々が顔を見合わせていると、呪い師は突如、長々とした話を物語り始めた。それはネセメアでは採集したことのないような不思議で陰影に飛んだ物語だった。

 語り終えると呪い師は言った。その手紙に書かれている物語だ、と。イノウエはそれを読むことができ、我々に伝えることができたのだと。空からの手紙には大切なことが書かれているのだと。

(「空からの手紙」ordered by helloboy-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題51】パスワード2008/01/17 13:51:20

「パスワード」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「パスワード」ordered by はかせ-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




====================
◇ 新カクテルのご案内

____さま

平素は一方ならぬご厚情賜り誠にありがとうございます。さてこのたび、本日零時を持ちまして私ども「MARS STONE」では開店50周年を迎えました。これを記念いたしまして、完成したばかりの新しいカクテル・レシピをメニューに追加いたしました。51年目を、そして次の50年間へのスタートを飾るにふさわしい極めて同時代的なカクテルだと自負しております。お近くにお寄りの際はぜひ当店へお運びくださいませ。……

     *     *     *

深夜零時に行きつけの店からメールが届いた。妙にかしこまった文体が逆にふざけた印象を生んでいる。そんな堅苦しいビジネス文書を書くようなキャラクターじゃないくせに、わざわざこういうことをする。だいたい50周年だなんてホラに決まっている。全くあのマスターは食えない親父だ。きっと5周年がいいところだろう。でも新しいカクテルというのは気になる。そう思ってノートブックを閉じ、店に足を運ぶことにした。なあに。すぐ近所なのだ。

もともとカクテルなんか大して関心もなかったが、この店でいくつかのカクテルを飲んでからすっかりはまってしまった。初めて飲んだのは「レセプション」で、この時の体験が全てを決定づけたと言っていい。この店に完璧な形で迎え入れられたと感じたのだ。店の名を冠した「火星の石」はまさしくホラ話で盛り上がりたいときにうってつけだ。「アラーム・クロック」を飲んだ時は個人的なツボをつかれて胸を熱くしてしまった。

階段を降りて店にはいると、マスターはメールのことなどまるで知らないような顔つきで「いらっしゃいませ」という。こちらもわざとメールのことには触れずに灰皿を置いてくれるバーテンダーに「何か新しいカクテル、ある?」と聞く。バーテンダーはバーテンダーで「ございます。お試しになりますか?」なんて白々しく言う。飲ませたくて仕方ないくせに。「お願いします」というと「かしこまりました」と用意を始める。ウォッカベースで、ジンジャーエールと、何か漢方っぽい木の実だけ使ったひどくシンプルなものだ。拍子抜けするほど簡単につくってカクテルグラスに注いでくれる。

本当に新しいカクテルなんて作ったんだろうか。こちらの疑わしげな視線をものともせずに、バーテンダーは「どうぞ」とグラスを差しだし、すぐさま次の作業に移る。能書きも何もなしだ。そこで口に含む。隣の席では父が難しい顔をして文庫本を読んでいる。何もせっかく一緒に店に来てまで文庫本を取り出さなくても、と思うが、ふとそのタイトルを見て、思わず声に出す。「あ、トールキン!」すると父は目を上げこちらを見て、口元に笑みを浮かべる。ここ何年も見たことがないような笑みだ。

そこで像は崩れ再び店のカウンターに座っている。
「いかがでしたか?」
親父が座っていた場所にマスターが座り、尋ねてきた。
「親父が出てきた」
「お父様が……しばらくお会いになっていないんですね」
「ああ。連絡も取っていない。何を話したらいいかわからないし」
「そういう方とお会いになることが多いようです」
「連絡取ってみるよ。何を話したらいいかわかったから」
「へえ。それは?」
「『指輪物語』の話だよ。トールキンの。子どものころ、親子ではまってたんだ」
「ああ。それはいい。みなさん、そうおっしゃいますね」
「そうって?」
「『何を話したらいいかわかった』って」
「何て名前?」
「はい?」
「カクテル」
「『パスワード』です。もう一杯お飲みになりますか?」
「いや。親父にメールでも書くよ」
「こんな時間に?」
「あんたが、よく言うよ」

(「パスワード」ordered by はかせ-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題52】鏡と扉2008/01/17 13:54:27

「鏡と扉」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「鏡と扉」ordered by miho-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




====================
◇ 遠い記憶

 その建物は小学校へと続く急な坂の途中にあって、我々はそれをお化け屋敷と呼んでいた。ほとんど山登りといってもいいような急坂をしばらく登ると屋敷につながる私道の入り口があったが、そこからは鬱蒼と繁る木立に阻まれて、建物の姿は全く見えなかった。しかし坂の下、麓のあたりから見上げると山の中腹に、建物は街の他のいかなる建物とも違う奇妙なフォルムで異彩を放っていた。

 洋風建築、と大人は言っていたがそんな言葉でくくられるような代物ではなかった。それは巨大な積み木細工のようでもあり、雨風に浸食されたはげ山の岩場のようにも見えた。いずれにせよそれは、人が当たり前に住まうための建物にはとても見えなかった。特殊な意図を持った人が(人々が)特殊な目的を遂行するために用意した建物のようだった。

 ある夏の放課後、数人の友人と誘い合ってお化け屋敷を探検することにした。といっても、お化け屋敷が無人なのかどうかも知らなかった。もし誰か普通に人が住んでいるのならば、人の家に忍び込むことになるわけだから、もちろんそれは泥棒と同じである。頭の片隅でそのことに少しは気づいていたはずなのだが、「お化け屋敷を探検する」というアイデアに興奮して、わたしたちは用心しながら蝉時雨の降る中、先へ先へと進んだ。「誰が一番奥まで入れるか競争だ」と1人が言った。あまりにも困難な挑戦に、みな言葉もなかったが、異論もなかった。

 弓なりになった道が終わる頃、建物は姿を現した。その途端、1人が細い泣きそうな声で「やめよう」と言った。わたしも一瞬心が揺らいだが、ここでやめるわけにはいかないとも思っていた。そこで彼に向かって「ここで待ってな。すぐ戻るから」と威勢よく言った。でも同時に、思っていたより整然とした建物の様子を見て、誰かがきちんと手入れしているらしいことを感じ取った。わたしは三段のステップを上がり、ポーチに立ち、扉を前にして「建物に入るのはまずいんじゃない?」と言ってみた。でも競争を提案した少年ともう一人は口を引き結び、ノブに手を掛け扉を開いた。

 誰かが細い叫び声を上げた。扉のきしむ音がそんな風に聞こえた。わたしはポーチに立ったまま開いた扉から建物の中をのぞきこんだ。そこはホールのようになっていて、玄関はなくそのまま板敷きの床が広がっている。二人は建物に入り、はいってすぐ右手に上がる階段をあがっていく。木の階段がぎしぎしという音がしばらく続く。わたしの後ろの方には「やめよう」と言った子が、蝉の合唱の中たたずんでいる。だんだん目が慣れてくると暗い建物の中には正面に大きな立ち鏡があり、開けはなった戸口に立つわたしのシルエットを映し出している。

 次の瞬間、階段の上の方から叫び声がして、二人が駆け下りてきた。「逃げろ」一人が言った。わたしはあわてて逃げだそうとして鏡を見てぞっとした。わたし以外の誰かが鏡の中からわたしを見ていたからだ。大人のように見えた。その人影がゆらりと動く。わたしは身動きできなかった。飛び出してきた二人に突き飛ばされ、すくみ上がっていたからだが動きだし、わたしたち4人はその場を駆け去った。もう一度振り返った時、そこにはただ開きっぱなしの扉が見えるだけで、中の様子はもうわからなかった。

     *     *     *

 大きくなってその建物は世界的に有名な建築家が、ある金持ちの依頼で建てた個人宅だったことがわかった。調べてみるといまは一般公開されていて、予約すればそこで会食することもできるらしい。お化け屋敷で会食とは! 小学校の建物が取り壊されると知って同窓会を開いたとき、わたしはあの時の仲間を誘って、その建物に集まることにした。

 外国人の視点でつくられた和洋折衷の奇妙な建物は、時代による落ち着きと、時代を経てもなお挑戦的なたたずまいを持つ、やはり風変わりな建築だった。我々は会食しながらあの時のことを話し合った。四半世紀を経て記憶はあいまいになり、それぞれの証言が食い違い始めた。とりわけ鏡と扉の位置についての認識がみなばらばらだったのだ。

 中に入った1人は鏡なんて見なかったと言い、1人はもっと別な場所にあったと言うのだ。そこで4人は連れ立って階段を降り、玄関ホールへと向かった。そこには鏡はなかった。呆然とするわたしを残して、あとの3人は1階の他の部屋を探検すると言って廊下の奥に消えた。わたしは戸口に近づき、扉を開け放ち、あの時と同じように振り返った。

 正面に、開け放った扉とそこにたたずむ人影が映った。やはり鏡はあったじゃないか。そう思った瞬間、向かって左手の階段の上で叫び声がして、子どもが2人駆け下りてきた。左手の階段だって? 違う。階段は右手にあったはずだ。階段を駆け下りた少年たちは正面に見える戸口に向かって走り出す。鏡の奥に向かって? そしてわたしは気がつく。鏡の中、戸口のあたりで立ちすくんでいるのはわたしの鏡像などではない。あれも子どもだ。2人の少年に突き飛ばされ、その子どもも走り出し、さらにその先にいた少年と合流し、4人ははるか先の蝉時雨の中へと、遠い夏の日へと走り去っていく。

(「鏡と扉」ordered by miho-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題53】ロスタイム2008/01/26 09:31:49

「ロスタイム」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「ロスタイム」ordered by helloboy-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




====================
◇ ロスタイム

 店内の大画面を見るともなく見ていると“みしぇる”が「わたしサッカー嫌い」とつぶやいた。ワールドカップが近いせいか、以前ならサーフィンの映像とかを流していたような店でも、みんな「W杯名勝負集」みたいな映像を流すようになっている。その方が話が弾んだりするんだろう。よくわからないけど。
「サッカーが嫌い? うそだあ。4年前はユニフォーム着てスクランブル交差点で知らない人と抱き合ってたじゃない」
 ツッコミを入れても“みしぇる”は笑いもせず、「だって嫌いなんだもん」と手元にぽとんと声を落とす。また始まった。十中八九これは愚痴の始まりを告げる合図だ。それも恋愛ネタの。それもさほど深刻でない。つまり聞いている側からすると最も盛り上がらない話だ。聞かされたくないのでわざと相づちを打たない。でもそんなことにめげる“みしぇる”ではない。

「“どろしー”のところはどうなの」
「どうなのって、何が?」
「うまく行ってるの? ほら“きーす”とさ。イケメンギタリスト君とさ」
 いつから日常までハンドルで呼び合うようになったんだろう? 名前だけ聞いていたらどこの国の人たちかと思うがばりばりドメスティックな日本人フェースばかりだ。だからわざと本名で呼んでやる。
「『みづえはどうなの?』って聞いてほしいんだろうけど聞かないよ、あたしは」
「そうかうまくいってるんだー。うちはダメだなあ。だいたい『気分で言えば3トップ』って何?」
 効き目ナシだ。もう始まってるし。しかも何を言っているのかさっぱりわからないし。
「『今晩は気分で言えば3トップなんだ』とか言われてあたしはどうすればいいわけ」
 それを聞かれてわたしはどうすればいいのか聞かせて欲しい。
「47歳なわけよ」
「はあ」
「2つ上なわけ」
「そうだよね」
「それをさ、『この辺の1、2歳はロスタイムみたいなもんだからぼくはまだ45歳さ』とかいうわけ」
「ははあ」
「そういうのって頭に来ない?」
「頭に……意味わかんないし」
「いちいちサッカーで喩えんじゃないわよ!って思うわけ」
 ああ。それでサッカーが嫌いなんだ。
「まあ、そう、なんだけど」
「気が利いてることを言っているつもりなのよ、あいつ」
「気が利いてなくもないんじゃない?」
「頭に来るのよ、そういうのが!」
「じゃあ何で付き合ってるのよ」いい加減いらいらしてきてわたしは遮る。「そんなに頭に来るなら別れたらいいじゃない」

「そいつはおかしいな」たったいままで眠っていたはずの“いのの”がむっくり起きあがり言い放つ。「おれたちがみんな45で死ぬことになっているならまだ意味がある。45より先はない世界ならロスタイムを足す意味がある。でもおれたちはフツーに46にもなるし50にもなる。なあにがロスタイムだ」
「屁理屈はいいから」とわたし。「“いのの”は寝てな」
「でしょでしょう?」と“みしぇる”。「なあにがロスタイムだ、よねえ」
 食いついてしまった。ちらりとわたしはケータイの時計を見る。確か2時間で追い出されるはずなのに、時間が過ぎてもまだ店員から声がかからない。きっとお客が少ないんだろう。
「そういうにわかサッカーファンに限って!」と“いのの”が吼える。「イエローカードとかレッドカードとかやたら口走るんだ」
「そうそうそうなの」と“みしぇる”ははしゃぐ。「ねえどうにかしてよ、あいつ」
 どうにかしてほしいのはこっちだよ。早くロスタイム終了しないかな。

(「ロスタイム」ordered by helloboy-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題54】兄弟2008/01/26 09:36:14

「兄弟」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「兄弟」ordered by Dr.T-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




====================
◇ Hey Brother!!

 よう兄弟。逃げるこたあないだろう。まあちょっと話くらいいいじゃないか。えっ、兄弟? あんたどこから来たか覚えてるか? 「わからない」って? 何が。「なんでここにいるのかがわからない」って? そうか。そうかそうか。そこから説明してやらなきゃいかんわけだな。いいか兄弟、驚くなよ。あんたはね、車にはねられたんだ。悪いのは100%相手の方だ。あんたは悪くない。青信号になったから横断歩道を渡り始めた。一点の非もない。100%正しい。でも100%悪い奴は車の中でのうのうと生き延びて、100%正しいあんたはこうして、まあ、気の毒なことになっちゃったわけだ。

 待て待て待て。おれの前から逃げたって生き返れる訳じゃない。それに何て言うか、逃げることはできないんだよ、ここではな。なあ兄弟、悪いことは言わないから、その辺の諦めは早くつけた方がいいぜ。そこんところでぐずぐずすると、結構厄介なんだ。えっ? おれが厄介なだけだろうって? 違う違う。おれなんかどうでもいいんだ。おれ的には時間は無限にあるし、あんたがぐずぐずしようとてきぱきしようと何にも変わらない。問題はあんたなんだよ。ぐずぐずしてるとね、流れが滞っちまうんだな。そうすると次に進んだときに弱まっちまうんだ。

 え? ああそうだ。生まれ変わったときのことだ。弱まっちまうんだよ、いろいろと。いやいや人間になるとはかぎらんさ。何にだってなる。これから生まれる命あるものなら何にだってな。え? 違う違うそうじゃない。いいかな兄弟。すぐに次に行けば人間になるとか、ぐずぐずしてるとゾウリムシになるとか、そういう話じゃないんだ。何になるにせよ弱まっちまうってことだ。うん。

 え?「じゃあこの時間は何だ」って? ああさすがだな。よく気がついた。うん。不思議だろう。どうせ次に行った方がいいなら、さっさと次に送りゃあいいのにな。わざわざおれみたいなのが出てきて相手する必要ないもんな。うんさすがだ兄弟。じゃあ説明するがな、あんた生き返ることもできるんだ。まあまあ落ち着いて。「最初からそれを言え」って? いやいや。そうしたらあんたはすぐそれに飛びついちまうだろう。でもあんまり勧められないんだ。あんたぐちゃぐちゃになってるからな。生き返ったらそれはそれで大変なことになる。だから次に進むって選択肢をちゃんと理解して……。

 はああああ。そうかいそうかい。おれがここまで説明しても生き返ろうってのかい。わかったよ。ただしそのためにはひとつだけ、おれのなぞなぞに答えなきゃだめだ。もしこれをはずしたら即行で次に送る。当てたら、その時は兄弟、仕方がない、生き返らせてやるよ。でもぐちゃぐちゃだしこの先大変な余生を送ることになるのは覚悟するんだぜ兄弟。

 え? なぞなぞを早く出せって? わかったよ。じゃあいくぜ。あんたがおれの話をちゃんと聞いていたかどうかを確認するなぞなぞだ。いくぜ兄弟。

「おれの口癖はな〜んだ」

(「兄弟」ordered by Dr.T-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題55】おめでとう2008/01/28 07:19:08

「おめでとう」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「おめでとう」ordered by 花おり-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




====================
◇ 学校の怪談

 おめでとうおばけの噂を耳にしたのは10月半ばのことだった。

「おめでとうおばけだって?」ぼくは吹き出しながら聞き返した。「なんだそりゃ!」
 それが、そのおばけの名前を口にする最後になろうとは、その時はまだ知らなかった。後輩の秋内は、ぼくの質問に答えて顔を引きつらせながら話し始めた。それは本当に身も凍るような話だった。話を聞き終わって、部室は静まり返り、誰も何も言おうとしなかった。ぼくは少しトイレに行きたかったのだが、何というかもう少し我慢しようかという気になっていた。

「でも」ケイコが口を開いた。みんなが救いを求めるように一斉に振り向いた。「ううん。なんでもないの」
 それっきり、また誰も口を開こうとしなくなった。本当にうちのめされていたのだ。そんな凄惨な話を聞いた後で何を口にしたらいいのか、頭が空っぽになってしまったのだ。しびれを切らしてぼくは言った。何と言ってもぼくは部長なのだ。

「で、秋内の知り合いはどうなったの」
 わざと冗談っぽくぼくは聞いてみた。秋内の返事を聞いて数人が悲鳴を上げた。ぼくもひっと息を飲んだ。少し匂いが漂い始め。尿の匂いだ。誰かが失禁したのだ。たぶんぼくではない。と思うが自信はない。ぼくが失禁したと思われたくないので頑張ってまた話を続けてみた。

「あんでそんな変なだまえだの?」ちゃんとしゃべれなかった。「何で、そんな、変な名前なの?」
「それは」と秋内は口を開いて口をつぐんだ。また数人が悲鳴を上げた。何も言っていないのに。ぼくもまたひっと息を飲んでしまったんだが。だしぬけに電気が消えた。部室だけではない。廊下も、窓の外の街灯も、ついているはずの非常灯も何もかも。

 真っ暗になった室内に悲鳴が交錯した。「落ち着け!落ち着け!」とぼくは叫びながらもうこのふくれあがる尿意をどうにも我慢できないのに気づいた。いまなら何とかなる。この暗闇に乗じれば。
 懐中電灯の光が暗闇を切り裂いた。
 サバイバルマニアの遠藤が小型のマグライトをつけたのだ。
「おう。遠藤。ナイスフォロー」ぼくはそう口にしたが、本当は殴り倒してやりたかった。でもその瞬間、突然天才的なアイデアが浮かんだ。「それ持ってさ、トイレまで肝試ししようぜ」

 どういうわけかほぼ全員が圧倒的な勢いで賛同した。結局みんなトイレに行きたかったんだ。そういうわけで部員11人がぞろぞろ連れ立って部室を出た。トイレに向かう途中の廊下でいきなり電気が元通りついて、また何人かが悲鳴を上げた。怖くて怖くてたまらない。電気がついたのに。恐怖が感染してみんなろくに口もきけない。その目を見るのがまた恐怖を増幅させる。お互い見ない振りをしていたが、何人かはもう我慢しきれず足元を濡らして始めていた。ぼくは大丈夫だ。まだ持ちこたえている。とはいえ限界だ。それに部長だ。何と言っても11人の部員を引き連れる部長だ。堂々と振る舞わなければならない。そこでぼくはすたすたとトイレに近づき、「じゃ、お先に」とドアを開いた。

 トイレの中にそれは立っていた。ぼくを待ちかねていたという表情で、ひんやりとした微笑みを浮かべ、それから祝福の言葉を口にした。

(「おめでとう」ordered by 花おり-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)