「平和ボケならぬ危機ボケ」#0019[−□ふぁくとり]2009/03/15 09:01:27

平和ボケというコトバは良く耳にするけれど、どうも危機ボケというものがあるんじゃないかと思っている。

例えば信号待ちで車にひかれそうなところに立っている人。いつもあまりに身近に車がいるので、ひかれたら死ぬか大怪我するっていう危機感が薄れている。

例えば人口爆発。あまりにもよく聞いているので、もういまさら聞かされても「そりゃあ大変だねえ」なんて他人事のように言ってしまう。

例えば財政赤字。間もなく1000兆円になろうとしている。たぶんこれを読んでも、みなさん「あらあらそんなになっちゃったんだ」くらいにしか思わないだろう。身近な人が「1000万円の借金をかかえていてどうにも首が回らない」なんて言ったら、もっとびっくりするだろうに、もうみんな慣れちゃっているわけだ。でも、慣れちゃっているわけだで済む問題では、全然ないはずなんだよね。ほんの数年前には666兆円とか言っていた。それが1000兆円に膨れ上がっている。

知人からもらった『成長の限界 人類の選択』(ダイヤモンド社)という本を時々つまみ読みしているのだが、この本にはたまにぐっと来るようなたとえ話が載っていて面白い。

「毎日倍の面積にまで増えるスイレンがあって、いまからちょうど30日後に池を埋め尽くしてしまうことがわかっている。いつかは取り除かなければならないことはわかっているが、見たところまだ大した数ではない。池の半分くらいに達したら掃除しよう、とあなたは考える。さて、池の半分にまで達したとき、残された時間はどれだけあるでしょうか?」

答はたった1日なわけだ。だって1日で倍の面積になっちゃうんだもんね。もう取り返しがつかない状態になっているということだ。そしてぼくらのまわりではそういうことがどんどん進んでいる。「まだ大丈夫だろう。池の半分くらいになったら考えればいいや」という態度でいることもたくさんあるんじゃなかろうか。 
危機ボケ。このことをぼくらはどうすればいいんだろう?