木から生まれた「絵」と「ことば」展 続々報2009/07/01 18:46:23

今回、中村道雄さん(http://www.kumikie.net/ )の組み木絵作品と
ぼくの「ことば」を展示する場所は、RICOH本社2階にある
プリンティングイノベーションセンターというショールーム。
 http://www.ricoh.co.jp/about/showroom/pic/index.html
基本は業務用プリンターの最先端機器がずらっと並んでいる場所。
ここをギャラリースペースとして活用して、
訪れた人にアート空間を提供しようという企画があって、
ぼくはそこに呼んでもらった。

最先端のプリンティング技術をアピールする目的もあるので、
誰でも自由に出入りできるスペースにはプリント作品を展示、
出入りに付き添いが必要な場所には
オリジナル作品が展示されるというスタイル。
いわゆる作品展とはそのへんが違うが、
「絵」と「ことば」を組み合わせて展示するというのも、
このシリーズ企画のこだわりらしい。

幸いぼくはSudden Fiction Projectという試みを展開していたので、
「中村さんの組み木絵と並べる言葉をつくらないか」
というお題を聞いて、まず
「では全部の絵を見て、
 その印象をもとにショートストーリーをつくろう」と考えた。

けれども実際に展示スペースに足を運んで、
ひとつひとつの物語をじっくり読める環境ではないことを悟り、方針転換。
でも「ものがたり」をつくることにはこだわることにした。

そこで決めたのが
「1行の物語を書く」
もしくは
「物語の1行目を書く」
というもの。

そしてもう一つの方針として、
「ぼくも木から作品をつくる」というのを思いついた。
このアイデアは結果的になかなかよかったんじゃないかと思う。
長くなりそうなので今日はここまで。

7/13(月)までつらつら書いて行きます。
そして、体調十分なら7/13より、
「スペシャル版Sudden Fiction Project」
を展開しようかと思っています。どうぞお楽しみに!

本日スタート! 木から生まれた「絵」と「ことば」展2009/07/13 14:34:11

組み木絵作家の中村道雄さん(http://www.kumikie.net/)の「絵」と
ぼく(http://hiro17911.asablo.jp/blog/cat/novel/)が書いたことばによる、
風変わりな二人展が本日よりスタートしました。
ついては、このブログでも明日より連日ペースで連動企画を立ち上げようと思っています。
こちらもどうぞお見逃しなく。

まずは作品展のお知らせから。

ひょんなことから始まった企画で、
自分でもあれよあれよと言ううちに開催が決まりました。

ネット上に公式の告知が出たら紹介しようと思っていたら、
ずるずると日が経ってしまい、結局当日になってのご案内、
遅くなってしまってすみません。


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 木から生まれた「絵」と「ことば」展
  7/13(月)-30(木) 10:00-18:00(要予約。入館は17:00まで)
  ※企業のショールームなので土日祝日休館です。
  http://www.ricoh.co.jp/about/showroom/pic/event200907.html

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会場はリコー本社2Fのショールーム
「プリンティングイノベーションセンター」内のギャラリースペースです。
 http://www.ricoh.co.jp/about/company_fact/map_station/oa_tokyo2.html

  住所:〒104-8222
     東京都中央区銀座8-13-1 リコービル 2F
  TEL:03-6278-5470

リコーの技術でプリントされた中村さんの「絵」と、ぼくの「ことば」による
コラボレーションをお楽しみいただけます。中村さんの作品はほんとすごいです。
一切着色ナシの木を緻密な作業で組み合わせて絵をつくりあげます。
ぼくはそれらの絵を見てインスパイアされた「1行の物語」をつくりました。
「絵」と「ことば」の近いような遠いような距離感を楽しんでいただけると
嬉しく思います。

     *     *     *

ぼくも今日初めて見る(笑)告知によると

●ご来場の際は、リコーの営業担当者に事前のご予約をお願いします。

とのことなので、ご予約電話も入れてください。なお

●ショールーム利用状況によって、当日のご覧いただける作品が異なりますので、予めご了承ください。

というのは、中村道雄さんの実物の組み木絵は、セキュリティ上ロックのかかる部屋に展示されていて、その部屋が打ち合わせなどで使用中の場合は入れないと言うことを意味しています。実物作品に触れるためにも事前の予約をお勧めします。

あと、このプロフィールを見る限り、ぼくは会社勤めの人間みたいになってますね。
ちがうんですけどねー。適当に省略されちゃってるなあ。

ということで、7/30までやっています。
よろしければぜひお運びを。

◇ 森2009/07/14 09:23:24

 こっそり部屋に持ち込もう。小さな森を持ち込もう。
 どちらが先に言い出したのか、それが二人の合い言葉になった。彼が小さな鉢植えを持ち込み、彼女が、それ、こっそりのつもり?とダメ出しをする。そういう彼女も木製のテーブルを購入し、それを見た彼は、おいおい堂々とし過ぎだろうとたしなめる。だって仕方がないでしょう? テーブルなしで暮らすわけにいかないんだから。

 それもそうだ、ということになり、大物は早めに揃えてしまうことにする。アカマツのクローゼットを買い、ナラ材の仕事机と椅子を入れ、ヒノキの丸太椅子を据え、ベランダにプランターを並べたり、木製のガーデニングテーブル&チェアのセットを置いたりするのは、あえて二人で「堂々と」行い、それから再び「こっそり」持ち込むことにする。

 彼が買った木曽サワラのコップは、バレバレ!と一蹴され、彼女がかなり自信を持って持ち込んだ四万十ヒノキのまな板は、テーブルの上にうっかり取扱説明書を置いていたばかりにすぐに露見してしまった。いずれ生まれてくる子どものためにと称して彼が見つけて来た積み木のセットは、十種類もの木を使ったぬくもりのある素敵なもので、子ども好きな彼女をいたく感動させはしたけれど、やはりバレバレであることに変わりはなかった。ニレを使った印鑑ケースは数日ひっそりと目立たずにいたが、それも請求書に判を押すために彼が引き出しをあけるまでのことだった。

 拾って来た流木をタオル掛けに使ったのは彼女だった。これは最初なかなか気づかれなかった。なにしろ流木を拾ったのは海岸である。森からやって来た、というよりも、海からやって来たイメージがあったため、彼はなかなか気づかなかったのだ。ある朝彼が、洗面所で歯を磨きながら、今度はどこに何を持ち込もうかと物色している時に、偶然タオル掛けに目をとめ、はじめて、それが森からやってきたものだということに気がついた。

 やられた!と叫んで笑い話にすれば良かったのだが、この日たまたま彼は虫の居所が悪かった。このところ、職場のサディスティックな上司から、ねちねちと嫌味を言われ続け、いつもならしないようなミスを連発してしまい、職場での立場も悪くなりつつあった。会社になんか行きたくないとまで思っていた。買い物にでも行って、彼女が絶対に気づかないような森を持ち込もうと思っていた。そんなタイミングでタオル掛けに気づいたのだ。

 ずるいな、というのが彼の感想だった。これはひっかけ問題じゃないか。森というよりは海のものじゃないか。これでこっそり持ち込めたと思って勝ち誇っているのか。そっちがそういうやり方をするなら、こっちだってやりたいようにやるさ。

 ふだんの彼はこんな意地の悪い考え方をする男ではない。でも、この時は違った。男は黙って歯を磨き終え、タオル掛けに気づいたことに触れもせず、むっつりとスーツを着て、テーブルに用意された弁当の包みを黙ってカバンに納め、会社に出かけた。その日彼はキーホルダーを変えた。モリゾーとキッコロのついたキーホルダーだ。けれど彼はそれをカバンから出さなかった。

 翌日はシステムノートの中身をすべて国産パルプ紙使用のものに取り替えた。まだ8月なのに! そしてもちろんそのノートもカバンにしまったままだった。こっそり持ち込んでいるぞ。ほら、気づかないだろう。彼女がタオル掛けに気づいて欲しそうにしているのを見るたび、彼は目をそらし、今度は何を家に持ち込もうかと策を練った。ねえ、と彼女が言う。何、ぶっきらぼうに彼は答える。どうしたの? どうしたの、って何が。おかしいよ、最近。そうか? 何かあったの、会社で……。関係ない! 自分でも意外なほど大きな声で彼は否定する。だって……。彼女が怯えているのを見て、可哀想に思いながらもなぜか素直になることができない。だから、ついきつい口のきき方になる。だって、何? 彼女は黙ってしまう。彼ももう何も言うことがないのに気づく。

 こっそり部屋に持ち込もう。小さな森を持ち込もう。
 そんな言葉は、もう忘れられてしまったかのように、家の中には変化がなくなる。ふたりともむっつりして、必要なこと以外口をきかなくなる。こうなってはもう、彼もいまさら流木のタオル掛けに気づいたふりをすることもできない。きっと彼女はとっくに気づいていたに違いない。彼がタオル掛けのことを知っていて無視していたことを。

 ある日会社の帰りに、彼は店に立ち寄ろうとする。それは以前、二人でよく買い物に来た店だった。でももうすぐ着くというタイミングで、彼女が店から出てくるのを見て、思わず足を止めてしまう。彼女は最近見せたことのないような笑顔を浮かべて、戸口まで送りに来た店主と挨拶している。彼はくるりと背を向けて、もう一軒の別な店をめざす。

 買い物を終えて家に帰ると、彼女はいつものように四万十ヒノキのまな板に向かってキャベツをきざんでいる。男は買って来たばかりの香り玉がやはりヒノキ製だなと思いながら、それを鉢植えの裏のあたりに隠す。財布や定期入れを置くついでなのでばれるはずがない。もう、後、何カ所かに置こう。洗面所に置ける場所はあるかな? トイレの上の棚の中にしようか。

 振り向くと、彼女がこちらを見ていた。悪いことをしている所を見つかったような気分になって彼はどぎまぎする。すると彼女は木でできた椀と皿を机に置き、これ、買って来ちゃった、と言う。何? 彼はまだわからない。こっそり持ち込むんじゃないのかよ。どうしてそれ、言っちゃうの? だって。彼女はうつむき、それから思い切って言う。もう、そういうことしないのかと思ったから。ええ? 鈍い男はまだ気がつかない。どうしてそう思うの? だって。

 彼は思わず鉢植えの裏の香り玉を取り出して、言ってしまう。おれ、まだやってるのに。ほら、これ、香り玉。ヒノキの香りのする丸い玉を彼女がそっと手に取る。それにこれ。彼がポケットから取り出したのはモリゾーとキッコロのキーホルダーだ。彼女は吹き出し、笑顔を見せる。

 で、何なの、それ? 安心した鈍い鈍い男が言う。ずいぶん、小さくね? そこまで口に出してはじめて彼は気づく。え? あ? そうなの? マジ? おめでた? あーあ、隠しておけば良かった。彼女は微笑みを浮かべたまま答える。そう、ベビ−食器。

 ひとしきり大騒ぎした後で、ふたりはソフトドリンクで乾杯し、一緒に食事を食べ終える。おれがやるからと言いながら、彼が手際悪く食器を洗う。改めて腰を落ち着けてから、彼は尋ねる。どうしてこっそり持ち込まなかったの、これ。桜の木でできたベビー食器はテーブルの中央にまるで上等な花器のように飾られている。だって。と彼女は言う。最近冷たかったじゃない。冷たかったんじゃないよ、と彼は言いながら、軽口を飛ばす。久しぶりの軽口を飛ばす。平熱が低い男なだけだよ。ばか。彼女が笑い、さっきの香り玉を掌に転がす。香り玉の匂いは、買って来たばかりの頃のまな板の匂いと同じだ。

(「平熱が低い男」ordered by ariestom-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

◇ 杖2009/07/16 03:01:00

 上手に使えるようになると、もう、ただの棒ではなくなった。

 最初はただのまっすぐな堅い木の棒に過ぎなかった。わたしはそれを身を支える道具として使った。右脚の膝から下が失われてしまったので、足の代わりが必要だったのだ。そのうち、腕や胸の力がついて来て、また、左脚一本でバランスを取るコツがつかめて来て、自分でも予想しないほど上手に歩けるようになって来た。そうなると、まっすぐな木の棒はもっといろいろな目的に使えるようになってきた。

 高い木の実を落とす。川の深さを測る。いきなり水に呑み込まれないように川底を探る。時には浮かべてつかまることもある。急斜面の上り下りでは欠かせない。穴を掘るときにも役に立つ。一度などは船をこぐ真似事もしたことがある。船なんてものはないのだが、木を組んでいかだのようなものをつくり、川下りをしたのだ。男たちに襲われ犯されそうになった時には護身の役に立った。片足の女だと思って見くびっていたのか、瞬間的に2人の脳天を叩き割った膂力を見て、男たちはすぐに逃げ出した。何度も同じような目に合って、わたしも戦い方を身につけたのだ。

 この杖とともにわたしは、かつて東京と呼ばれたこの都市を歩き回った。完全に塩水にやられた地域を除けば、いまは完全に緑に覆われてしまった森のあちこちに、いまでもくっきりと当時の「記憶」を残す遺跡がある。わたしはそれらのものに触れ、はるか千年も二千年も昔の人々の記憶を追体験する。夥しい住居があったのに、道端で暮らした人々がいる。神話かつくり話ではないかと思えるほど豪奢を究めた暮らしをする人々がいる。「記憶」に触れるとわたしはまるで彼らがまだ目の前にいるかのように感じ取ることができる。

 いまわたしは「東京」の中心に暮らしている。ここは都市が滅亡するよりも前から森になっていた場所だ。二千年の昔、河口付近の高台に江戸と名乗る豪族の屋敷が築かれ、やがて台地の上の城が築かれ、台地のふもとを流れる川は堀へと形を変えていく。城そのものが一個の都市だと言ってもいいような想像を絶する巨大な建築がつくられ江戸城と呼ばれた。けれどもその城主一族は城を明け渡し、西の方から帝王がやって来て今度は皇居と呼ばれることになった。帝王が力を失ったあとも、その一族はここにとどまり、崇拝と非難を一身に引き受ける極めて不可思議な生活を長く営むことになる。

 それはわたしが東京のあちこちで「記憶」を通じて触れて来た生活とはまったく異なるものだった。外の人間の多くは、その暮らしぶりの過剰さを除けば、わたしにも理解できることが多かった。彼らは何かを欲しがり、何かを手に入れ、何かを諦め、喜んだり悲しんだりしていた。でもここ皇居の人間は何かを欲しいと思ってもそれを素直に表現することは許されず、何かを手に入れるにはさまざまな手続きが必要だった。諦める自由すらなかった。喜怒哀楽を表現することもあまり望ましくないとされていた。広々とした緑豊かな土地と、広大な建築に住みながら、彼らは監禁された囚人も同然だった。

 わたしは知っている。ここの住人たちにとって「皇居から見える東京タワー」という言葉が一種のジョークになっていたことを。それはつまり、響きはいいが内容のない言葉を意味していた。誰かが「夏休みの計画でも立てようか」と皮肉たっぷりに言う。なぜなら彼らには「夏休み」という猛烈に暑い時期に仕事を休む期間の計画を立てる権利などないからだ。家族の他の誰かの機嫌が良ければ「皇居から見える東京タワーは抜群の景色だからね」などと応じる。そして彼らの中の一人が窓の外を見る。かつて東京タワーが見えた方角を見る。

 そこには四角く壁のように2棟の建物が聳えていて、東京タワーは尖塔部すら見えない。左のビルには文部科学省と会計検査院が入っている。右のビルには金融庁が入っている。そこには何の寓意もない。教育政策と経済政策が、響きはいいが内容のないことを繰り返して、見通しを失ったなどとこじつけるつもりはない。ただ単に、以前は見えたものが見えなくなった。巨大都市ではよくあることだ。たまたまそれが皇居と、東京タワーという、ある時代、この都市のシンボルだった者達を分断してしまったというだけのことだ。

 もう、それらの建築物を見ることはできない。何も残っていないからだ。でも東京タワーがどこにあったのかわたしは知っているし、かつてそれがどのように見えたのか、景色を遮った建物はどう見えたのかもほぼわかっている。そこには何の意味もないのだろうけど、お気に入りの景色が見えなくなるのは寂しいことだと思う。まして、それがこの都市が滅亡に向かう最大の動機になったとあっては。

 わたしはいま、ここに畑を作れるのではないかと考えて、挑戦している。幸いなことにここには多くの食用植物が自生している。かつて同じようなことをしていた人がここにいたということだろう。農工具としても杖は役に立ってくれている。杖は大切な相棒だ。けれどもそろそろ、一緒に畑を耕す仲間が欲しくもなっている。家族をつくるというアイデアは、「皇居から見える東京タワー」だろうか?

(「皇居から見える東京タワー」ordered by ariestom-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

◇ 木2009/07/17 10:38:16

 何百年も生きて来た。何百年分のものがたりを知っている。

 大木の前でただぼーっと立っていたら、そんな言葉が浮かんで来た。ああそうか。このでっかい木はいろいろ見て来たんだな。おれが子どもの頃にもここに立っていて、この近所の人たちの暮らしを見ていたんだな。その頃はまだ携帯電話もなくて、デジカメもなくて、インターネットもなくて、コンビニもなくて、スタバも吉野家もマクドナルドもケンタッキーもディズニーランドもなくて、超高層ビルもなくて、夜中のテレビは砂の嵐で、猪木の新日本プロレスと馬場の全日本プロレスが世界の全てだった。

 違う違う。この木はもっと前からここに立っているんだ。おれのおふくろやおやじが子どものころもここに立っていた。戦争だって知っている。火の粉くらい浴びたかもしれない。ほんの50〜60年くらい昔なら、この木はやっぱり大木で、あたりを見おろしていたに違いない。出征する兵士を見送る行列も、遺体となって戻る兵士も見て来たろう。出征の前に約束を交わす恋人たちがこの木の下で過ごしたかもしれない。おれは思わず足を踏み替えた。

 それからまだまだ前があることを思った。おれは歴史には詳しくないからよくわからないけど、大正だの明治だの幕末・維新だのという時代にもここに立って、人々の暮らしを見ていたのだ。その頃も、いろんなやつがいたんだろうな。いくつになっても優柔不断なやつもいたんだろうな。そういうふにゃふにゃしたやつが上役にいたりして、その下でころころ変わる注文に悩まされてた職人とかいたんだよな、きっと。

 てやんでい、誰に何を言われたんだか知らないが、来るたんびに違うこと言いやがって、なんでい。人のいうことにぺこぺこ頭を下げて何でもかんでも、やりますやりますと安請け合いしやがって。全体てめえの意見ってものぁねえのか!なんて怒鳴ったりしてね。それでまた謝られたりなんかして、やめてくれよ、あんた上役だろ? 年上のくせに情けねえ! とか。いやいや、何しろ士農工商の世界だ。口答えなんか御法度だったろう。黙って理不尽な指示を聞いていたのかもしれない。

 きっと年に一度の村祭りだかなんだかの無礼講のときには本当にはじけて騒いだんだろうな。おんなじような思いをしている仲間で集まって、憂さ晴らしをしたんだろう。どさくさに紛れてその上役の頭をはたいたりしてさ。そんなのもこの木は見て来たんだ。そりゃあもう、いろんなことを見て来たんだ。そう。ここは神社の境内だ。祭りの時には人々が集まり、夜なんぞにはよからぬたくらみをするものが集まったりしたかもしれない。それこそここで果たし合いをしたやつらだっていたかもしれない。そう思った瞬間、刀がぎらりと光って、ぢゃりん、と金属音を立てた気がした。

 江戸時代どころでは済まないかもしれない。その前は、ええと、ええと、戦国時代とか応仁の乱とかムロ、クラ、なんとか幕府とか、まあいいや。でもその頃この辺に人は住んでいたのかなあ。村はあったのかなあ。この神社っていつごろできたんだろう。人がいなかったんなら、この木は何を見ていたんだろう。猿や鹿や猪なんかがうろちょろしているのを見ていたのかもな。梟なんかも飛んで来たろうな。それくらい前になると、さすがにこの木ももうちょっと細くて、背も少し低くて、きっと若木だったんだろうな。いったい何百年くらいここにいるんだろう。どんなことを見て聞いて来たんだろう。その記憶がいっぱいつまってこんなに大きくなったのかもしれないなあ。

 この立派な横木に首を吊ってぶら下がったやつは前にもいたんだろうか。木だって、そんな記憶をためこみたくはないよな。気の毒だ。そう考えると同時に、木の毒だ、という言葉が浮かんでおれは、は、は、は、と渇いた声を立てて笑っていた。そうだ。首つりの記憶なんてそれこそ木の毒だ。立派な大木の寿命を縮めかねない。別に死ぬほどのことじゃあない。「万年子分肌の10歳年上の人の下で仕事をする」 というややこしいシチュエーションにはほとほとうんざりだし、責任を押し付けられて詰め腹を切らされるのは心外だが、おれが世界で最初って訳でもない。おんなじような思いをしているやつは他にもいたし、いまだっているだろう。わかるやつはわかってくれる。

 おれはカバンを抱え直すとその場を離れた。ふと思いついて振り返り、その木にちょっとお辞儀しておいた。カバンの中のロープは、そうだな、登山でも趣味にして使うとするか。

(「「万年子分肌の10歳年上の人の下で仕事をする」 というややこしいシチュエーション」ordered by HIRO-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

◇ 梟2009/07/18 09:22:35

 仲間と思って呼び続けていた。本当は自分の声のこだまなのに。

 ホッホー、ホッホー、ホッホー。森の奥から聞こえてくるのはアオバズクだった。どこにいるのかはわからなかった。わかりようもなかった。さっきまで斜面の下の方から聞こえてくると思っていたのが、気がつくともっとずっと遠くから聞こえるような気もする。山道をうねうねと歩いているので、正確な位置関係などわかるはずもないのだ。

 わたしにはそれが夢の中のできごとだとわかっていた。ちっともかまわなかった。しばらくこのままこうしていられるのなら。そう。山の中を歩いているのはわたし一人ではなかったのだ。兄がわたしのすぐ後ろを歩き、時おり話しかけてくれた。昔のままの飄々とした話し方で、最近あったおかしなできごとを教えてくれる。

 それがさ、そのばあさんが手を離してくれないわけさ。いやもうここで行きますんでって言ってもじっとおれの手を握ってるわけさ。そのうちだんだんその手の力が強くなって来ておれも、イタい、イタい、イタタタタタッて思わず叫んだところでばあさん、ほなずーっとわたしといてくださいとぬかしやがった。

 ほんまやの? わたしはなぜか関西の方の方言でしゃべっていた。にいさん、話、つくってんの、ちゃうん? つくってなんかいないさ。兄が、まるでひと昔前のアクション映画の俳優みたいに妙に気取った口調で答えるのがおかしい。おれが話しているのはすっかり実際にあったことばかりさ。

 ホッホー、ホッホー、ホッホー。あっ。梟や。ああ、あれはアオバズクの声だね。アオバズク? 夢の中のわたしは初めて聞いた名前のように鸚鵡返しにつぶやく。よう知ってんなあ、けったいなこと。まあね、研究してるからね。研究って、何してんの最近と言おうとしてわたしは不意に兄がもう生きていないことを思い出した。別に思い出したからどうと言うことはない。最初から夢だとわかっていたし、兄がそこにいることが夢の証拠だと思ってもいたから。

 そうだね、おれの研究は主に金融工学の解体だ。キンユウコウガクノカイタイ? 思わず聞き返すと兄はもう、これ以上爽やかな声は出せないというくらい爽やかな声で、だってコカ・コーラをもうこれ以上飲めないだろう、仮に体重が190kgあったとしてもさ。にいさん、そんなにあるの? 仮さ、仮にと言っている。

 そういえばさっきからずっと話しているのに、わたしは後ろを振り返らず歩いていたので、兄がどういう姿をしているか見ていないことに気づいた。兄は190kgもある巨漢になってしまったんだろうか。そんな兄の姿を見たくはない。昔のままの兄ならいい。でも、と、わたしは考え直す。だったらわたしの方が年上になってしまう。それはいやだ。

 想像はとりとめなくふくらむ。兄がもしもっと違う姿になっていたらわたしはどう思うだろう。急にわたしはこわくなってくる。たとえば生まれ変わった全然知らない人の姿で歩いていたら。あるいは死んでからの年数分朽ち果てた姿で歩いていたら。こういう時にいい『想像は働かない。わたしは後ろを見るのが恐ろしくなる。いや、自分が振り返って見てしまうのではないかと思うことそのものが恐ろしくなってくる。

 振り返ってはいけない。そうだ。兄が死ななかったらなっていたであろう年齢なりに年をとっていてさえ、わたしには受け入れられないかもしれない。なのにわたしは振り向かずにいられないことを知っている。ああ、おまえ。アクションスター気取りの兄の声がすぐにかぶさってくる。いけない。振り返っちゃいけないよ。なんで? わたしは少しすねた声で言ってみる。なんでもさ。振り返ると幸せは逃げて行く。

 もう! と言って振り返ると、そこには誰もおらず、誰もいないことにわたしはうちのめされる。頭上でばさばさっと羽ばたきがして、あわてて見上げようとするが、夢の中のわたしの動きは緩慢で何も見つけられない。ホッホー、ホッホー、ホッホー、とアオバズクが鳴き、わたしはそれがアオバズクの鳴き声だと言うことを忘れないでおこうと、必死になって自分に言い聞かせている。

(「190」ordered by sachiko-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

◇ 楽2009/07/19 17:54:27

 何かが聞こえた。見上げるとそこには音楽があった。

     *     *     *

 ワンピースの水着を来た美少女がバスの中に立っている。夢のなかでそんなイメージが浮かんだので、おれはそれを撮ろうと思った。宮橋に電話してモデルの候補を選ばせよう。自分で探しに行くのが本当なのだが、いまそれをやると問題になるだろう。ロケの手配は長谷川に頼ろう。一番安心して任せられる。バスの少女は何処へ行くのだろう。まわりの乗客はどんな反応をするだろう。少女は最初から水着で乗って来たのか、それともバスの中で水着になったのか。どうしてあんなにさびしそうな表情をしていたのだろうか。

 あやうくまた眠ってしまうところだった。もう一度寝てしまうと、もうイメージを覚えている可能性は限りなくゼロだ。こういう心から撮りたいと思えるイメージがわくことは滅多にないんだ。このチャンスを逃してなるものか。それからおれは身を起こし、そしてここが刑務所の中だということを思い出した。病院の待合室の長椅子のようなベッドの上で、長椅子のように足を降ろして座り、それでもまだしばらくバスの中の少女のイメージを追い求め、それを撮影する手段のことを考えてしまう。これを覚えていられるだろうか。仮に覚えていられたとして、出所する時にもおれはこれを撮りたいと心から思えているだろうか。そのころにもまだ宮橋や長谷川は一緒に仕事をしてくれるだろうか。

 次にこんな風に写真を撮りたいと思える日が来るのはいつのことだろうか。暗い独房の中でそう考えてからおれは舌打ちをした。どこか他の房からくぐもった怒鳴り声が聞こえた。寝言なのかもしれないが、まるでおれの舌打ちに反応したように思え、おれはびくっとする。そしてびくっとなった自分が情けなく、余計に悲しくなる。次にこんな風に写真を撮りたいと思える日が来るのはいつのことだろうか、だって? 次なんかありはしない。おれにはもう写真を撮る日など来ない。おれにはその資格がない。

 昔はこんな風じゃなかった。おれはカメラを持って出かけることそのものが好きだった。行く先々で何でも撮った。人でも、花でも、車でも、街角でも、自然の風景でも。撮りたいものは世界中にあふれていた。歩いていても、バスに揺られても、電車の中でも、世界はおれに撮られるのを待っていた。おれがカメラに収め、現像し、焼き付け、トリミングし、世界の見方を決定づけた。

 世界はおれに見て欲しがっていたのだ。わたしの一番綺麗なところを撮って。それを写真にしてみんなに見せて。わたしの一番綺麗なところを。かわいいところを。魅力的なところを。アンニュイな表情を。はかなげな様子を。恐ろしい形相を。奔放な姿態を。他の誰にも見せたことのない、あなただけに見せる姿をカメラに収め、わたしのほんとうをみんなに教えてあげて。わたしは本当はどんなに美しく、可憐で、楽しく、偉大で、恐ろしく、あさましく、淫らで、そして神々しいかを、その正しい見方を教えてあげて。わたしを撮って。わたしの匂いを撮って。わたしを舐めるとどんな味がするか、わたしの肌触りとぬくもりはどんな風か撮って。わたしの声と歌を撮って。

 いつしか世界は閉ざされてしまった。おれは言われて渋々カメラを持ち、仕事をくれる知り合いに愛想笑いを浮かべ、スタジオのクルーに当たり散らし、確信の持てないままライティングを決め、モデルに歯の浮くような声をかけ、シャッターを押す指に力を入れる。そのうちろくでもない連中からしか仕事が来なくなった。アブノーマルなポルノだの、児童ポルノだの、浮気の証拠写真だの、樹海の遺体だの、浮浪者の遺体だの、そんなものを言われるままに撮っていてはおれもカメラも駄目になって行くのはわかっていたが、おれにはそれを止めることができなかった。

 スナッフフィルムと呼ばれるものが存在することは聞いたことがあったが、それはあくまでも都市伝説の類で、ホラームービーのネタのようなものだと思っていた。だから連れていかれた現場で女が犯され、切り刻まれ、死に至るまでを撮影してはじめて、おれはそれが実際に存在することを知った。何も考えずにシャッターを切り続けていたが、全てが終わってはじめて女が泣き叫んでいたのは演技でもなんでもなく、おれはただ欲望を満たすためだけの殺人の片棒をかついでしまったことを悟った。その日どうやって家に帰ったのか覚えていないが、気がついたらカメラの機材をそっくりどこかに置いて来たらしく、家の中には見当たらなかった。そしてそれでいい、とおれは思った。おれはどうすればあの女に償えばいいかわからず食べることもできずただ家に閉じこもり続けていた。警察が踏み込んで来た時には救われたとさえ思った。

 突然目に光が当たり、おれは小さく悲鳴を上げて光源を見た。それは独房の壁の高いところに開いた小さな窓から差し込む月明かりだった。満月に近い月がやけにくっきりと明るい光でおれの顔を照らしていた。次の瞬間、おれはその光景を少し離れた場所で見ていた。独房の高い窓からさえざえとした月の光が流れ込み、ベッドにすわる男の顔を照らしている。その独房は縦長の箱のようなもので、そこには月の光が次から次に入っていく。独房の中は月の光の断片で満たされていく。離れたところからおれを見ているおれは、すでに独房を離れ、その縦長な箱を外から眺めている。投票箱だ、とおれは思った。それは信任投票なのだ。その男に、ベッドに腰掛ける男にまだ世界を撮らせるかどうかを、世界が投票で決めているのだ。独房を満たしていく光を見ながらおれは祈った。撮らせてください。

 その瞬間、おれは独房の中に戻っていた。月は角度を変えたらしくもう独房の中は暗闇に戻っていた。たったいま見たビジョンに身体が震えていた。そして気がつくとおれはまだしきりに撮らせてください、撮らせてくださいと呟いていた。頬を熱い涙が流れていることにもその時になって初めて気づいた。どこかからまた怒鳴る声が聞こえたがもう気にならなかった。おれは手を合わせ、はっきりと撮らせてください、撮らせてくださいと祈った。

 その時何かが聞こえた。見上げるとそこには音楽があった。月がいなくなった窓から見える小さな夜空に、月明かりを浴びた雲がすばやく流れ去るのが見え、おれにははっきりとそのメロディーが聞こえたのだ。手元にカメラはなかったがおれはその音楽を撮った。そしてこれを最初の一枚にしますと胸の内でつぶやいた。

(「投票」ordered by いんちょ〜♪♪-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

◇ 梵2009/07/20 17:31:01

 ボン。ブラフマン。ビッグ・バン。宇宙のはじまりの音が聴こえるか。
 それが宇宙飛行士マイク・スペンサー(通称ミック)の最期の言葉である。ミックはルナ・ステーションの船外活動中に、恐らく微小なデブリ(宇宙塵)との接触が原因と見られる移動装置の故障に見舞われ、救出活動も虚しくみなの見守る中、徐々に遠ざかり宇宙空間の闇に吸い込まれていった。

 ミックは剽軽な男だった。いつでも軽口を叩いたり、ちょっとしたいたずらを仕掛けたりしてみんなを笑わせていた。遠ざかりながらもミックはのべつまくなしにいろいろとまくしたてていたので、こういうのは不謹慎かもしれないが、我々の別れは実になごやかであたたかいものだったと言うこともできる。ミックの相手をしていたのは主に通信士のベッキーだったが、彼女は日頃からミックと特に仲がよくいつも冗談を飛ばし合っていた。

「オーケー、みんな。そう大騒ぎするな」一切の救助活動が無駄に終わり、ただ見守るだけとなった時にミックはまず言った。「いや、違うか。ミヤケが一人で喋ってるのかな」
 ミヤケは学生時代に応援団に所属していたとかでやたら声の大きい日本人だ。
「違うわミック」ベッキーはすかさず切り返した。「いまイチローがランニングホームランを決めたのよ。ごめんねテレビを切るわ」

 もちろんテレビもついていなければ、ベースボールの試合なんか知ったことではない。それどころかコントロールルームは、その時にはもう静まり返っていた。ついさっきまで喉をからすほど叫んで、次から次に指示が飛び交っていたのが嘘のようだ。全員が遠ざかりつつあるミックを見守り、喋るべき何も思いつかなかったからだ。誰かが何かを言おうとして、咳き込み、言葉を続けられなかった。胸が詰まって言葉にならないからだ。そういうときもベッキーは空気をほぐすように落ち着いた口調で話をする。

「ミック、そこから何が見える? あなた何かすごい景色を独り占めしてるんじゃないの?」
「ベッキー」ミックがため息をつく。「ぼくはいまちょうどアイスクリーム・パーラーでミントチョコを買うところだったんだぜ。おっといけない。眠ってしまっていたみたいだ。起こしてくれてありがとう! ええと何だって? ここから何が見えるか、だって?」

 そして、それからしばらくミックの実況中継が続く。ルナ・ステーションにいても見えるようなおなじみの風景が、ミックの手にかかると抱腹絶倒のファンキーなスペクタクルに変わる。
「月面には何がいるんだっけ、ミヤケ。サルだっけ」
「ウサギだ」ミヤケが吠えるような声で答える。「サルじゃない」
「そうだ。ウサギだ。ここからもちゃんと見えるよ。歴代のプレイメイトも勢ぞろいしている。おーっと、うわっ。いきなりアレをはぎ取った。プレイメイトの一人の水着を。けっこう大きなピンク色の。んー。これはぼくの口からは言えないな。あのウサギ、かなりのワルだね。」

 コントロールルームに笑いは起きないが、その場に居合わせる全員が、目をしばたたきながらぎゅっと結んだ口元に笑みを浮かべようとしている。それがミックの最後のジョークに対する礼儀だからだ。何も喋れない士官たちに代わってベッキーが巧みに相手をする。
「ミック、いけないわ。わたしたちの子どもが起きてしまいそうなの」
「わお! 気をつけなきゃね。ぼくは教育にはうるさいんだ」ミックはすぐに反応する。「ところで、それって、どの“わたしたち”?」

 ミックはサービス精神たっぷりに喋り続け、自分の位置を示すために腕や脚を広げたり角度を変えたりして、太陽の反射光が我々に届くように工夫していた。だから我々は本当に長い時間にわたってミックを見つめ続けることになった。最初肉眼でも姿を捉えられたミックは、やがてメインスクリーンに拡大して映しても小さく輝く点に過ぎなくなった。それでも意外なほど声は届き続けた。

「おっと、大変だ。」ミックはかなり遠ざかったところで言った。「おまえたち、大宇宙の闇に呑み込まれそうになっているぞ!」
 もちろんそれはジョークだ。ミックから見れば確かにそう見えるかもしれないが、本当に大宇宙の闇に呑み込まれつつあるのはミック本人なのだ。
「大丈夫よ、心配しないでミック」そんな時もベッキーは軽口で返す。「これ、コマーシャル入りだから」
 訓練の成果でベッキーの声はハキハキとしてとても明るく元気づけられる。けれどもコントロールルームのいる全員が、ベッキーの頬を流れる涙に気づかないわけにいかない。

 その時、ミックがいままでと少し違ったトーンで言った。
「ええと。そっちはまだ聞こえているのかな? こっちは無音になった。ベッキーのジョークが聞こえなくてさびしいよ」しばらく間があいた。はあ、はあ、というミックの大きな息づかいがやけにはっきりとコントロールルームに響いた。「ぼくは喋り過ぎたかな?」
 コントロールルームの全員が「ノー」「ミックもっとしゃべってくれ」と口々に言った。

「大事な時にくだらないことばかり言って悪かった。静かだ。とても静かだ。相手がいないとぼくはしゃべれないよ。みんな聞こえてるか?」
 コントロールルームの全員が「イエス」「みんな聞いているぞ」と口々に言った。
「聞こえてなくても誰かがこの声を拾うだろう。そいつのためにしゃべろう。ぼくはマイク・スペンサー。月軌道周回基地のルナ・ステーションのクルーだ。船外活動をしていて宇宙空間に放り出された。仲間は全力を尽くして救助に取り組んでくれた。でも運悪くぼくは仲間から遠ざかりつつある。」

 誰かが嗚咽を漏らし、こらえられなくなった何人かがすすり泣きはじめた。その間もベッキーは小さな声で「ミック? ミック?」と呼びかけ続けている。再び通信がつながることを期待しているのだ。

「ぼくはいまたったひとりだ」ミックがとても素直な調子で言う。しばらく間があく。大きく深呼吸でもしているような気配がある。「ぼくから見える月もほとんど夜の側だ。縁が光っているけどあれも間もなく見えなくなるだろう。そうなると本当にすごい闇に包まれることになる。声も聞こえない。何かに触ることもできない。本当に」

 声が途絶えたので、我々はとうとう通信が途絶えたのだと思って、思わず「ミック!」「ミック!」と叫んだ。けれどもそれは通信の終わりではなかった。
「本当に孤独だ」ミックの声が泣いていた。コントロールルームでもあちこちで号泣する声が聞こえて来た。「誰もいない。何も聞こえない。見えるのは月と、星だけだ。太陽も隠れてしまった。ぼくを照らす太陽もない。みんなにも、もうぼくは見えていない。おや。あれは何だ」

 そしてミックの最後の中継が始まった。
「月面に何かがある。みんな。聞こえるか。聞いてくれ。月の裏側に何かある。地球から見えないところに。足跡だ。巨大な。巨大な足跡だ。踏みしめる音が聞こえる。わかるか、ミヤケ? ボンだよ。サンスクリットのブラフマン。宇宙の真理がここにある。本当の沈黙の中でしか聞こえない音だ。あの巨人のステップは宇宙の始まりの音だ。みんなこっちに回り込んだら月面の足痕を見逃すな。ボン。ブラフマン。ビッグ・バン。宇宙のはじまりの音が聴こえるか。」

 それが通信の最後の部分だった。後になって、誰かはそれをミック一流の最後のジョークだといい、誰かは人生の終わりにミックが大きな真理に到達したのだと言った。どちらだとしてもそれはとても偉大なことだとみんなは思った。でもそんな話が出ると決まってベッキーは言った。「だめよ。わたしは納得しないわ。ミックのオチを聞くまではね」

(「月面の足跡」ordered by shirok-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

お題受け付けます!2009/07/21 23:42:27

お気づきの方もおられると思いますが、ただいま
「スペシャル版Sudden Fiction Project」を展開中。
7/30までリコー本社2階のショールーム
「プリンティングイノベーションセンター」で開催中の
“木から生まれた「絵」と「ことば」展”に出展している
15の作品を、みなさんからいただいた「お題」と組み合わせて
連日のように作品をアップしようと言う試みです。

コメントは承認後の掲載なので(しっかりしてくれアサブロ!アダルトだらけだぞ!)、
書き込んでもすぐに表示されませんが、ちょこちょこチェックしますので、
どうぞ気長にお付き合いください。Sudde Fictionは頑張ってできるだけはやくアップします。

一見(いちげん)さんも大歓迎。どしどしご参加ください。

◇ 来2009/07/23 21:12:01

 部屋を片付けてさっぱりしたら、景気のいい声が近づいて来た。
「えっほ、えっほ、えっほ、えっほ」
「さあ、来た来た」
「聞こえて来たぞ」
「グルファンなの? 本当にグルファンなの?」
「ああそうだよ。いい子にしているんだよ」

 期待と不安でいっぱいの子どもたちがわけのわからぬ叫び声を上げる。グルファンのことは昔話で聞いたり、絵本で読んだりしていたものの、それはあくまで「悪魔」や「妖精」と同じく、お話の中の存在に過ぎなかったからだ。12年に1度、本物のグルファンが現れると言われても全然本当のこととは思えなかったに違いない。あるいはクリスマスのサンタクロースのようなものをイメージしていたかもしれない。
「えっほえっほえっほえっほ」
 だんだん近づいてくるかけ声は、それが架空の存在ではないことを示している。

「近づいて来たか」
「もうじきだ。すぐに来る」
「はかっていたようなタイミングだな」
 朝から集会所では近所の住人が総出で片付けをやっていた。12年ぶりのグルファンが気持よく過ごして、次もまた来てくれるように、心をこめて掃除をした。大人も子どもも一緒になって集会所を隅から隅まで磨き上げた。
「えっほえっほえっほえっほ」
 もう、すぐそこまで来ているくらいはっきりと聞こえるのに、声はまだまだどんどん大きくなっている。

「やだやだやだおうちに帰る」
「大丈夫だって、お父さんもお母さんもここにいるから」
 いよいよ本当に来たと聞かされて軽いパニックを起こしたのか、急にぐずり始める子どももいる。なだめている若い親たちの中には不安げに身を寄せ合い、子どもを抱きしめるものもいる。年寄りたちはそんな若い家族を温かい目で見守っている。

 小さな子どもたちは濡らした新聞紙をまき散らしたり、こびりついた汚れを濡らしてふやかす方法を教わったりして、細かい塵やホコリや汚れを取り除くことを覚えた。少し大きな子たちは掃き掃除と雑巾がけを徹底的に仕込まれ、身体が大きな子どもたちは高い場所の明かりや窓ふきなどに駆り出された。子どもたちの掃除を監督する大人たち以外は、男たちは建物の修繕や荷物運びをし、女たちは料理や飾り付けにかかり切りだった。12年に1度のグルファン迎えは子どもたちの躾の場でもあるのだ。

 どんどん高まる一方で、耳が痛いほどの大音量で近づいていたかけ声が、不意にやんだかと思うとがらがらと大扉が開き、グルファンが飛び込んで来た。丸めた背が大扉の上部にかすりそうなくらい大きい。全体はとんでもなく大きなコガネムシが後ろの2本の脚で立ち上がったような形をしている。これは昔話の中でもよくそのようにたとえられるのだが、本当に良く似ている。背中を覆った堅い鎧のような表皮も鈍く金属質に光っている。

 巨大な目玉は左右に突出し、長い舌がベロベロと鋭い歯の間から垂れ、よだれが床にしたたり落ちる。そのよだれは血が混じっているように赤い。子どもたちはあまりの恐ろしさに絶叫して逃げ惑う。親は押さえ込もうとするのだが、子どもたちの恐怖は想像以上に大きく、親の手を逃れ、とにかくどこか部屋の隅に隠れようとする。子どもが自分の手を離れたとなると親も不安になるらしく、もうさきほどまでのように落ち着いたふりはしていられない。

「迎えの者には会いませんでしたか?」
 係の者が尋ねるが、グルファンはそれには応えず、ふんふん、ふんふんと鼻を鳴らしている。
「お荷物はどこかいの?」グルファンが言う。低く轟くような声なのにキンキンと耳障りな雑音が混じっている。部屋の隅から子どもたちの悲鳴が湧き起こる。「早よ出さんとえらいこっちゃで」

「まあまあ、お神酒でもお飲みなさい」
 もう何度もグルファンを迎えたことのある長老がなみなみと酒をついだ器を持って近づく。せかせかと慌ただしげなグルファンをそうやってなだめるのだと昔話にも語り継がれている。その途端にグルファンが激しく頭を振り、長老が横なぎにされ宙を飛ばされてしまう。ぐげ、と妙な声を立てて長老は料理を用意したテーブルに激突し、動かなくなった。

 大人たちは騒然となった。さっきまでぐずぐず言っていた子どもたちはもはや恐怖のあまり声も出せない。
「なあ、お荷物はどこかいの?」グルファンが言った。「さっきのがお荷物か」
 言うが早いかグルファンは飛び上がり、倒れたままの長老の上に馬乗りになった。巨大なコガネムシの下敷になって長老の姿が見えなくなると、何人かの大人たちがあわててグルファンに駆け寄り、引きはがそうとしたが、その時、ごきっ、ぐちゃ、ごりごりという嫌な音がして、グルファンが何かを噛み砕く音が続いた。

 部屋のあちこちで嘔吐する音が聞こえた。
 突然グルファンの堅く丸い背中がブルブルっと激しく震え、グルファンを引きはがそうと手をかけていた大人たちが4人、てんでな方向にはじき飛ばされ、一人は壁に激しく頭を打ち付け、鼻血を流しながらへたりこんだ。

「どうしたんだ」何度もグルファンを迎えて来た大人たちがあたふたと騒ぐ。「グルファンはどうしてしまったんだ」
「ちゃうやんけ」たったいままで長老の上に屈み込んでいたグルファンが振り向きざまに言い放つ。「これ、お荷物ちゃうやん。長老やんか」
「お願いですグルファン、お荷物ならここにありますから」
 大きな荷を両手で抱えて喋りはじめた男に向かって、グルファンが口から何かを吹き飛ばす。それは人間の手の形をしたもので、それを見てまた何人かがげえげえと吐き始める。

「かったいわ、それ。ものごっつ固いわ」グルファンは長老の手のことをそう評した。「こんなんちゃうねんお荷物は」
「ですからお荷物はここに」
「もっとやらかいのがええわ」
「やらかいって?」
「長老とちごて、もっとやらかいのやったら食えると思うわ」
「グルファン!」
「やかましわ」
 グルファンは首を振って男をなぎ倒すと叫んだ。
「こどもや。ちっこいこどもを寄越せ。それで勘弁したる」
 小さな子どもを持つ親たちはみな立ち上がり、一斉に子どもたちの方に駆け寄る。
「ぐじゃぐじゃうるさいねん」グルファンは不意に背中の鎧を広げ振るわせはじめた。羽根だったのだ。そして狭い集会所の中で浮かびあがり、部屋の隅に隠れる子どもたちめがけて飛びかかった。「どこや。お荷物はどこや。お荷物寄越さんかい」

 子どもたちのつんざくような絶叫が響き、グルファンの羽音と共にすさまじい騒音をなす。子どもたちのほとんどは失神し、小便を垂れ流す。その時一人の少女が立ち上がり、食卓の豆をつかみグルファンに投げつけた。最初グルファンはそれに気づかなかったが、何度か豆をぶつけられ、ゆっくり少女の方に向かって旋回した。その瞬間、少女の投げた豆はグルファンの腹部に命中し、とたんにグルファンの羽根は動きをやめ、落下した。

「あかんてあかんて」グルファンは地べたに丸くなってしっかり羽根を閉じた。「あかんてあかんて豆はあかんて!」
 まなじりを決した少女は勇敢にもグルファンに歩み寄り、幾度も幾度も豆をぶつけ続ける。
「堪忍して!堪忍してえな!」グルファンはのたうつ。「どないなっとんねん。なんでこんな乱暴すんねん」
 少女はただ黙って豆を打ち付け続ける。少女が机に豆を取りに戻った隙にグルファンはちょこまかと駆け出し、大扉から外に飛び出していった。少女はそのまま豆をつかんで外まで追い、離陸したばかりのグルファンめがけて投げかけた。グルファンは中空でバランスを失い、ずっこけながらも命からがらという感じで飛び去った。

 こうして12年に1度のグルファン迎えの儀式は終わった。大人たちは再び集会所を片付け、つくりものの反吐をふき取り、名演技をした長老を讃え、そして何よりも勇敢だった少女を賞賛した。グルファンに入っていたのは3人の“迎えの者”だった。いつもの通りのいつもの儀式。こうすれば子どもたちは決してお荷物にならないようになる。お荷物とだけは思われないように頑張って育つ。そういう風習なのだ。

 幾度も繰り返された儀式。襲われる長老。あたふたする大人。お荷物を探し求めるグルファン。その時々にあれこれ手を加え工夫をしてグルファン迎えを盛り上げる。少しずつ過激になる傾向はあったが、だいたいは笑い話で済んだ。けれどもこの年はやり過ぎた。子どもたちは深いトラウマを負った。確かに彼らは長じてお荷物にならないように努力をしたが、それは自発的な努力と言うよりは強迫観念と呼んだ方がよさそうだった。そして村の指導者となることを期待された少女が成人する頃になって、あの年のグルファン迎えがやり過ぎだったことが判明するのだが、まだその時は来ない。

(「荷物」ordered by tom-leo-zero-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)