◇ 忘れられた老召使2011/03/05 18:27:03

忘れられた老召使はその後も、
忘れられた土地のそのまた片隅の
忘れられた館のそのまた一部屋で
暮らしていた。ひとりきりで。

忘れられた老召使は朝早く起き、
足音も立てずてきぱきと
忘れられた館を見て回り、
何も支障ないことを確かにする。

忘れられた老召使の朝食はささやかだ。
忘れられた雌鶏が生む卵以外は、
忘れられた裏庭で栽培する
いくつかの野菜と手製のドレッシング。

ぱりっと糊の利いた制服、
皺一つなくアイロン掛けしたシャツ、
ぴかぴかの靴、整った髪。
背筋を伸ばし歩く、ひっそりすばやく。

何に仕えてるんだ、忘れられた老召使?
何を守っているんだ、忘れられた老召使?
君の知ってる人はもういない。
君の知ってる家はどこにもない。

やがて忘れられた老召使は
不確かな噂となって
人々の口にのぼるようになる。
「確かに見たんだ。前世紀の召使の姿を」

炎天の、暑い夏の真っ盛り、
場違いに分厚い制服を着て
何か目的でもあるようにすたすたと
敷地の端を歩く君の姿が目撃される。

雪に閉ざされ動くものひとつない
早い冬の夕暮れ、君の足音が聞こえる。
ぎしぎし雪を踏みしめる足音が。
何一つ見落とさない責任感に満ちた足音が。

何に仕えてるんだ、忘れられた老召使?
何を守っているんだ、忘れられた老召使?
君の知ってる人はもういない。
君の知ってる家はどこにもない。

忘れられた老召使はいまもここにいる。
館は取り壊せても、木は伐り倒せても、
人は立ち退かせても、土地は均せても、
ここはここだ、君がここにいる限り。

恐怖と好奇の心が君を伝説に仕立て上げる。
君は君自身についての物語の主人公となって、
人々の心の深く暗い部分を支配できる。
そう。今度は、人々が君に仕える番だ。

(「忘れられた老召使」ordered by shirok-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)