◇ ぼくが今ここにいる意味 ― 2011/05/29 08:35:04
晴れた日は明るくなる頃に目を覚ます。明るくなるから目を覚ますのか、小鳥たちが活動を開始する気配に目を覚ますのか。とにかくそろそろ太陽が顔を出す直前に目を覚ます。洗面器に少し水を張り顔を洗った水で口をすすいでうがいもする。その水は表の菜園にまく。どんなに僅かな水も貴重だ。赤い首を覗かせ始めたラディッシュを掘り出し、丁寧に布で拭って塩をふってかじる。
簡単な朝食を終えると家族に声をかけて表に出る。行ってらっしゃいとかすかに聞こえた気がする。歩いて行くと何人か顔見知りの人に会い、おはようございますと挨拶をする。みんな日に焼けて、口を開けると歯が白く、総じてまぶしそうな顔つきをしている。今日はCの11を探そう。Cの11というのはぼくが勝手につけた区画番号で他の人には通用しない。たまに手伝いにきてくれる学生たちは理解してくれる。
Cの11はかつて商店街だった一角だ。明らかに元々この場所にあったとおぼしきものもたくさん見つかるが、もちろんそれだけではない。あの日、この場所は何度も潮に洗われ、山の麓に建ち並ぶ住宅地にあったものも、海岸だった場所にあったものも、遥か沖合にあったものも、それどころか、どこか他の村や町にあったものも、何もかもが呑み込まれ混ぜ合わされそして出鱈目にぶちまけられたのだ。
一つの区画は10メートル四方に決めている。理由はそんなにない。何も見逃さないように丹念に見て回るとそれで一日終わってしまう、そのくらいのサイズだ。始めの頃は当てもなく探しまわるしかなかった。家を中心に浜辺と高台の麓を何度も往復しながら、目につくものを動かし、物陰を覗き込み、覆いかぶさったものをとりのけた。
家から1キロ近く離れたところで時計を見つけた時には息が止まるかと思った。それは娘がまだ幼稚園に通っていた頃、娘からという名目で誕生日に家人からプレゼントされたものだった。けれどもそのようなやり方ではどうしても見落としが出て来ることにも気づかされた。時計にしたってたまたま転んだ指先に、泥の中の固いものが当たったから見つけたのだ。転ばなかったら見つけられなかった。
そう気づいて、その日からやり方を変えることにした。区画を決めて順番に虱潰しに探す。1メートル角の木枠をこしらえ、それを運び、その日探すエリアに持ち込む。平らな場所には木枠を置き、木枠の中を納得行くまで探す。建物やその残骸が形をとどめているところもできるだけ枠単位で納得行くまで探す。
これを100回繰り返すと1日が終わる。肉体的にもハードだが、精神的にもかなりこたえる。たくさんの人のたくさんの思い出に否応なく触れることになるからだ。食器類にはなぜかはっとさせられる。箸置きを見るとつらくなるのは妻が箸置きを集めていたことを知っているからだろう。ランドセルや教科書のたぐいも胸がつぶれそうになるが、実際には子どもたちはもうとっくに小学校を卒業している。下の息子だってこの春高校に入るはずだった。
そういったものを見つけても何もできない。できるのは、持ち主が無事でありますようにと祈ることだけだ。たまたまこれがここにあることを知らないから、知っていても持って行けなかったから、ここに放置されているのだろうと。そして、もし不幸にも命を落としているのなら、どうか安らかに眠りますように。君のランドセルはおじさんが泥を拭っておいたからね。
家族の元を離れて何年にもなる。正直な話、あの日までは戻るつもりもなかった。けれどもニュースで故郷が失われて行く映像を見て、たまらなくなって戻ってきた。避難所を回り、おびただしい数の遺体を確認し、家族がどこにもいないことを知って町に戻った。自分の家の在り処を探すことさえままならなかった。道も、郵便局も、角の果物屋も、何の手がかりもないのだ。そこが自分の町なのかどうかすら確信を持てなかった。ようやく自分の家の場所を探し当てた時には大声を上げて泣いた。あたりのものを動かし、泥を掘り、その場所には家族がいないことを確認するのに1週間かかった。
残骸を利用して小屋をつくりその場に住み着くことにした。同じようなことをしている人が何人もいて知り合いになり、お互いに助け合って暮すようになった。この数年間、ぼくは山中でひとりサバイバル生活をしていた。だから一人で生き抜くことは何とかできる。掘り返すものの中には家庭園芸用の野菜類の種などもあり、ありがたくいただいて栽培している。そうして遅ればせながら捜索を始めた。こんな生活をいつまでも続けられないことはわかっている。けれどいまぼくにはこうすることしかできない。今日、それを確信した。
Cの11を終えようとした時、一冊のよれよれの冊子が目に入った。どことなく見覚えがあったので手に取ると、それはぼくが卒業した年の高校の生徒会誌だった。これがぼくのものか同級生のものかは分からない。けれどまぎれもなくあの年の生徒会誌だった。水にぬれ、ごわごわになったページをめくり、目次に自分の名前を見つけて思い出した。すっかり忘れていたが、当時ぼくは生徒会誌にふざけたエッセイとも小説ともつかぬものを投稿し、それが掲載されていたのだ。
読むに耐えない文章のおしまいの一節にこうあった。「おれはどうもスポーツでも音楽でもたいしたプレイヤーにはなれそうもない。でもおれはめざす! ベストプレイヤーをめざす! 一文字変えて“祈る人”のプレイヤーだっ!」
当時は気の利いたことを書いたつもりだったんだろうが、なんとも冴えないダジャレに過ぎない。でもそこには、いまのぼくにできることが書かれていた。ぼくは恐ろしく無力だけど、毎日ひと区画をあらためて回り、そこで見つかったもの一つ一つに祈りを捧げることはできる。無事を祈り、平安を祈り、ものごとが少しでもよくなるようにと祈ることができる。どのような形であれ家族と再会するまで、それがぼくが今ここにいる意味だ。
(「生徒会誌」ordered by こあ-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
簡単な朝食を終えると家族に声をかけて表に出る。行ってらっしゃいとかすかに聞こえた気がする。歩いて行くと何人か顔見知りの人に会い、おはようございますと挨拶をする。みんな日に焼けて、口を開けると歯が白く、総じてまぶしそうな顔つきをしている。今日はCの11を探そう。Cの11というのはぼくが勝手につけた区画番号で他の人には通用しない。たまに手伝いにきてくれる学生たちは理解してくれる。
Cの11はかつて商店街だった一角だ。明らかに元々この場所にあったとおぼしきものもたくさん見つかるが、もちろんそれだけではない。あの日、この場所は何度も潮に洗われ、山の麓に建ち並ぶ住宅地にあったものも、海岸だった場所にあったものも、遥か沖合にあったものも、それどころか、どこか他の村や町にあったものも、何もかもが呑み込まれ混ぜ合わされそして出鱈目にぶちまけられたのだ。
一つの区画は10メートル四方に決めている。理由はそんなにない。何も見逃さないように丹念に見て回るとそれで一日終わってしまう、そのくらいのサイズだ。始めの頃は当てもなく探しまわるしかなかった。家を中心に浜辺と高台の麓を何度も往復しながら、目につくものを動かし、物陰を覗き込み、覆いかぶさったものをとりのけた。
家から1キロ近く離れたところで時計を見つけた時には息が止まるかと思った。それは娘がまだ幼稚園に通っていた頃、娘からという名目で誕生日に家人からプレゼントされたものだった。けれどもそのようなやり方ではどうしても見落としが出て来ることにも気づかされた。時計にしたってたまたま転んだ指先に、泥の中の固いものが当たったから見つけたのだ。転ばなかったら見つけられなかった。
そう気づいて、その日からやり方を変えることにした。区画を決めて順番に虱潰しに探す。1メートル角の木枠をこしらえ、それを運び、その日探すエリアに持ち込む。平らな場所には木枠を置き、木枠の中を納得行くまで探す。建物やその残骸が形をとどめているところもできるだけ枠単位で納得行くまで探す。
これを100回繰り返すと1日が終わる。肉体的にもハードだが、精神的にもかなりこたえる。たくさんの人のたくさんの思い出に否応なく触れることになるからだ。食器類にはなぜかはっとさせられる。箸置きを見るとつらくなるのは妻が箸置きを集めていたことを知っているからだろう。ランドセルや教科書のたぐいも胸がつぶれそうになるが、実際には子どもたちはもうとっくに小学校を卒業している。下の息子だってこの春高校に入るはずだった。
そういったものを見つけても何もできない。できるのは、持ち主が無事でありますようにと祈ることだけだ。たまたまこれがここにあることを知らないから、知っていても持って行けなかったから、ここに放置されているのだろうと。そして、もし不幸にも命を落としているのなら、どうか安らかに眠りますように。君のランドセルはおじさんが泥を拭っておいたからね。
家族の元を離れて何年にもなる。正直な話、あの日までは戻るつもりもなかった。けれどもニュースで故郷が失われて行く映像を見て、たまらなくなって戻ってきた。避難所を回り、おびただしい数の遺体を確認し、家族がどこにもいないことを知って町に戻った。自分の家の在り処を探すことさえままならなかった。道も、郵便局も、角の果物屋も、何の手がかりもないのだ。そこが自分の町なのかどうかすら確信を持てなかった。ようやく自分の家の場所を探し当てた時には大声を上げて泣いた。あたりのものを動かし、泥を掘り、その場所には家族がいないことを確認するのに1週間かかった。
残骸を利用して小屋をつくりその場に住み着くことにした。同じようなことをしている人が何人もいて知り合いになり、お互いに助け合って暮すようになった。この数年間、ぼくは山中でひとりサバイバル生活をしていた。だから一人で生き抜くことは何とかできる。掘り返すものの中には家庭園芸用の野菜類の種などもあり、ありがたくいただいて栽培している。そうして遅ればせながら捜索を始めた。こんな生活をいつまでも続けられないことはわかっている。けれどいまぼくにはこうすることしかできない。今日、それを確信した。
Cの11を終えようとした時、一冊のよれよれの冊子が目に入った。どことなく見覚えがあったので手に取ると、それはぼくが卒業した年の高校の生徒会誌だった。これがぼくのものか同級生のものかは分からない。けれどまぎれもなくあの年の生徒会誌だった。水にぬれ、ごわごわになったページをめくり、目次に自分の名前を見つけて思い出した。すっかり忘れていたが、当時ぼくは生徒会誌にふざけたエッセイとも小説ともつかぬものを投稿し、それが掲載されていたのだ。
読むに耐えない文章のおしまいの一節にこうあった。「おれはどうもスポーツでも音楽でもたいしたプレイヤーにはなれそうもない。でもおれはめざす! ベストプレイヤーをめざす! 一文字変えて“祈る人”のプレイヤーだっ!」
当時は気の利いたことを書いたつもりだったんだろうが、なんとも冴えないダジャレに過ぎない。でもそこには、いまのぼくにできることが書かれていた。ぼくは恐ろしく無力だけど、毎日ひと区画をあらためて回り、そこで見つかったもの一つ一つに祈りを捧げることはできる。無事を祈り、平安を祈り、ものごとが少しでもよくなるようにと祈ることができる。どのような形であれ家族と再会するまで、それがぼくが今ここにいる意味だ。
(「生徒会誌」ordered by こあ-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
紙で仕上げた物語展 ― 2010/11/26 16:49:29
この話を書かなきゃ!
とりいそぎのメモとして。
近く、ちゃんとまとめます!
ペーパーアートの太田隆司さん(紙業師!)の作品とのコラボレーション。楽しいです。
●フライヤーデータ
http://ext.ricoh.co.jp/about/showroom/pic/artgallery/pdf/topics101018.pdf
●アートギャラリー2010
http://ext.ricoh.co.jp/about/showroom/pic/artgallery/index.html
とりいそぎのメモとして。
近く、ちゃんとまとめます!
ペーパーアートの太田隆司さん(紙業師!)の作品とのコラボレーション。楽しいです。
●フライヤーデータ
http://ext.ricoh.co.jp/about/showroom/pic/artgallery/pdf/topics101018.pdf
●アートギャラリー2010
http://ext.ricoh.co.jp/about/showroom/pic/artgallery/index.html
ことば師の仕事ぶり ― 2010/08/15 23:33:58
昨年からずっと関わり続けているリコー本社2階プリンティングイノベーションセンターでの「アートギャラリー」の公式ページができました。
で、その中には動画もあって、ぼくを実際に知っている人にとって、これはもうギャグと思って見ていただいた方がいいかもしれないですが、4本中3本に恥ずかし気もなくぼくが出演しています。それも「おまえ、何者?」って感じで。
というわけで紹介するのにいささかためらっていましたが、こういうのは旬のうちにネタにするに限るということで恥をしのんで公開することにします。ご笑覧ください。
http://ext.ricoh.co.jp/about/showroom/pic/artgallery/index.html
で、その中には動画もあって、ぼくを実際に知っている人にとって、これはもうギャグと思って見ていただいた方がいいかもしれないですが、4本中3本に恥ずかし気もなくぼくが出演しています。それも「おまえ、何者?」って感じで。
というわけで紹介するのにいささかためらっていましたが、こういうのは旬のうちにネタにするに限るということで恥をしのんで公開することにします。ご笑覧ください。
http://ext.ricoh.co.jp/about/showroom/pic/artgallery/index.html
多才な彩画展 ― 2010/01/31 09:22:58

「アートギャラリー2010」第1弾は、一級建築士・渡辺哲也さんとのコラボレーション。渡辺さんは仕事柄建築パースなども手がける方ですが、すべて手書きでしかも精細緻密に仕上げる凄腕の持ち主です。
それだけでなく、コーヒーやワイン、落ち葉や玉ねぎなどを絵の具にしてしまうプロジェクトにも取り組んでおられて、ブログなどを拝見するとこの実験の過程がまた面白い。
今回の「ことば」は、その絵を前にして、あるいはその絵の風景や情景を前にして、ぼくや、絵を見る人や、ひょっとすると渡辺さんの心に浮かぶであろう(浮かんだであろう)つぶやきを形にしてみるという手法をとりました。
素直で可愛いことばが出てきて、なかなか楽しいものとなりました。さらにそのことばに、デザイナーさん(MANO CREA佐藤勝氏)がちょっとした魔法をかけて、すばらしい仕上がりとなりました。渡辺さんの絵の質感が文字の上にも溢れ出すという仕掛けです。
↓渡辺さんのサイトでその一端を見ることができます。
http://blog.goo.ne.jp/watanabe-a-o/e/ec558eb357f176e0e5c7cba0a49f77f8
それだけでなく、コーヒーやワイン、落ち葉や玉ねぎなどを絵の具にしてしまうプロジェクトにも取り組んでおられて、ブログなどを拝見するとこの実験の過程がまた面白い。
今回の「ことば」は、その絵を前にして、あるいはその絵の風景や情景を前にして、ぼくや、絵を見る人や、ひょっとすると渡辺さんの心に浮かぶであろう(浮かんだであろう)つぶやきを形にしてみるという手法をとりました。
素直で可愛いことばが出てきて、なかなか楽しいものとなりました。さらにそのことばに、デザイナーさん(MANO CREA佐藤勝氏)がちょっとした魔法をかけて、すばらしい仕上がりとなりました。渡辺さんの絵の質感が文字の上にも溢れ出すという仕掛けです。
↓渡辺さんのサイトでその一端を見ることができます。
http://blog.goo.ne.jp/watanabe-a-o/e/ec558eb357f176e0e5c7cba0a49f77f8
八寅展 ― 2010/01/01 16:15:05
昨夏より参加しているRICOHプリンティングイノベーションセンター(PIC)の「アートギャラリー」で1月は新春特別企画として、8人のイラストレーターさんが描いた虎の絵に言葉をつけました。
干支にちなんだ虎の絵と、
くすっと笑えることばたちのコラボレーション。
初笑いの企画という思いで、PICのミーティングルームに
和やかな空気が流れればいいなと思って、
かなりオヤジギャグっぽいダジャレ大会にしました。
むずかしいことを考えずに笑っていただけたら何よりです。
干支にちなんだ虎の絵と、
くすっと笑えることばたちのコラボレーション。
初笑いの企画という思いで、PICのミーティングルームに
和やかな空気が流れればいいなと思って、
かなりオヤジギャグっぽいダジャレ大会にしました。
むずかしいことを考えずに笑っていただけたら何よりです。
◇ 杉 ― 2009/12/31 09:08:41
長生きの秘訣? 年寄りが言った。二、三百年考えさせてくれ。
おれが返事に窮していると、冗談だよと年寄りは続けた。二、三百年も待ってたら、あんたもう生きてないだろう。はあ、まあ。おれは何とも情けない声で返事をした。冗談をいわれるとは思わなかった。もっと、こう、真面目な相手のような気がしていたのだ。
あんたは長生きしたいのかね、と年寄りに聞き返されて、特にそういうわけではないと思った。長生きの秘訣を尋ねたのは、他に気の利いた質問を思いつかなかったからだ。ものすごい年寄りを目の前にしたら誰だってまずはその辺から聞いてしまうのではなかろうか。
では長生きしたくないのか。そう改めて聞かれてまたまたおれは口ごもった。もちろんすぐに死ぬのはいやだけど、とりわけ長生きをしたいとも思わない。だからおれは素直にそう返事をした。ギネスブックに載りたいわけじゃないですね。
ギネスブック? と年寄りが訊く。何だねそれは。
おれはちょっと焦った。ギネスブックが何かを知らない年寄りにギネスブックについて説明するには何から始めればいいのだろう?
ギネスというはビールのメーカーで、というところから語り起こすべきか、だからそもそもは酒を飲みながら話すのにうってつけな話題、すなわちギネスが進む雑学ネタを集めた本として、つまりはパブでのビールの売れ行きを促進するためのセールスプロモーションの一環として始まったらしいとか、いやいや、そんな本の歴史みたいな話はいらないだろう。もっとずばっと本の特徴を捉えて言えばよかろう。
世界記録がいろいろ書いてある本です。おれは説明を試みた。毎年出版されていて、世界一爪が長い人とか、信じられないくらいのっぽの人とか、林檎の皮むきの記録とか、ものすごく太った犬とか、スポーツの記録とか、巨大な建築や、速い乗物や、珍しい生き物とかが載っていて、だいたい思いつく限りありとあらゆる世界記録が書いてあります。人間やら動物やらの世界一の年寄りも載ってますね。
ふうん。年寄りはうなずいた。誰が読むんだね、そんなものを。
誰が? そうですね、そういう変わった記録に興味がある人が。あ。そうそう。ギネスというのはビールのメーカーでね、そもそもは酒を飲みながら話すと面白そうな小ネタ集として始まった本らしいですよ。
そうかそうか。酒を飲みながら話す内容か。それならわかる。
しまった。やっぱりそこから語り起こせば良かったのか。
London...
えっ?
When I was in London.
年寄りは懐かしい時代を思い起こすように目を閉じ、うっとりした表情になって、しかも妙に綺麗なブリティッシュ・イングリッシュで話し始めた。自慢じゃないが学生時代英語では赤点をとり続けたおれはあわててさえぎった。ちょちょちょっと待ってください。おれ英語ダメなんですよ。
年寄りは少しだけ目を開けると、冷ややかな横目でおれを一瞥し、また目をつむるとするすると首を引っ込め、前肢、後肢も引っ込めてしまった。たったいまのいままでおれに話しかけていた年寄りの姿はもうなく、そこには巨大な岩の塊然とした物体があるばかりだ。
あの、とおれは声をかけた。すみません、余計なことを言いました。けれど返事はなく、おれの言葉はむなしくゾウガメ舍の空中に吸い込まれていった。とたんにおれは我に返ったようになった。真夜中の動物園。ゾウガメ舍でゾウガメに向かって独り言を呟く男、それがおれだ。ゾウガメが自分に話しかけてきたと思い込んで長生きの秘訣を尋ねたり、ギネスブックについて説明を試みたりしたが、全部幻聴だったに違いない。おれは頭がどうかしているのだ。女房と子どもと三人、幸せに暮らしているのに、自分が自分でないような、このままではいけないような気がし始めていたのも、少々頭がおかしくなり始めていたせいかもしれない。
途方に暮れておれはしばらくそのまま立ち尽くしていたが、ゾウガメは動こうともしなかった。考えてみれば、ゾウガメは最初からそうやって寝ていただけなのかもしれない。喋っていると思い込んでいたのはおれの幻覚だったのだろう。ゾウガメがロンドンで暮らしていたなんて、どんな夢を見ていたんだ? おれは自分の想像力の突拍子もなさに呆れて少し笑った。
ふと気づくとゾウガメの甲羅を掃除するためのデッキブラシを持ったままだった。甲羅の掃除が途中だったが、もういいだろう。バケツに突っ込んで洗って片付けよう。片付けて、宿直室に戻ろう。動物園はやめるべきかもしれない。これが最後のお勤めだ。目が覚めたよ、アルダブラゾウガメさん。解説ボードに目をやりながらおれは心の裡でつぶやいた。あんたのおかげで自分を見つめ直すきっかけになった。すごいな、アルダブラゾウガメさん。推定220歳。世界最長寿の生き物の可能性あり。セーシェル生まれ。セーシェルってどこだ? 全然わかんないぞ。1793年、フランス海軍に捕獲されパリ動物園へ。1815年、ロンドン動物園に譲渡。1952年、日本へ。上野動物園で人気者に。1973年から1988年まで天王寺動物園、1995年より当園で暮らす。……えっ?
ロンドン動物園?
おれは思わず声に出して言った。だから言ったろう。年寄りは続けた。ロンドンで暮らしていたってな。
(「London」ordered by frodohart-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
おれが返事に窮していると、冗談だよと年寄りは続けた。二、三百年も待ってたら、あんたもう生きてないだろう。はあ、まあ。おれは何とも情けない声で返事をした。冗談をいわれるとは思わなかった。もっと、こう、真面目な相手のような気がしていたのだ。
あんたは長生きしたいのかね、と年寄りに聞き返されて、特にそういうわけではないと思った。長生きの秘訣を尋ねたのは、他に気の利いた質問を思いつかなかったからだ。ものすごい年寄りを目の前にしたら誰だってまずはその辺から聞いてしまうのではなかろうか。
では長生きしたくないのか。そう改めて聞かれてまたまたおれは口ごもった。もちろんすぐに死ぬのはいやだけど、とりわけ長生きをしたいとも思わない。だからおれは素直にそう返事をした。ギネスブックに載りたいわけじゃないですね。
ギネスブック? と年寄りが訊く。何だねそれは。
おれはちょっと焦った。ギネスブックが何かを知らない年寄りにギネスブックについて説明するには何から始めればいいのだろう?
ギネスというはビールのメーカーで、というところから語り起こすべきか、だからそもそもは酒を飲みながら話すのにうってつけな話題、すなわちギネスが進む雑学ネタを集めた本として、つまりはパブでのビールの売れ行きを促進するためのセールスプロモーションの一環として始まったらしいとか、いやいや、そんな本の歴史みたいな話はいらないだろう。もっとずばっと本の特徴を捉えて言えばよかろう。
世界記録がいろいろ書いてある本です。おれは説明を試みた。毎年出版されていて、世界一爪が長い人とか、信じられないくらいのっぽの人とか、林檎の皮むきの記録とか、ものすごく太った犬とか、スポーツの記録とか、巨大な建築や、速い乗物や、珍しい生き物とかが載っていて、だいたい思いつく限りありとあらゆる世界記録が書いてあります。人間やら動物やらの世界一の年寄りも載ってますね。
ふうん。年寄りはうなずいた。誰が読むんだね、そんなものを。
誰が? そうですね、そういう変わった記録に興味がある人が。あ。そうそう。ギネスというのはビールのメーカーでね、そもそもは酒を飲みながら話すと面白そうな小ネタ集として始まった本らしいですよ。
そうかそうか。酒を飲みながら話す内容か。それならわかる。
しまった。やっぱりそこから語り起こせば良かったのか。
London...
えっ?
When I was in London.
年寄りは懐かしい時代を思い起こすように目を閉じ、うっとりした表情になって、しかも妙に綺麗なブリティッシュ・イングリッシュで話し始めた。自慢じゃないが学生時代英語では赤点をとり続けたおれはあわててさえぎった。ちょちょちょっと待ってください。おれ英語ダメなんですよ。
年寄りは少しだけ目を開けると、冷ややかな横目でおれを一瞥し、また目をつむるとするすると首を引っ込め、前肢、後肢も引っ込めてしまった。たったいまのいままでおれに話しかけていた年寄りの姿はもうなく、そこには巨大な岩の塊然とした物体があるばかりだ。
あの、とおれは声をかけた。すみません、余計なことを言いました。けれど返事はなく、おれの言葉はむなしくゾウガメ舍の空中に吸い込まれていった。とたんにおれは我に返ったようになった。真夜中の動物園。ゾウガメ舍でゾウガメに向かって独り言を呟く男、それがおれだ。ゾウガメが自分に話しかけてきたと思い込んで長生きの秘訣を尋ねたり、ギネスブックについて説明を試みたりしたが、全部幻聴だったに違いない。おれは頭がどうかしているのだ。女房と子どもと三人、幸せに暮らしているのに、自分が自分でないような、このままではいけないような気がし始めていたのも、少々頭がおかしくなり始めていたせいかもしれない。
途方に暮れておれはしばらくそのまま立ち尽くしていたが、ゾウガメは動こうともしなかった。考えてみれば、ゾウガメは最初からそうやって寝ていただけなのかもしれない。喋っていると思い込んでいたのはおれの幻覚だったのだろう。ゾウガメがロンドンで暮らしていたなんて、どんな夢を見ていたんだ? おれは自分の想像力の突拍子もなさに呆れて少し笑った。
ふと気づくとゾウガメの甲羅を掃除するためのデッキブラシを持ったままだった。甲羅の掃除が途中だったが、もういいだろう。バケツに突っ込んで洗って片付けよう。片付けて、宿直室に戻ろう。動物園はやめるべきかもしれない。これが最後のお勤めだ。目が覚めたよ、アルダブラゾウガメさん。解説ボードに目をやりながらおれは心の裡でつぶやいた。あんたのおかげで自分を見つめ直すきっかけになった。すごいな、アルダブラゾウガメさん。推定220歳。世界最長寿の生き物の可能性あり。セーシェル生まれ。セーシェルってどこだ? 全然わかんないぞ。1793年、フランス海軍に捕獲されパリ動物園へ。1815年、ロンドン動物園に譲渡。1952年、日本へ。上野動物園で人気者に。1973年から1988年まで天王寺動物園、1995年より当園で暮らす。……えっ?
ロンドン動物園?
おれは思わず声に出して言った。だから言ったろう。年寄りは続けた。ロンドンで暮らしていたってな。
(「London」ordered by frodohart-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
◇ 某 ― 2009/12/31 08:21:05
○男の回想
子ども(女1)「かあさん、この木はなんて木?」
母(男1)「樫だよ、なにガシ」
子ども「ナニガシ?」
母「そう、ナニガシ」
子ども「ナニガシっていうの?」
母「うるさいね。そう言ってるだろう」
子ども「じゃあ樅の木じゃないの?」
母「モミノキ? モミノキじゃないねえ」
子ども「じゃあクリスマスツリーにはできないの?」
母「クリスマスツリー? どうしてまたクリスマスツリーになんかするのさ」
子ども「クリスマスの飾り付けをしたいから」
母「どうしてまたクリスマスの飾り付けなんかしたいのさ」
子ども「クリスマスだからだよ」
母「じゃあ何かい? クリスマスだったらみんな飾り付けしなくちゃならないのかい?」
子ども「みんなしてるじゃないか」
母「みんながしてたらあんたは人だって殺すのかい?」
子ども「殺さないよ。それにみんなは人を殺してなんかいないよ」
母「おだまり!」
子ども「……」
母「おしゃべり!」
子ども「え?」
母「だまってないでしゃべりなさい場が持たないから!」
子ども「そんなあ」
母「うちはね」
子ども「え?」
母「うちはクリスマスはやらないからダメだよ」
子ども「どうして? どうしてやらないの?」
母「うちはイスラム教だからね」
子ども「ええ?」
○現在
男1「それがきっかけ」
女1「それがきっかけ?」
男1「そう。そんな風にしておれはムスリムになったんだ」
女1「なーんだ」
男1「なーんだって何だ」
女1「だってそれ、冗談でしょ?」
男1「ちっちっち。おまえはおれのおふくろを知らないからそんなことが言えるんだ」
女1「なに、 どういうこと」
男1「本当に改宗したんだ」
女1「本当に改宗した?」
男1「次の日の朝、おふくろは近所のモスクに行って改宗の手続きをしてきた」
女1「そんな。区役所の窓口じゃないんだから」
男1「甘いな」
女1「甘い?」
男1「イスラムに改宗するのは簡単なんだ」
女1「うわー嘘っぽい」
男1「マジだって。本当はモスクに行かなくったってできる。二人以上のムスリムの前で信仰告白をすればいい」
女1「信仰告白?」
男1「アシュハド・アン・ラー・イラーハ・イラーッラー、アシュハド・アンナ・ムハンマダン・ラスールッラー」
女1「ええと、イチ、イチ、なんだっけ」
男1「なにしてんの」
女1「救急車、呼ぼうと思って」
男1「イスラム教の信仰告白だ。『アッラーのほかに神はない。ムハンマドはアッラーの使徒である』ってね」
女1「でも先輩が入信したわけじゃないんでしょ?」
男1「親がムスリムなら子どもは自動的にムスリムなの」
女1「いやならやめればいいのに」
男1「別にいやじゃなかったからな」
女1「それほんとですか?」
男1「本当だ」
女1「適当に言ってませんか、その、ラーラーとか言うの」
男1「え? 信仰告白を疑ってんの?」
女1「っていうか、全部」
男1「いいんだけどさ。それが、ほら、飲めない理由」
女1「なんかすっきりしないなあ」
男1「おい。人の宗教つかまえてすっきりしないって」
女1「普通に『クルマ乗ってきた』とか言われた方がわかりやすいんですけど」
男1「クルマ乗ってねーし、マジ、ムスリムだし」
女1「ふーん」
男1「あれー。信仰の話をしてこんなテキトーな反応がかえってくるのは日本くらいだぞ」
女1「うん。でも、まあ」
男1「まあいいや。じゃあおまえは?」
女1「え? 何が?」
男1「おまえのクリスマスの思い出」
女1「いいですよ私は」
男1「よかないよ。おまえが子どものころのクリスマスの思い出話しませんかって言ったんだろ?」
女1「言ったけど」
男1「言ったけど、なんだよ」
女1「なんか思ってたのと、違うし」
男1「じゃ、どういうの思ってたんだよ」
女1「えー。そうだなあ」
○女の回想
兄(男1)「バカだなあミホは」
妹(女1)「いるもん」
兄(男1)「いるわけねーじゃん」
妹(女1)「だっているもん」
兄(男1)「俺、去年見たもん」
妹(女1)「何を?」
兄(男1)「おかあさんが夜中にこっそり」
妹(女1)「見てないくせに」
兄(男1)「見たんだって」
妹(女1)「ミホは見てないもん」
兄(男1)「だから俺が見たんだって」
妹(女1)「ミホはお兄ちゃんが寝てたの見たもん」
兄(男1)「そりゃ寝てるときもあったけど」
妹(女1)「ずっと見てたもん!」
兄(男1)「寝ないで見てたのかよ」
妹(女1)「ミホは寝ないで見てたもん!」
兄(男1)「サンタも来なかったろ」
妹(女1)「お兄ちゃんのバカ!」
兄(男1)「おい泣くなよ」
妹(女1)「泣いてないもん!」
兄(男1)「泣くなって」
妹(女1)「サンタさんいるもん!」
兄(男1)「あー」
妹(女1)「なに?」
兄(男1)「あれかもしれない」
妹(女1)「あれって?」
兄(男1)「妖精だったかも」
妹(女1)「ようせい?」
兄(男1)「おれが見たの、妖精だったかも」
妹(女1)「なんで妖精なの?」
兄(男1)「あれだよ、サンタさんの手下」
妹(女1)「サンタさんに手下がいるの?」
兄(男1)「だってほら、一晩で世界中の子どもたちに配るわけだから」
妹(女1)「ふーん」
○現在
男1「どうした」
女1「ん?」
男1「おまえの思い出話は?」
女1「やっぱやめた」
男1「なんで」
女1「なんかフツーなんだもん」
(「妖精」ordered by Buy on dip かりん。-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
子ども(女1)「かあさん、この木はなんて木?」
母(男1)「樫だよ、なにガシ」
子ども「ナニガシ?」
母「そう、ナニガシ」
子ども「ナニガシっていうの?」
母「うるさいね。そう言ってるだろう」
子ども「じゃあ樅の木じゃないの?」
母「モミノキ? モミノキじゃないねえ」
子ども「じゃあクリスマスツリーにはできないの?」
母「クリスマスツリー? どうしてまたクリスマスツリーになんかするのさ」
子ども「クリスマスの飾り付けをしたいから」
母「どうしてまたクリスマスの飾り付けなんかしたいのさ」
子ども「クリスマスだからだよ」
母「じゃあ何かい? クリスマスだったらみんな飾り付けしなくちゃならないのかい?」
子ども「みんなしてるじゃないか」
母「みんながしてたらあんたは人だって殺すのかい?」
子ども「殺さないよ。それにみんなは人を殺してなんかいないよ」
母「おだまり!」
子ども「……」
母「おしゃべり!」
子ども「え?」
母「だまってないでしゃべりなさい場が持たないから!」
子ども「そんなあ」
母「うちはね」
子ども「え?」
母「うちはクリスマスはやらないからダメだよ」
子ども「どうして? どうしてやらないの?」
母「うちはイスラム教だからね」
子ども「ええ?」
○現在
男1「それがきっかけ」
女1「それがきっかけ?」
男1「そう。そんな風にしておれはムスリムになったんだ」
女1「なーんだ」
男1「なーんだって何だ」
女1「だってそれ、冗談でしょ?」
男1「ちっちっち。おまえはおれのおふくろを知らないからそんなことが言えるんだ」
女1「なに、 どういうこと」
男1「本当に改宗したんだ」
女1「本当に改宗した?」
男1「次の日の朝、おふくろは近所のモスクに行って改宗の手続きをしてきた」
女1「そんな。区役所の窓口じゃないんだから」
男1「甘いな」
女1「甘い?」
男1「イスラムに改宗するのは簡単なんだ」
女1「うわー嘘っぽい」
男1「マジだって。本当はモスクに行かなくったってできる。二人以上のムスリムの前で信仰告白をすればいい」
女1「信仰告白?」
男1「アシュハド・アン・ラー・イラーハ・イラーッラー、アシュハド・アンナ・ムハンマダン・ラスールッラー」
女1「ええと、イチ、イチ、なんだっけ」
男1「なにしてんの」
女1「救急車、呼ぼうと思って」
男1「イスラム教の信仰告白だ。『アッラーのほかに神はない。ムハンマドはアッラーの使徒である』ってね」
女1「でも先輩が入信したわけじゃないんでしょ?」
男1「親がムスリムなら子どもは自動的にムスリムなの」
女1「いやならやめればいいのに」
男1「別にいやじゃなかったからな」
女1「それほんとですか?」
男1「本当だ」
女1「適当に言ってませんか、その、ラーラーとか言うの」
男1「え? 信仰告白を疑ってんの?」
女1「っていうか、全部」
男1「いいんだけどさ。それが、ほら、飲めない理由」
女1「なんかすっきりしないなあ」
男1「おい。人の宗教つかまえてすっきりしないって」
女1「普通に『クルマ乗ってきた』とか言われた方がわかりやすいんですけど」
男1「クルマ乗ってねーし、マジ、ムスリムだし」
女1「ふーん」
男1「あれー。信仰の話をしてこんなテキトーな反応がかえってくるのは日本くらいだぞ」
女1「うん。でも、まあ」
男1「まあいいや。じゃあおまえは?」
女1「え? 何が?」
男1「おまえのクリスマスの思い出」
女1「いいですよ私は」
男1「よかないよ。おまえが子どものころのクリスマスの思い出話しませんかって言ったんだろ?」
女1「言ったけど」
男1「言ったけど、なんだよ」
女1「なんか思ってたのと、違うし」
男1「じゃ、どういうの思ってたんだよ」
女1「えー。そうだなあ」
○女の回想
兄(男1)「バカだなあミホは」
妹(女1)「いるもん」
兄(男1)「いるわけねーじゃん」
妹(女1)「だっているもん」
兄(男1)「俺、去年見たもん」
妹(女1)「何を?」
兄(男1)「おかあさんが夜中にこっそり」
妹(女1)「見てないくせに」
兄(男1)「見たんだって」
妹(女1)「ミホは見てないもん」
兄(男1)「だから俺が見たんだって」
妹(女1)「ミホはお兄ちゃんが寝てたの見たもん」
兄(男1)「そりゃ寝てるときもあったけど」
妹(女1)「ずっと見てたもん!」
兄(男1)「寝ないで見てたのかよ」
妹(女1)「ミホは寝ないで見てたもん!」
兄(男1)「サンタも来なかったろ」
妹(女1)「お兄ちゃんのバカ!」
兄(男1)「おい泣くなよ」
妹(女1)「泣いてないもん!」
兄(男1)「泣くなって」
妹(女1)「サンタさんいるもん!」
兄(男1)「あー」
妹(女1)「なに?」
兄(男1)「あれかもしれない」
妹(女1)「あれって?」
兄(男1)「妖精だったかも」
妹(女1)「ようせい?」
兄(男1)「おれが見たの、妖精だったかも」
妹(女1)「なんで妖精なの?」
兄(男1)「あれだよ、サンタさんの手下」
妹(女1)「サンタさんに手下がいるの?」
兄(男1)「だってほら、一晩で世界中の子どもたちに配るわけだから」
妹(女1)「ふーん」
○現在
男1「どうした」
女1「ん?」
男1「おまえの思い出話は?」
女1「やっぱやめた」
男1「なんで」
女1「なんかフツーなんだもん」
(「妖精」ordered by Buy on dip かりん。-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
◇ 桜(後篇) ― 2009/12/19 11:48:06
(前篇【17】桜(前篇)×野外公演より続く)
ブザーが鳴って、のっそりと男が入ってきた。仏頂面の男だ。肩幅が広く、ずんぐりとして、鍛え上げた分厚い筋肉の鎧を身にまとい、近づく者を片っ端から傷つけずにはいられない、とでもいうようなコントロールのきかない感じがする。そんな男だったっけ? とおれは奇妙に感じる。誰か、よく似た別人が入ってきたのだろうか?
男は数歩進んだところで足をとめ、ギャラリースペースをじっくり眺め渡した。そして短く鋭く、ただいま、と言った。おれも思わず、おかえり、と返したくなったが、ギャラリー全体も同じように感じたのかどよどよと返事をしそうになった気配があった。その気配を感じてか、男は少し目を細めた。傍らに大振りなデュラレックスのグラスを見つけワインを注ぐと口に含み、ワインの入ったグラスを握ったままのしのしとギャラリーの奥へと足を運んだ。
ギャラリーの一番奥で語り始めたのはしかし、ひとりの少女だった。彼女は山奥の村に暮らしているのだが、村に病人が出たのをきっかけに父とともに薬を求めて旅に出る。伝説ではすべての病気を治療する魔法医が暮らす国が大いなる水の対岸にあるというのだ。
夢見がちな少女は物に触れては、その物にまつわるいつかどこかの不思議な場面を思い描き、語ることができた。村では彼女の語る幻想的な話を聞きたいばかりに、わざわざ危険を冒して古代の遺物を拾いに遠く村を離れてさまよう者もいた。それほどに少女の話は現実離れして、想像力を刺激したからだ。そう、少女の語る話はいずれも突飛なものばかりだった。
虹のように鮮やかな色をしたものどもに取り囲まれた暮らし。火を自在につけたり消したり、遠くの人と顔を合わせることもなく声を出すこともなく意思を通じ合わせる能力。一瞬にして水やお湯や氷を取り出す魔力を誰もが、子どもさえもが持っている世界。あまりにも荒唐無稽でばかばかしいのに、それを聞くうちに誰もがなぜか懐かしいような狂おしいような思いに捕われ、心かき乱される。そしてそれは決していやなものではなかった。
傍らのほっそりとした透明な器物を少女が手に取る。そしてそれが花瓶と呼ばれていたこと、その花瓶がどのようにして生まれ、どのような街角でどのようなものに紛れて売り買いされ、誰に家にやってきて、その家の女主人の悲しいひとりごとをどれくらいたっぷり聞かされたか語る。その女の家は杉よりも荒地岳よりも遥か高い場所にあり、そこへは歩くことなくまっすぐまっすぐ運ばれて行くのだという。
そういう便利なものがここにもあればいいんですがね、と不意に男が現れて言った。夢中になって男の物語に聞き入っていたギャラリーの観客がどよどよと笑う。そこでおれは初めて自分が自分自身のギャラリー兼オフィスにいて、男の話に聴き入っていたことを思い出した。男はこのビルにエレベーターがないことをからかっているのだ。言ってみればギャラリーの主のおれ自身がからかわれたようなものだが、それに反応する余裕はなかった。
おれはくらくらしていた。たったいままで自分がいた遥か文明以前の世界のリアルさに目眩をおぼえていたのだ。むんとするような草いきれ。質素な村での生活。食べ物。少女と、少女の語りを求める村人たち。その中の何人かは少女と親しくなりたい、身体の結びつきを持ちたいと切望する若者たちだった。おれは彼らの顔や名前すら知っているような気がした。
そうこうするうちに少女は村を離れ、父とともに遥かなる冒険に出かける。そしておれは初めてその世界が文明以前の古代ではなく、いまから何百年か何千年か後の世界、何かの災厄があっていまの文明が滅んだ後のアフター・ワールドであることを知った。少女が手にする物とはつまり、たったいま、現在おれたちが使っている道具たちのことだったのだ。
少女(男)はギャラリー内のものを次々に手に取ると、それぞれの謂れのものがたりを話し始める。それはおれたちにとっては極めて身近で等身大のものがたりだが、少女の世界においてはあまりにも現実離れしていて、少女と同行している父親は大笑いしたり、感嘆したりしながら感想をもらす。それは絶妙な文明批評になっていて、それを聞いているおれたちは顔をしかめて笑うことになる。
中盤、少女と父親が国立新美術館の遺跡を訪れるシーンは圧倒的な迫力で、ギャラリー内は静まり返った。徐々に明らかにされる過去のものがたりから、どうやら文明の破局は現在の我々からほど遠からぬほんの先に訪れるらしいことが分かってくるからだ。ジャングルに呑み込まれた国立新美術館の中の展示の日付の年号は最初の3桁が「201」なのだ。2010年よりは先、でも2020年よりは手前のいつか。
父親は猪を狩る途中に負傷し、おそらく破傷風にかかって命を落とす。季節は秋になり、冬になり、広葉樹が葉を落とすとそこにはよりはっきりと文明の遺跡が姿を現し始める。凍えそうになりながら少女は旅を続ける。他の部族との交流の中で、あるいは助けられ、あるいは傷つけられしながら、やがてたどりついたのは海の見える高台だ。
エンディングがどういうシーンだったのか、おれには説明することができない。ただギャラリーを埋め尽くす50人ばかりの観客はようやく訪れた春先のまだ冷たい空気の中、桜吹雪に囲まれて茫然と立ち尽くしている。少女が空に向かってあげる澄んだ高い叫び声に耳を澄ましている。おれはわけもわからず涙を流しながら、ああなるほどこれは野外公演だなと思っている。
(「野外公演」ordered by shirok-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
ブザーが鳴って、のっそりと男が入ってきた。仏頂面の男だ。肩幅が広く、ずんぐりとして、鍛え上げた分厚い筋肉の鎧を身にまとい、近づく者を片っ端から傷つけずにはいられない、とでもいうようなコントロールのきかない感じがする。そんな男だったっけ? とおれは奇妙に感じる。誰か、よく似た別人が入ってきたのだろうか?
男は数歩進んだところで足をとめ、ギャラリースペースをじっくり眺め渡した。そして短く鋭く、ただいま、と言った。おれも思わず、おかえり、と返したくなったが、ギャラリー全体も同じように感じたのかどよどよと返事をしそうになった気配があった。その気配を感じてか、男は少し目を細めた。傍らに大振りなデュラレックスのグラスを見つけワインを注ぐと口に含み、ワインの入ったグラスを握ったままのしのしとギャラリーの奥へと足を運んだ。
ギャラリーの一番奥で語り始めたのはしかし、ひとりの少女だった。彼女は山奥の村に暮らしているのだが、村に病人が出たのをきっかけに父とともに薬を求めて旅に出る。伝説ではすべての病気を治療する魔法医が暮らす国が大いなる水の対岸にあるというのだ。
夢見がちな少女は物に触れては、その物にまつわるいつかどこかの不思議な場面を思い描き、語ることができた。村では彼女の語る幻想的な話を聞きたいばかりに、わざわざ危険を冒して古代の遺物を拾いに遠く村を離れてさまよう者もいた。それほどに少女の話は現実離れして、想像力を刺激したからだ。そう、少女の語る話はいずれも突飛なものばかりだった。
虹のように鮮やかな色をしたものどもに取り囲まれた暮らし。火を自在につけたり消したり、遠くの人と顔を合わせることもなく声を出すこともなく意思を通じ合わせる能力。一瞬にして水やお湯や氷を取り出す魔力を誰もが、子どもさえもが持っている世界。あまりにも荒唐無稽でばかばかしいのに、それを聞くうちに誰もがなぜか懐かしいような狂おしいような思いに捕われ、心かき乱される。そしてそれは決していやなものではなかった。
傍らのほっそりとした透明な器物を少女が手に取る。そしてそれが花瓶と呼ばれていたこと、その花瓶がどのようにして生まれ、どのような街角でどのようなものに紛れて売り買いされ、誰に家にやってきて、その家の女主人の悲しいひとりごとをどれくらいたっぷり聞かされたか語る。その女の家は杉よりも荒地岳よりも遥か高い場所にあり、そこへは歩くことなくまっすぐまっすぐ運ばれて行くのだという。
そういう便利なものがここにもあればいいんですがね、と不意に男が現れて言った。夢中になって男の物語に聞き入っていたギャラリーの観客がどよどよと笑う。そこでおれは初めて自分が自分自身のギャラリー兼オフィスにいて、男の話に聴き入っていたことを思い出した。男はこのビルにエレベーターがないことをからかっているのだ。言ってみればギャラリーの主のおれ自身がからかわれたようなものだが、それに反応する余裕はなかった。
おれはくらくらしていた。たったいままで自分がいた遥か文明以前の世界のリアルさに目眩をおぼえていたのだ。むんとするような草いきれ。質素な村での生活。食べ物。少女と、少女の語りを求める村人たち。その中の何人かは少女と親しくなりたい、身体の結びつきを持ちたいと切望する若者たちだった。おれは彼らの顔や名前すら知っているような気がした。
そうこうするうちに少女は村を離れ、父とともに遥かなる冒険に出かける。そしておれは初めてその世界が文明以前の古代ではなく、いまから何百年か何千年か後の世界、何かの災厄があっていまの文明が滅んだ後のアフター・ワールドであることを知った。少女が手にする物とはつまり、たったいま、現在おれたちが使っている道具たちのことだったのだ。
少女(男)はギャラリー内のものを次々に手に取ると、それぞれの謂れのものがたりを話し始める。それはおれたちにとっては極めて身近で等身大のものがたりだが、少女の世界においてはあまりにも現実離れしていて、少女と同行している父親は大笑いしたり、感嘆したりしながら感想をもらす。それは絶妙な文明批評になっていて、それを聞いているおれたちは顔をしかめて笑うことになる。
中盤、少女と父親が国立新美術館の遺跡を訪れるシーンは圧倒的な迫力で、ギャラリー内は静まり返った。徐々に明らかにされる過去のものがたりから、どうやら文明の破局は現在の我々からほど遠からぬほんの先に訪れるらしいことが分かってくるからだ。ジャングルに呑み込まれた国立新美術館の中の展示の日付の年号は最初の3桁が「201」なのだ。2010年よりは先、でも2020年よりは手前のいつか。
父親は猪を狩る途中に負傷し、おそらく破傷風にかかって命を落とす。季節は秋になり、冬になり、広葉樹が葉を落とすとそこにはよりはっきりと文明の遺跡が姿を現し始める。凍えそうになりながら少女は旅を続ける。他の部族との交流の中で、あるいは助けられ、あるいは傷つけられしながら、やがてたどりついたのは海の見える高台だ。
エンディングがどういうシーンだったのか、おれには説明することができない。ただギャラリーを埋め尽くす50人ばかりの観客はようやく訪れた春先のまだ冷たい空気の中、桜吹雪に囲まれて茫然と立ち尽くしている。少女が空に向かってあげる澄んだ高い叫び声に耳を澄ましている。おれはわけもわからず涙を流しながら、ああなるほどこれは野外公演だなと思っている。
(「野外公演」ordered by shirok-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
◇ 桜(前篇) ― 2009/10/22 17:39:51
山から神様が降りてきた。桜はその玉座である。
その神は稲の豊作をもたらすサの神で、私たちはサの神を田に導くためにさまざまな催しを行う。桜の木の下で宴を開き、歌や踊りを捧げご機嫌をうかがう。華やかに咲き誇る桜の花は、目には見えない神の印だ。その満開の桜の見事さを褒め讃え、私たちがどれだけサの神を待ちに待っていたかという思いを伝える。
サクラとはサの神の御座(みくら)という意味なのだ。
私たちは満開の桜の下で酒を酌み交わし、サの神の領域に入っていく。そこで捧げる舞はサの神の目を楽しませるためのもので、そこで声に乗せる語りは神の耳を喜ばせるためのものだ。夜ともなると男女はサの神の豊穣の恵みを浴びて交合し子を授かろうとする。あるいはサの神の歓びにあやかろうとする。
このようにして、私たちの新しい年は始まる。
やがてサの神がその御座を離れたら、まず私たちの家に訪れ滞在する。めいめいに歓待しつつ、サの神に見守ってもらいながら私たちは苗代で苗を育てる。苗が育ちサの月が訪れたら、いよいよ田楽だ。サの神がこれから収穫の季節まで留まるにふさわしい場所だということをわかってもらうために、私たちは歌い舞い酒食を捧げる。
だから若い人、どうか忘れないでほしい。サの神が見ているのだということを。
* * *
目醒めた後も夢をはっきりと覚えていて、語りかけていた声もはっきり耳に残っていた。おれはソファから身を起こすと思わず誰かいないか探した。ついいましがた、おれに向かって話しかけていた人物が見つかるような気がしたからだ。探しても誰もいない。ただの夢なのだから。頭で考えればわかりきったことだったが、それでもまだおれの目は夕闇に沈みつつある事務所兼ギャラリーの中を彷徨っていた。
ここにはたくさんの古道具がある。ソファがあり、診察台があり、磨りガラスの窓枠があり、ガラスケースがあり、薬棚があり、無数の額縁がある。取り付け金具やスイッチ類、小さなケース類や灰皿など小物にいたっては自分でもどのくらいあるのかわからないほどある。それらがみな暗くなったギャラリーの、がらんとした空間のあちこちに黒々と身をひそめ、静まり返っている。
そういったものに、独特のたたずまいがあることを、おれは否定しない。骨董市や古道具屋やインターネットのオークションで手に入れたものも多数あるが、中には取り壊された建物からもらってきたり、知人の家の物置や倉庫をあさって譲り受けたりしたものも多い。霊感の強い友人がいろいろ理由を付けて事務所に寄り付かなくなったところを見ると、どうやらこの世ならぬ存在をいろいろ引き連れてきてしまっているらしい。
もっとも、おれは幽霊を見たことはないし、霊感と呼べるほどのものもない。非常に怖がりなので、しょっちゅう視線を感じたり、悪寒を感じたりするが、霊感の強い友人にいわせればみんな気の迷いに過ぎないということになる。実際このギャラリーを始めてかれこれ4、5年になるが、その間、特段これといった怪異現象もなく無事に過ごしている。まあ、怪異現象に限っては無事に過ごしている。
監禁されたり、殺されかけたり、骨折したり、変な組織の構成員にされそうになったり、いろいろあったが、どれも怪異現象ということではない。あくまでもろくでもない連中と関わったために、ろくでもない目に合った、それだけのことだ。桜は神の玉座だ? サの神? 田楽? 何のことだかさっぱりわからない。おれは寝ていたソファから立ち上がると、出入り口の近くのスイッチまで歩き、部屋の明かりをつけた。ドアに鍵をかけていなかったことに気づき、自分の不用心さに舌打ちをした。いままでさんざん危ない目に合ったのだ、もう少し気をつけなければならない。
それから部屋に戻ろうと振り向いて仰天した。誰もいなかったはずのギャラリーに一人の男が立っていたからだ。男は仏頂面をしてこちらを見ていた。おれは混乱しながら男に尋ねた。ずっとそこにいたんですか、と。ええまあ、よく寝ておられたので。すみませんすみません、眠るつもりなんかなかったんですが。それはいいんですがね。そう言うと男は少し声をひそめておれに尋ねた。ここで演劇の公演ができると聞いたんですが。はい、いままでにも何回か使われてますよ。素晴らしい! 男はぴしりと言うと口をつぐみ、ギャラリー内を見渡した。それからおもむろに口を開くと、こう言った。野外公演を考えているんですがね。(続く)
(「野外公演」ordered by shirok-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
その神は稲の豊作をもたらすサの神で、私たちはサの神を田に導くためにさまざまな催しを行う。桜の木の下で宴を開き、歌や踊りを捧げご機嫌をうかがう。華やかに咲き誇る桜の花は、目には見えない神の印だ。その満開の桜の見事さを褒め讃え、私たちがどれだけサの神を待ちに待っていたかという思いを伝える。
サクラとはサの神の御座(みくら)という意味なのだ。
私たちは満開の桜の下で酒を酌み交わし、サの神の領域に入っていく。そこで捧げる舞はサの神の目を楽しませるためのもので、そこで声に乗せる語りは神の耳を喜ばせるためのものだ。夜ともなると男女はサの神の豊穣の恵みを浴びて交合し子を授かろうとする。あるいはサの神の歓びにあやかろうとする。
このようにして、私たちの新しい年は始まる。
やがてサの神がその御座を離れたら、まず私たちの家に訪れ滞在する。めいめいに歓待しつつ、サの神に見守ってもらいながら私たちは苗代で苗を育てる。苗が育ちサの月が訪れたら、いよいよ田楽だ。サの神がこれから収穫の季節まで留まるにふさわしい場所だということをわかってもらうために、私たちは歌い舞い酒食を捧げる。
だから若い人、どうか忘れないでほしい。サの神が見ているのだということを。
* * *
目醒めた後も夢をはっきりと覚えていて、語りかけていた声もはっきり耳に残っていた。おれはソファから身を起こすと思わず誰かいないか探した。ついいましがた、おれに向かって話しかけていた人物が見つかるような気がしたからだ。探しても誰もいない。ただの夢なのだから。頭で考えればわかりきったことだったが、それでもまだおれの目は夕闇に沈みつつある事務所兼ギャラリーの中を彷徨っていた。
ここにはたくさんの古道具がある。ソファがあり、診察台があり、磨りガラスの窓枠があり、ガラスケースがあり、薬棚があり、無数の額縁がある。取り付け金具やスイッチ類、小さなケース類や灰皿など小物にいたっては自分でもどのくらいあるのかわからないほどある。それらがみな暗くなったギャラリーの、がらんとした空間のあちこちに黒々と身をひそめ、静まり返っている。
そういったものに、独特のたたずまいがあることを、おれは否定しない。骨董市や古道具屋やインターネットのオークションで手に入れたものも多数あるが、中には取り壊された建物からもらってきたり、知人の家の物置や倉庫をあさって譲り受けたりしたものも多い。霊感の強い友人がいろいろ理由を付けて事務所に寄り付かなくなったところを見ると、どうやらこの世ならぬ存在をいろいろ引き連れてきてしまっているらしい。
もっとも、おれは幽霊を見たことはないし、霊感と呼べるほどのものもない。非常に怖がりなので、しょっちゅう視線を感じたり、悪寒を感じたりするが、霊感の強い友人にいわせればみんな気の迷いに過ぎないということになる。実際このギャラリーを始めてかれこれ4、5年になるが、その間、特段これといった怪異現象もなく無事に過ごしている。まあ、怪異現象に限っては無事に過ごしている。
監禁されたり、殺されかけたり、骨折したり、変な組織の構成員にされそうになったり、いろいろあったが、どれも怪異現象ということではない。あくまでもろくでもない連中と関わったために、ろくでもない目に合った、それだけのことだ。桜は神の玉座だ? サの神? 田楽? 何のことだかさっぱりわからない。おれは寝ていたソファから立ち上がると、出入り口の近くのスイッチまで歩き、部屋の明かりをつけた。ドアに鍵をかけていなかったことに気づき、自分の不用心さに舌打ちをした。いままでさんざん危ない目に合ったのだ、もう少し気をつけなければならない。
それから部屋に戻ろうと振り向いて仰天した。誰もいなかったはずのギャラリーに一人の男が立っていたからだ。男は仏頂面をしてこちらを見ていた。おれは混乱しながら男に尋ねた。ずっとそこにいたんですか、と。ええまあ、よく寝ておられたので。すみませんすみません、眠るつもりなんかなかったんですが。それはいいんですがね。そう言うと男は少し声をひそめておれに尋ねた。ここで演劇の公演ができると聞いたんですが。はい、いままでにも何回か使われてますよ。素晴らしい! 男はぴしりと言うと口をつぐみ、ギャラリー内を見渡した。それからおもむろに口を開くと、こう言った。野外公演を考えているんですがね。(続く)
(「野外公演」ordered by shirok-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
ひっそり告知「色のカタチ展」 ― 2009/10/21 16:15:33

「要予約」「平日のみ」「しかも17:00閉館」ということで、
一般のギャラリーに比べてもろもろハードルが多く、
なかなか「気軽にお越しください」と言えないのが残念なのですが、
また、絵とことばのコラボレーションによる展覧会が始まりました。
(10/19-12/28。入場無料。要予約。平日10:00-17:00。入館は16:30まで)
サイトのコピーを転載するとこんな感じの催しです。
==========
カンヌ国際展覧会で2年連続大金賞を受賞するなど、世界的評価を獲得するテツ山下による極彩色の貼り絵と、ことばの物語性を追及する高階經啓が選んだ漢字を書家・白翠がカタチにした想像力を刺激する書。貼り絵と書の競演が生むアート空間をご鑑賞ください。
==========
このテツ山下さんの作品はとにかくすごい。細かい色紙片を膨大に使った貼り絵なんですが、その緻密さと繊細さと力強さにはほれぼれしてしまいます。海外では「ペーパーキルト」なんて呼ばれたりしているそうで、カンヌ国際展覧会では受賞常連みたいです。
予約しないと入れない部屋には原画が展示されているので、見に行く方は是非「生涯に一度の愛」「時間1」をお見逃しなく。白翠さんの書も非常にキュートだったり大胆だったりコミカルだったりして表情豊かです。
先日テツ山下さんと、白翠さんと、三人一堂に会したんですが、テツさんは非常に腰の低いやさしい印象の人で、でも話を聞くとかなり骨太の武闘派で、白翠さんは一見もの静かなんだけどこれまたかなり芯の強いエッジのきいたアーティストと見受けました。
なんか、おれ、フツーだな、なんてさびしくなったり(笑)。
というわけでぼく以外の二人がすごい展覧会、幾多のハードルを乗り越えられるという奇特な方はぜひ脚をお運びください。
アートギャラリー2009「色のカタチ展」
http://www.ricoh.co.jp/about/showroom/pic/event200910.html
「プリンティング・イノベーション・センター 東京」
http://www.ricoh.co.jp/about/showroom/pic/index.html
一般のギャラリーに比べてもろもろハードルが多く、
なかなか「気軽にお越しください」と言えないのが残念なのですが、
また、絵とことばのコラボレーションによる展覧会が始まりました。
(10/19-12/28。入場無料。要予約。平日10:00-17:00。入館は16:30まで)
サイトのコピーを転載するとこんな感じの催しです。
==========
カンヌ国際展覧会で2年連続大金賞を受賞するなど、世界的評価を獲得するテツ山下による極彩色の貼り絵と、ことばの物語性を追及する高階經啓が選んだ漢字を書家・白翠がカタチにした想像力を刺激する書。貼り絵と書の競演が生むアート空間をご鑑賞ください。
==========
このテツ山下さんの作品はとにかくすごい。細かい色紙片を膨大に使った貼り絵なんですが、その緻密さと繊細さと力強さにはほれぼれしてしまいます。海外では「ペーパーキルト」なんて呼ばれたりしているそうで、カンヌ国際展覧会では受賞常連みたいです。
予約しないと入れない部屋には原画が展示されているので、見に行く方は是非「生涯に一度の愛」「時間1」をお見逃しなく。白翠さんの書も非常にキュートだったり大胆だったりコミカルだったりして表情豊かです。
先日テツ山下さんと、白翠さんと、三人一堂に会したんですが、テツさんは非常に腰の低いやさしい印象の人で、でも話を聞くとかなり骨太の武闘派で、白翠さんは一見もの静かなんだけどこれまたかなり芯の強いエッジのきいたアーティストと見受けました。
なんか、おれ、フツーだな、なんてさびしくなったり(笑)。
というわけでぼく以外の二人がすごい展覧会、幾多のハードルを乗り越えられるという奇特な方はぜひ脚をお運びください。
アートギャラリー2009「色のカタチ展」
http://www.ricoh.co.jp/about/showroom/pic/event200910.html
「プリンティング・イノベーション・センター 東京」
http://www.ricoh.co.jp/about/showroom/pic/index.html
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