【お題78】嬉しい! ― 2008/02/17 06:47:24
「嬉しい!」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。
作品の最後に
(「嬉しい!」ordered by 花おり-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。
====================
◇ Paradise Lost
「嬉しい!」というのが彼女の口癖だった。
空が良く晴れていても「嬉しい!」。休講で時間があいても「嬉しい!」。誰かがカフェテラスで水を運んできてくれても「嬉しい!」。そのあたりは、まあわかる。ちょっとそこは違うんじゃないかというところにも「嬉しい!」と彼女は言う。たとえば駅から大学までの短い道のりでばったり出会う。そして「嬉しい!」とか言う。「おはよう」より先に「嬉しい!」と言うのだ。弁解するわけじゃないが誤解するなという方が無理だ。いままでの人生で、ただ道ばたで会っただけで嬉しがってくれる人なんていなかったわけだから。
おれが彼女のことがどんどん気になるようになっていったのは、つまり、だから、自然な成り行きだったわけだ。同時にまわりにいたもてない男たちがみんな一斉に彼女に夢中になったのは、何というか、蟻の巣の近くに砂糖の山をつくったようなもので、これはもう「そうなるしかないっしょう!」という流れだった。
おれはその有象無象と一緒になりたくないので、距離をおくことにしていた。別にカッコつけるわけじゃないが、小さいころから群れるのはキライなのだ。そのおかげでみんなが楽しい思いをしているところに参加しそこねてずいぶん損をしてきたが、まあそれが性格だから仕方がない。何でもだいたいブームが過ぎてからようやく手を出している。旬に乗り遅れる男なのだ。
でもそうやって群れから距離をおこうとすると、彼女が全然違うやつに言う「嬉しい!」を離れたところから聞いてしまうことになる。で、「おれの『嬉しい!』をあんなやつに!」とか思うわけだ。「『嬉しい!』をそんな風に安売りしちゃイカン!」とかね。まあ本当は、別におれの「嬉しい!」じゃないんだけど、もうそういうことはわかっていないんだな。
誰かが部室に差し入れを持ってくる。彼女が「嬉しい!」と言う。偶然誕生日が同じやつがいる。彼女が「嬉しい!」と言う。たまたま田舎が彼女と同じ山口県組が3人もいる。彼女が「嬉しい!」と言う。おれの出番はない。おれは彼女の「嬉しい!」の外にいる。いわば指をくわえてみている状態だ。みっともないことこのうえない。そういうのがイヤで、おれはだんだんつき合いが悪い奴になりつつあった。
ところがある時、気づいてしまうんだな。この男の子受けのいい「嬉しい!」は、同性からは白い目で見られているということに。おれが少し距離をおいているのをどう誤解したのか、サークルの女子たちがおれのところに「あの子、勘違いしてるよねー」と相談しに来たので発覚したのだ。いわく「可愛い子ぶってる」。いわく「媚びてる」。いわく「計算してる」。そういう視点で見れば確かにまあそう見えなくはない。特に人気を独占されてつまらない思いをしている女子たちからすれば。
つくづくあの時、彼女に余計なことを言わないでよかったと思う。あのできごとがなかったら、おれは彼女に向かって善意の忠告のフリをして「その『嬉しい!』っていうの、ちょっと控えた方がいいと思うよ」とか、いやったらしいアドバイスなんかをしていたと思うのだ。それはもう紙一重だったと思うのだ。でも実際にはものごとはもっと奇妙な方向に動いた。
彼女の信奉者の男たちが彼女を沈黙させてしまったのだ。彼らはまず「あの『嬉しい!』っていうのがいいんだよね」と遅まきながら話題にし始めた。いまごろになって気づいたのだ。やがて「ああいう風に感じよく話せるといいよな」ということになり、突如ワンフレーズ・コミュニケーションのブームが訪れたのだ。
「嬉しい!」をそのままマネするのはさすがに気が引けたらしく、めいめいがいろんな工夫をして一言フレーズを開発した。「サンキュッ!」というやつがいるかと思えば、「なるほどなるほど」というやつがいる。「すごいね」というやつもいれば「ありがたい!」なんてやつもいる。それが彼女を取り巻く集団からぽんぽん飛び出すようになったのだ。これはマンガ的情景である。
彼女自身がそれをどう思っていたのか、肯定していたのか、そのあたりの事情はわからない。でも結論から言うと、これはパロディでネタ元を愚弄してる以外の何物でもなかった。やがて彼女は「嬉しい!」と口にすることがなくなり、それと同時に憑き物が落ちたように、群れていた男たちは離れていった。
もう大学までの道のりで会っても彼女が「嬉しい!」と言うことはない。ちょっと微笑んで、そういうときに何を言ったらいいのかわからず口ごもる。とても内気で自信のない女の子になってしまった。あんなに嫌っていた女子軍団は彼女を受け入れて仲良さそうに見える。ものごとは収まるべきところに収まった、そう、言えなくもない。でもおれは不満なんだな。おれとしてはもう一度「嬉しい!」を聞きたいんだな。だから「嬉しい!」というしかない本当に嬉しいことを彼女にしてやりたいと思うんだ。なにしろおれは旬に乗り遅れる男なのだから。
(「嬉しい!」ordered by 花おり-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。
作品の最後に
(「嬉しい!」ordered by 花おり-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。
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◇ Paradise Lost
「嬉しい!」というのが彼女の口癖だった。
空が良く晴れていても「嬉しい!」。休講で時間があいても「嬉しい!」。誰かがカフェテラスで水を運んできてくれても「嬉しい!」。そのあたりは、まあわかる。ちょっとそこは違うんじゃないかというところにも「嬉しい!」と彼女は言う。たとえば駅から大学までの短い道のりでばったり出会う。そして「嬉しい!」とか言う。「おはよう」より先に「嬉しい!」と言うのだ。弁解するわけじゃないが誤解するなという方が無理だ。いままでの人生で、ただ道ばたで会っただけで嬉しがってくれる人なんていなかったわけだから。
おれが彼女のことがどんどん気になるようになっていったのは、つまり、だから、自然な成り行きだったわけだ。同時にまわりにいたもてない男たちがみんな一斉に彼女に夢中になったのは、何というか、蟻の巣の近くに砂糖の山をつくったようなもので、これはもう「そうなるしかないっしょう!」という流れだった。
おれはその有象無象と一緒になりたくないので、距離をおくことにしていた。別にカッコつけるわけじゃないが、小さいころから群れるのはキライなのだ。そのおかげでみんなが楽しい思いをしているところに参加しそこねてずいぶん損をしてきたが、まあそれが性格だから仕方がない。何でもだいたいブームが過ぎてからようやく手を出している。旬に乗り遅れる男なのだ。
でもそうやって群れから距離をおこうとすると、彼女が全然違うやつに言う「嬉しい!」を離れたところから聞いてしまうことになる。で、「おれの『嬉しい!』をあんなやつに!」とか思うわけだ。「『嬉しい!』をそんな風に安売りしちゃイカン!」とかね。まあ本当は、別におれの「嬉しい!」じゃないんだけど、もうそういうことはわかっていないんだな。
誰かが部室に差し入れを持ってくる。彼女が「嬉しい!」と言う。偶然誕生日が同じやつがいる。彼女が「嬉しい!」と言う。たまたま田舎が彼女と同じ山口県組が3人もいる。彼女が「嬉しい!」と言う。おれの出番はない。おれは彼女の「嬉しい!」の外にいる。いわば指をくわえてみている状態だ。みっともないことこのうえない。そういうのがイヤで、おれはだんだんつき合いが悪い奴になりつつあった。
ところがある時、気づいてしまうんだな。この男の子受けのいい「嬉しい!」は、同性からは白い目で見られているということに。おれが少し距離をおいているのをどう誤解したのか、サークルの女子たちがおれのところに「あの子、勘違いしてるよねー」と相談しに来たので発覚したのだ。いわく「可愛い子ぶってる」。いわく「媚びてる」。いわく「計算してる」。そういう視点で見れば確かにまあそう見えなくはない。特に人気を独占されてつまらない思いをしている女子たちからすれば。
つくづくあの時、彼女に余計なことを言わないでよかったと思う。あのできごとがなかったら、おれは彼女に向かって善意の忠告のフリをして「その『嬉しい!』っていうの、ちょっと控えた方がいいと思うよ」とか、いやったらしいアドバイスなんかをしていたと思うのだ。それはもう紙一重だったと思うのだ。でも実際にはものごとはもっと奇妙な方向に動いた。
彼女の信奉者の男たちが彼女を沈黙させてしまったのだ。彼らはまず「あの『嬉しい!』っていうのがいいんだよね」と遅まきながら話題にし始めた。いまごろになって気づいたのだ。やがて「ああいう風に感じよく話せるといいよな」ということになり、突如ワンフレーズ・コミュニケーションのブームが訪れたのだ。
「嬉しい!」をそのままマネするのはさすがに気が引けたらしく、めいめいがいろんな工夫をして一言フレーズを開発した。「サンキュッ!」というやつがいるかと思えば、「なるほどなるほど」というやつがいる。「すごいね」というやつもいれば「ありがたい!」なんてやつもいる。それが彼女を取り巻く集団からぽんぽん飛び出すようになったのだ。これはマンガ的情景である。
彼女自身がそれをどう思っていたのか、肯定していたのか、そのあたりの事情はわからない。でも結論から言うと、これはパロディでネタ元を愚弄してる以外の何物でもなかった。やがて彼女は「嬉しい!」と口にすることがなくなり、それと同時に憑き物が落ちたように、群れていた男たちは離れていった。
もう大学までの道のりで会っても彼女が「嬉しい!」と言うことはない。ちょっと微笑んで、そういうときに何を言ったらいいのかわからず口ごもる。とても内気で自信のない女の子になってしまった。あんなに嫌っていた女子軍団は彼女を受け入れて仲良さそうに見える。ものごとは収まるべきところに収まった、そう、言えなくもない。でもおれは不満なんだな。おれとしてはもう一度「嬉しい!」を聞きたいんだな。だから「嬉しい!」というしかない本当に嬉しいことを彼女にしてやりたいと思うんだ。なにしろおれは旬に乗り遅れる男なのだから。
(「嬉しい!」ordered by 花おり-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
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