【お題65】踏み台2008/02/02 08:32:52

「踏み台」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「踏み台」ordered by tomo-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




====================
◇ なぞなぞ

 自分の手には届かないなんて、
 そんなに簡単にあきらめないで。
 あきらめないでぼくを探して。
 どんなに高い高い望みでも、
 ぼくならきっとかなえてあげる。
 それが君の手にはいるように。

 地に足がつかないときにも
 疲れたときにも助けてあげるよ。
 一息つきたきゃ声をかけて。
 身の置き場もないカオスの中でも 
 ぼくならきっと役に立てる。
 つかのまの休息を約束するよ。

 時には楽しく遊ぼうじゃないか。
 なんならぼくがドライブに誘おう。
 君の目にどう映るか知らないけれど、
 小回りも利くし走りも滑らかなんだ。
 ぼくならきっと愉快になれる。
 子どもたちの相手も得意なもんさ。

 もしもそうする必要があれば
 君の重荷を背負ってあげよう。
 もしもそうすりゃ晴れ晴れするなら
 重荷をどんどん積み上げてくれていい。
 ぼくならきっと支えてみせる。
 黙って笑って不平も言わず。

 つらいときには叩けばいいさ。
 叩けば意外といい音がする。
 打てば響くのがぼくのいいとこ。
 つらいの忘れてオンガク気分だ。
 ぼくならきっと引き受けられる。
 怒りを情熱に変換できる。

 雪に閉ざされたその街を
 かの冬将軍が襲おうとも、
 君を傷つけるものを遠ざけてみせる。
 冷たい雪から、足元に淀む冷気から
 ぼくなら君を守ってみせる。 
 ぼくなら君を守ってみせる。 

 立ち現れたその人の名は踏み台将校。

(「踏み台」ordered by tomo-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題66】飲料水2008/02/02 08:37:14

「飲料水」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「飲料水」ordered by aisha-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




====================
◇ ハンティング

 コートの衿を立ててあなたは足を早める。今にも冷たい雨が降り出しそうなどんよりした空の下、人々は皆同じように首をすくめ背を丸め足早に歩いている。部活帰りの女子高生のグループが通り過ぎるが、芯から冷える寒さに声もない。あなたは鋭い視線を彼女たちの顔に浴びせるが、そこには求めているものは見つからない。

 コートの下にほとんど何も着ていないのはすばやくことを済ませるためだ。ふだんならばここまで大胆なことはしない。こんな大きな町にコート1枚羽織っただけで出てくるような危険な真似はしない。しかしもう半月も続く飢えと渇きに苛まれている。もう限界なのだ。乳房が張り乳首が固くなっているのは寒さのためだけではない。獲物をとらえたくて全身が猛り狂っているのだ。

 風が吹き、コートがあおられる。一人の男があなたをじろじろ見ながら通り過ぎる。何か気づかれたかも知れない。あなたは男を値踏みするがお話にならない。顔には酒焼けが、浮き歯には煙草のヤニの色がしみついている。内臓のどこかを悪くしているだろうし、そうすると何かクスリを飲んでいる可能性もある。断じてそんなものにかかわってはいけない。理想的なのは毒されていない健康体だ。

 半月前の獲物は背の高い高校生の少年だった。透き通るような肌をして、整った顔立ちで、文句なく見えた。そもそも外見で気に入ったのだ。すこし会話をしてかすかな口臭が気になったものの、直前に食べたもののせいだと思うことにした。それが間違いだった。警戒する少年にややあからさまな誘いをかけ、お茶の相手をさせ、話しながら徐々にその気にさせ、苦労してホテルの部屋に連れ込んだ。

 服を脱がせ、肌を合わせて一気に飲み込もうとした瞬間に気がついた。生まれつきの病気を持っている。そして小さな頃から治療薬に浸ってきている。こんなものを飲んではいけない。こんなものを飲み込んではこちらがおかしくなってしまう。あなたは途方もない渇きに襲われながら、目の前の獲物を諦め、訳もわからず混乱する裸の少年を廊下に放り出した。

 治療薬を飲んでいないこと。麻薬に手を出していないこと。保存料や着色料を使った食事をとっていないこと。農薬をつかったり、殺虫剤をつかったりしていないこと。適度な運動をしていること。十分な睡眠をとっていること。あなたにとって必要なのは汚れなき肉体なのだ。あなたの渇きを癒し、飢えを満たす安全で健康的な肉体なのだ。

 でもこの都会にそのような理想的な獲物はほとんどない。病んでいるか、薬品漬けになっているか、不健康な生活をしているか。そんな者の血をうっかり飲むと深刻なダメージを食らうことがある。肌から流れ込んでくるエネルギーだけで我慢して、血を飲まなければいいのかも知れないが、そんなの無理だ。できたためしがない。血を飲まずに食事を済ませることなどできない。

 それにしても最近の獲物の状態はひどすぎる。こんなのは前世紀の初め頃まで体験したことがなかった。それまで自然界にはなかったもの、あってもごく微量だったものなど、人間は急速にさまざまな化学物質を生み出すようになり、自分自身を汚染してしまった。見つかるリスクをおかして地方に行ったが、撒布する農薬のせいでもっとひどい状態だった。もうどこに行っても同じなのだ。

 あなたはあまりの飢えと渇きに身を震わせ、目を閉じる。どこか近くの大画面モニターから飲料水のCMが聞こえてくる。それを聞きながら思わずあなたは笑う。そう。おいしくてからだにいい飲料水を手に入れるのは困難なのだ。おまえたちがなかなか手に入れられないように、わたしも渇きを心底潤してくれるたっぷりの飲料水を手に入れるのに大変苦労しているのだよ。

(「飲料水」ordered by aisha-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題67】視力2008/02/03 11:51:57

「視力」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「視力」ordered by aisha-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




====================
◇ えっ、どこどこ?

 小さいころから「えっ、どこどこ?」というのが口ぐせで、よくみんなにからかわれてきた。

 みんなが同じものを見ているとき、たとえば遠足に行ってバスの中から「ほら、ウサギがいるぞ」とかみんなが騒いでいるときに見つけられない。中学校の行き帰りに友だちが「あの子かわいい!」とか話しているときにその子が見つけられない。水族館などに出かけて「あそこに説明が書いてある」とか言われてきょろきょろ探しても見つからない。見つけられず「えっ、どこどこ?」と言ってしまうのだ。

 近視だからというのもあるけれど、そんなに目が悪いわけじゃない。それなのにしばしば一人だけ見逃してしまうのだ。「エッドコドコ」、略してエドッコというあだ名を付けられたこともある。そんなの本当に嫌だったので何とか同じように見ようとするのだが、どうしても見ることができない。まるで自分の視界にだけ、対象物が存在しないかのように。

 そのことが屈辱的で、コンプレックスだったので、何かが見えるとか見えないとか言う話にはできるだけ近づかない習慣ができた。さらに年齢が上がるに従って、「えっ、どこどこ?」と口に出さず、まわりと調子を合わせて見えているフリをするようになっていった。自分だけ見損なっているというのをわざわざ告白しなければ、いちいち確認を取るわけでなし、ものごとは円滑に進むように思われた。

 けれどごく最近になって、ある発見があった。かなり重大な発見があった。これは長い間気づかずにいたのだが、逆に相手が「えっ、どこどこ?」と言う場合も、実は多いのだ。この発見のきっかけは、ある人と付き合うようになったことだ。何かの拍子に「見逃すキャラ」の話になって、その時に相手が首を傾げたのだ。

「あれ?」と彼はしばし考えてから言った。「それ、最近よく言ってる気がするんだけど」
「えー! わたし、言わないようにしているからそれはないと思う」
「君が、じゃなくて、ぼくが、だよ」
「へっ?」

 いままでそんな話をあまりしたことがなかったので、なかなか気づかなかったのだが、言われてみればそんな気もする。彼の場合、わたしが何かを見つけて「あ。綺麗な模様」とか、「あれって人の顔みたいに見えるね」とか、「わー、すごいカラフル」とか叫んだときに、何のことを言っているのかさっぱりわからないことがあるというのだ。そんな情けない話ってあるだろうか。わたしはみんなの見ているものが見えないし、みんなはわたしの見ているものが見えないなんて! ものすごくズレてるみたいじゃない。超どんくさいみたいじゃない。

「それ、違うかもよ」情けない顔をしていると彼が言った。「それって、実はひょっとしてひょっとするとすごいことかもよ」
「なにが」ぶんむくれてわたしは答える。「なにがすごいのよ」
「犬笛ってわかる?」構わず彼は続ける。「犬を呼ぶ笛。人間には聞こえない笛」
「犬笛? 知らない」っていうか、何なのそれ?と思ったからそう言ってやった。「っていうか何なのそれ?」
「それが聞こえる人がいるんだ。わかる?」噛んで含めるように言わなくてもいいじゃない。わかるよそれくらい。「普通の人には聞こえない音域が聞こえる聴力の持ち主が」
「ふーん」そこでようやくあっと気がついた。「あっ」
「かもよ」彼がうなずきながら言う。「普通の人と見える色の範囲がずれてるのかもよ」

 さてここで質問です。
 画面から目をそらして何もない天井を見てください。その時何かもろもろしたものが視界を横切るのが見えませんか? 見えていたら、あなたもわたしのと同じ視力の持ち主かも知れません。

(「視力」ordered by aisha-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題68】残り火2008/02/03 11:57:02

「残り火」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「残り火」inspired by futo-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




====================
◇ ゾウガメの飼育

 そのゾウガメはかれこれ100年以上生きている。

 若い飼育員は世話をしてやりながらも、どこかでゾウガメの方が自分よりも存在感があることを薄々感じている。格の違いを感じるのだ。たたずまいに。目つきに。落ち着き払ったその風格に。そう、風格、と若い飼育員は思ったものだった。すべての飼育員がそう感じるわけではない。鈍感な(と若い飼育員は思うのだが)中年の飼育員は、ゾウガメのことを特にどうとも思わないようだ。ただエサを与えて、時々甲羅をみがいてやる、大きくてのろまな生き物としか思っていない。

 自分は違う。と若い飼育員は考える。自分はこのゾウガメの持つ偉大さを感じることができる、と。その風格をくっきり感じ取ることができる、と。

 朝、世話をするため小屋に入ると、小屋の片隅でじっとしていたゾウガメはゆっくりと首をもたげ、静かな落ち着いた目で若者を見る。何者にも乱されることのない目つき。何もかも見通したような洞察に満ちた視線。場数を踏んでいるからだろうか、と若者は思う。100年分のいろいろな場面をたくさん見て知っているから、細かいことにいちいち動じなくなっているのだろうか。年の功ってやつだな。そこまで考えて若者は胸の内で笑ってしまう。亀の甲だし年の功ってわけだ。

 ゾウガメがまったく食事をしなくなったのは秋の終わり頃だった。ある朝、若い飼育員がエサ箱の中が前日のままなのに気づいて早速獣医に連絡した。獣医はすぐに駆けつけてきたものの、ゾウガメを隅から隅までチェックして、特にどこか病気というわけではなさそうだ、と言った。老衰だろう、と。念のために採血もして帰っていったがやはり後日届いた結果も「異常なし」だった。そう知って若者はできるだけ世話をしてやろうと決意する。残り火が燃えている限り、おれが空気を送り火をおこしてやろう。

 食べなくなってからもゾウガメは特に変わった様子もなく、いつものように首をもたげ、静かな目で若者を見て、時に数メートル移動した。見ていると太陽の光がさすときは日なたを選んで甲羅干しをしているようだった。何も食べなくなってから半月たっても見たところゾウガメには何の変化もないように思われた。さすがに若い飼育員は奇妙に感じ始めた。特に弱るわけでもない。動きも変わらないし、見たところ目もしっかりしているし、肌の様子も変わらない。甲羅のつやも変わらない。

 どうなっているんだろう? 誰かが夜にエサを与えているのかも知れない。そう思いついて、その晩、当直だった若者は、夜間の小屋に入ることにした。ゾウガメが若者に話しかけたのはその夜のことだった。

 若い飼育員は巡回の時間まで当直室でお気に入りの本を眺めていた。それは世界のいろいろな風景の写真に、その国の言葉で風の名前を記した本だった。心地よい微風、間断なく吹き体温を奪う風、すべてを乾燥させ野火を起こす熱波、作物をダメにする邪悪な風、世界にはいろいろな風が吹き、それぞれが名前を持っている。かつて若者は、そのすべての風を訪ね歩くのが夢だった。いまではもうそれが雲をつかむような夢のような話だということがよくわかっている。だからお気に入りの本で写真を眺めるに留めている。

 巡回の時間が来て、本を閉じ、懐中電灯を持って若者は当直室を出る。ゾウガメの宿舎を最後に順路を考えて、順番に見回り、夜行性の動物たちの活動や、眠りを破られ音と光に驚く動物たちを眺めた。冬の夜空がきれいでたくさんの星が見えた。風はなかった。気温が低いので動物たちのほとんどはじっと身をひそめていた。いつもの通り静かな夜だった。つつがなく巡回を終え、あとはいくらでものんびりできる状態にして、最後にゾウガメの小屋に入っていった。

 ゾウガメが最後の火を燃やし尽くしたのはその夜のことだった。翌朝、目元を赤くした若い飼育員は退職の決意を告げる。親切な園長から理由を尋ねられても首を横に振るばかりで何も話そうとしなかったが、ふと「……をゾウガメに譲られたから」ともらし、さすがの園長も黙り込んでしまう。「とにかくゆっくり休んで、うちで契約しているカウンセラーを訪ねてごらん」と園長に送り出され、若者は動物園を出る。そのまま若者は家族にも何も言わずに旅に出てしまう。風を訪ねる旅に。

(「残り火」inspired by futo-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題69】シェラザード2008/02/04 12:05:13

「シェラザード」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「シェラザード」ordered by たけちゃん-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




====================
◇ to be continued

「おつ」
「お。お帰り」
「お帰り。どうだった?」
「問題なし。要求自体を撤回した」

 半年ぶりに戻ってきてサロンに入ると、いつものようにみんながたむろしていた。

「撤回したって? あの大統領が?」
「じゃあ、何とか話し合いの席についたんだ」
「いや。それ以前のところで考え直したらしい」
「そりゃあいい」

 出張中のメンバーを除くとほぼ全員がそろっていて、めいめいにくつろいだ様子で本を広げたり、モニターに見入ったりしているところまではいつも通りだった。でも何かが違う。どことなくよそよそしい空気を感じてしまう。なぜだろう。いつもならもっと暖かいアットホームな雰囲気を味わえるのに。

「どうした?」傍らにいた少年といってもいいような若者に尋ねると、若者は少し困ったような顔をしてうつむいてしまう。だからみんなに聞こえるように言い直す。「なんだなんだ? 「お通夜みたいなしけたつらして。何があった?」

 目を見合わせるみんなの反応を見て、突然どういうことかがわかる。

「シェラザードか」
 聞くまでもない。みんなの反応がそれを示している。シェラザードが戻らないのだ。わたしの出張前からだから、任務に出てもうかれこれ8カ月以上になる。連絡もなく、例の国の情勢も変わらない。国の元首、あの困った独裁者は相変わらず隣国に対して近親憎悪的な暴言を吐き続け、挑発を続けている。武力行使に踏み切らないあたりが、シェラザードの活躍を期待させるが、本当のところはわからない。

 我々ナレーターの仕事は単純だ。指示された国に出かけていき、その国の要人と引き合わされ、あとはただもう話し続けるのだ。かつてお殿様のそばで話し相手になったお伽衆(おとぎしゅう)が原型だという話もあるが、よくわからない。ヨーロッパのクラウンなどもこれに近い。ただし我々は日本から派遣されてその国の要人のお伽衆をつとめるのだ。

 派遣される国は一触即発の状態にある国がほとんどで、気の短い喧嘩っ早い国王や、あるいは、武力を誇示したがる大統領が、隣国などとことを構えようとしている場合がほとんどだ。なかには内紛や国内のクーデターといったケース、その国の国民に迷惑を及ぼしかねない王家の跡目争いといったところに出かけていく場合もある。対話を軽んじて力に訴えたがる国だけに、糸口を作るまでが大変だが、いったん話に引き込むと面白いように溺れていく。通称「ナレーター・スクール」でトレーニングを積んだ我々の手にかかれば、翌日の話を聞かずに戦争に踏み切る元首はまずいない。これを一定の日数続けると大抵の紛争は対話の段階に持ち込まれ、武力衝突を回避させられるのだ。

 日本が生んだ外交の秘密兵器とまで言われるが、我々は政治的なことには無関心だ。何の交渉もしない。ただ面白くてやめられない話を面白おかしく話して聞かせるプロなだけだ。何日分のネタを身につけているかで、派遣される国の難易度が決められる。一カ月間話し続けられるレベルが30人を超え、3カ月間話せるのは10人程度、1年間話し続けられるのはわたしを含め3人しかいない。なかでもシェラザードは少なくとも3年間は話し続けられる。1000日、王の関心をつなぎとめられるということで、このあだ名がついた。そして彼女はわたしの恋人でもある。

「手がかりは」聞くだけむだだ。何かわかっていれば誰かがとっくに話している。ここにいるのは話をするプロばかりなのだ。「わたしが行こう。外務省に連絡を取ってくれ」
「それはもう我々が何度も掛け合っている。でも外務省は及び腰なんだ」
「及び腰?」
「これ以上優秀なナレーターを危険にさらせないと」
「馬鹿な!」ではシェラザードを見殺しにするということか。「我々を何だと思っているのだ? 危険は承知の上だ」
「だからこれ以上失いたくないと」
「これ以上失いたくない?」相手がわたしの顔を見て息を飲む。顔から血が引くのがわかる。押し殺した声でわたしは言う。「外務省すら説得できないで何がナレーターだ」

 わたしが外務省をどのように説得し、どのようにシェラザードの後を追ったか、話したいのは山々だが今日はここまで。続きはまた明日。

(「シェラザード」ordered by たけちゃん-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題70】間違い電話2008/02/04 12:10:22

「間違い電話」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「間違い電話」ordered by はかせ-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




====================
◇ 間違い電話

 それは 一本の間違い電話から始まった。その男は真夜中に電話をしてきて、なれなれしくしゃべり続けた。あまり堂々としているものだから、間違い電話だと気づかなかったほどだ。てっきり知り合いからの電話だと思ってしまったのだ。こちらが相手の名前を失念しているのだと責任すら感じていたほどだ。会話の内容はとりとめないものだったが、主に感謝の言葉だった。「この間はどうもありがとう。あれで本当に助かったよ」繰り返し男はそう言った。

 我慢できずに「ごめん。名前がどうしても思い出せないんだ」ととうとう口にすると、特に気を悪くするでもなくからちと笑って「えっ、そうなの? 面白いから次に会うときのお楽しみってことで」と流され、結局正体の分からないままその電話は終わってしまった。それがやはり知り合いからの電話ではなかったと確信するまでにはずいぶん時間がかかった。結局「次に会うとき」が訪れなかったため、何カ月も経ってから、やはりあれは間違い電話だったんだなと思うことになった。

 でもそう確信するまでには、相手が知り合いだというのを前提にいろいろ考えさせられた。あんなに繰り返し感謝されるようなことって何だろう? 自分は誰に何をしたんだろう? あいつに金を貸したことだろうか? いや、あれは貸さない方が親切だったかも知れないな。あいつにはちょっとしたアドバイスをしたけどそんなに感謝されるようなこととも思えないし。そういえばあの時、後輩に頼られたときもうちょっと何とかしていれば感謝されたかも知れないが、実際には何もしてやれなかったし……。

 ぼくは何度も考えることになった。自分は感謝されるような何をしただろうか。あるいは感謝されるためにはどうすべきだったんだろうか。そして自分は誰かの感謝には値しないことを思い知らされ、次に機会があったらせめてこのくらいのことはしたい、などと思いをめぐらした。間違い電話をきっかけに、ぼくは少しだけ変わったような気がする。少し人に親切になり、時には厳しく接することもできるようになった。いい加減な態度を取らないようにほんの少し気を配るようになったからだ。

 それが学生のころの話だ。

 間違い電話をかけるようになったのは、30代も半ばを過ぎてからのことだった。ある晩、酔っぱらって帰ってきて、それでも翌朝までに片づけたいことがあって書類を整理している時に、ある電話番号のメモを見つけたのがきっかけだった。それは文庫本にかぶせたカバーの端のメモ書きで、何の説明もなく、ただ番号だけが記されていた。人名もない、会社名もない、何の手がかりもない。その番号を見つめているうちにむくむくとその正体を知りたくなり、つい電話をかけてしまったのだ。

 つながった瞬間、不意に大昔の一本の間違い電話の記憶が甦り、あの時のあの男のセリフが口をついてでた。
「もしもし」
 出たのは女性だった。誰かはわからない。
「あっ。ヘンな時間にごめんね」
「えっ」
「いまちょっとだけいい?」
「あ。はい」
「いろいろ考えているうちに、ひとことだけお礼を言わなきゃって思いついて」
「お礼」
「このあいだのこと、ほんとありがとうね。あれで本当に助かったよ」
「このあいだのこと?」
「あ、いいんだいいんだ。そうだよね。覚えてないかもね。ただ、ぼくはとても助かったんだ。本当にありがとう」
「……カズト君?」
 知らない人の名前を言った。同時にその番号の持ち主が誰かも思いだしてしまった。そうなるとこの演技を続けるのはむずかしそうだ。そろそろ切り上げ時だろう。
「あ。わかってないんだ。でも面白いから次に会うときのお楽しみにしておこう。とにかく本当にありがとう」
「え。ちょっと」
「ふふふ。じゃあまた。次に会うときに。遅い時間にごめんね」
 わざといたずらっぽく笑って電話を切る。

 こうして間違い電話が始まった。間違えてかけてしまう電話ではなく、かけようとおもってかける間違い電話だ。最初のうちはわからなくなった電話番号のメモをたよりにかけていたが、直に純粋な間違い電話をかけるようになった。月にだいたい1回のペースで。ほとんどの電話はせいぜい2、3分のうちに終わったが、中には話が弾んで長電話になることもあった。でもとにかく感謝の気持ちを伝えることだけに専念し、電話を終えるようにした。その人が電話のあと、「そこまで感謝されるようなこととは何だろう?」と思い返すことこそが肝心だからだ。

 そして思う。いつかぼくはあの電話をかけるのではないかと。時間を越えて大学生の自分自身に。そう。あの電話の主の正体はぼく自身ではなかったかと夢想するのだ。もちろんそれが現実離れした考えであることはよくわかりつつ。

(「間違い電話」ordered by はかせ-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題71】花嫁への言葉2008/02/06 12:55:16

「花嫁への言葉」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「花嫁への言葉」ordered by hell“o”boy-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。



====================
◇ 花嫁への言葉

  <誓いの言葉>
 遙か昔華やかな羽根の話だ。
 夏が長く永遠の流れとなるように。
 夜はいつでも良き予感に満ちている。
 目がかすれ飯に困る日が来たって
 平然と、ときにはへらへらやり過ごそう。
 のびのびと二人の時はノリノリでいこう。
 転げ回って声高く笑いふざけあおう。
 とんでもない、途方もなくとびっきりの
 バター頭のバカモノと罵倒されようともね。


  <お祝い騒動>
 ハッピーな発表があるのです
 なかよしの仲居が言いました。
 良い感じの酔いに身を任せ
 珍しいめざしにめろめろ
 平静を装う兵士たちも
 乗る船逃し飲む農夫たちも
 幸運を呼ぶ耕耘機で畑を耕す
 富み栄えるとみせかけて
 バンザイ気分のおばんざい


  <よきことばたち>
 春の箱をのぞいてごらん。花の橋から見える蓮。
 夏に流す涙はきっと、七つの名を持つ波となる。
 酔い心地の予期せぬ寄り道もまた良しとの予言。
 眩暈を呼ぶめくるめくメッセージは恵みの瞑想。
 ヘルからヘローへと経る部屋には平和の壁画を。
 ノリノリに乗せる能力はノルウェーにまで伸び、
 孤高の人さえ子煩悩にする、弧を描く恋の呼吸。
 飛ぶ鳥は時をとらえとこしえに尊い富を届ける。
 倍の喜びをバスに乗せ、晩餐の場にはバラ一輪。


(「花嫁への言葉」ordered by hell“o”boy-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題72】Wブッキング2008/02/06 12:59:33

「Wブッキング」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「Wブッキング」ordered by ariestom-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




====================
◇ Wブッキング

 例えば新幹線の指定席に座っていても、飛行機の座席にかけていても、誰かが「そこ、私の席です」と言ってくるのではないかと思うと不安でならない。座席指定のあるコンサートや舞台の観客席でも終演までどうにも気が休まらない。実際にそんな目にあったことがあるわけではない。いつも最初から最後まで誰に邪魔されるわけでもなくひとりで席にとどまっている。にもかかわらずその不安から逃れることが出来ない。

 先日なじみの店でマスターと雑談になって、そんな話をしているとマスターがにやにや笑いながら「ああ。ぴったりなカクテルがあるんだけどなあ。でも趣味悪いかもなあ」と言った。こっちも酒が入っているのでついつい「なになに? 思わせぶりなこと言ってないで出してちょうだいよ」とせっついた。「そうですか?」と言いながらマスターが勧めてくれた酒を飲んだ。なるほどそれはいささか刺激が強すぎる酒だった。

     *     *     *

 わたしの仕事は座席ともチケットとも予約とも関係ない。電機メーカーの研究所に勤める研究員だ。朝は早くから席について仕事のことを考える。この仕事は自分に合っていると思う。前日まで進めた考えを、翌朝席に着くなり復活させてあれこれ考えることが楽しくて仕方ない。

「おはよう。今日も早いね」
 声をかけられて振り向くが、知らない男だ。用心して返事する。
「おはようございます」
「論文読んだよ」男は丸めた雑誌で左の掌を打った。「これで博士号は間違いなしだな」
「どうでしょう」論文まで読むと言うことはかなり専門的な知識の持ち主だ。でも社内の人間には見えない。どうやって入ってきたのだろう。こんな時間に。「まだ提出したばかりで何も予定は立っていません」
「そりゃそうでしょうとも」男は細かく何度もうなずきながら同意し、一枚の紙を取りだし差し出してくる。「ではこれをご予定に書き加えてくださいな。いいお返事お待ちしていますよ」

 紙に目を落とすと、そこには面接の日時が書かれていた。最初何が書いてあるのかわけがわからなかった。知らない会社の名前と、提供するポストの権限や年俸が記されている。これはヘッドハンティングだ! ようやくそう気づいて、なぜそんな男がこんなところに? と顔を上げるともう男の姿はなかった。

 こんな紙は部員が出社してくる前に片づけねばならない。慌ててフォルダーにはさんでカバンにしまいつつ、日時と場所だけ記憶しておいてシステムノートを開く。そして手が止まる。同じ日時に、昇級をかけた社内の面談があることに気づいたのだ。そこへ部長が機嫌良さそうに登場する。

「おはよう。今日も早いね。論文読んだよ。これで博士号は間違いなしだな」
 かろうじて笑みを浮かべるだけで何も返事できずにいると、部長はどんどん近づいてきて不意に目の前でしゃがみ込む。
「おや。なんだこの紙は。君が落としたのか? どうした。大丈夫かね、顔色が悪いぞ」

     *     *     *

「大丈夫ですか? 顔色が悪いですが」マスターの声に我に返る。「すみません。やっぱり趣味が悪かったですかね」
「たまらないな。やめてほしいな、こういうのは」大きくあえいで息を整える。「わかるよ。このカクテルの名前はWブッキングだろう?」
「いえいえ」マスターが言う。「これはフルーツ・バスケットです」

(「Wブッキング」ordered by ariestom-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題73】宝箱と金曜日2008/02/08 07:56:53

「宝箱と金曜日」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「宝箱と金曜日」ordered by 巻巻-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




====================
◇ 持ってくるもの

 月曜日の6時間目の終わりに先生が言ったことで、ヒロの1週間はメチャメチャになってしまった。

 最初からすべてが謎めいていた。家から持ってきた容器を使うというのはわかった。でも宝箱って何だろう? みんなは納得できたんだろうか。どうしていまから工作の日までにそんなものを集められるのかもわからないし、まして学校に「金曜日を持っていく」というのはどういうことなのだろう? 先生の言っていることがよくわからない。みんなは平気な顔をして聞いている。どうすればいい? ヒロは不安だったけれど誰にも聞けずにいた。

 先生は宝箱を集めろといった。ということは、みんなは宝箱を集めているのか? ぼくが知らないだけで、みんなはふだんから当たり前のように宝箱を集めているんだろうか? だいたい宝箱っていったい何だろう? ぼくが思いつく宝箱は海賊やドラゴンなんかが出てくる絵本にかいてあるような、木でできた大きな箱だ。ふたがちょっと丸っこかったりして、頑丈な鍵がかかったりして、角のところは黒い鉄で止めてあったりして。

 火曜日、ヒロは1日中そんなことばかり考えていた。でもそんなもの、もちろん、うちにはない。

 もうひとつ思いつくのは、せみのぬけがらとか特大のビー玉とか超特大のおはじきとか大事なメンコとか大事なモノをいろいろしまってあるヒミツの箱だ。けど、そんなものを学校に持って行くんだろうか? ヒロはそれをカバンに入れるかどうか迷う。ヒミツの箱を学校の交錯の時間なんかに持っていきたくない。だってそんなことしたらヒミツの箱じゃなくなっちゃうじゃないか! 少年はちょっとずる賢く考えて、ヒミツの小箱に見えるクッキーの缶をお母さんからもらって、それを持っていくことにした。中にはふだんから遊んでいるようなビー玉とメンコを入れた。

 でも、本当にわからないのは金曜日だ。金曜日を持っていくというのはどういうことだろう? 宝箱と金曜日を持っていくなんて、ぼくの学校は魔法学校にでもなってしまったんだろうか?

 ヒロは考えすぎてだんだん頭がぐらぐらしてきた。

 金曜日の学校の準備をして来いってことかな、なんて思ったけど、その日は金曜日なんだからあたりまえの話だ。じゃあカレンダーから金曜日のところを切り抜いて持っていくのかな。それとも金曜日っぽいモノをいろいろ集めて持っていくのかな。金曜日っぽいものって何だろう? 金曜日の新聞。金曜日のテレビ番組。それくらいしか思いつかない。それとも金色のものかな。ボタンとか色紙とか色鉛筆とか。

 木曜日の終わりの時間にまた先生が「明日は宝箱と金曜日に容器をくっつけて工作するから忘れず持ってくるように」と言った。まただれも質問しなかった。どうしてだろう? どうしてぼくだけわからないんだろう? ぼく以外のみんなはわかっているのに、ぼくだけわかっていない。まるでどこか知らない他の世界にまぎれこんでしまったみたいだ。どうなっているんだろう? 金曜日の朝、少年はとうとう本当に熱を出してしまい、学校を休むはめになる。だから、その工作の時間何が行われたのかわからずじまいになってしまう。

 それ以来ずっと、みんなはどんな宝箱や金曜日を持っていったのか、自分の理解できない不思議な授業は何だったのか、ヒロは心の奥深くで気にし続けることになった。

     *     *     *

 四半世紀ぶりに小学校の同窓会が開かれ、四十歳近くなったヒロは思い切って恩師にその時のことを尋ねてみる。もしかすると自分が熱を出して見た夢なのかも知れないけれど、と前置きして、宝箱と金曜日に悩み続けたその1週間の話をする。横で話を聞いていたクラスメートたちは皆ぽかんとして「何のことだ?」とさっぱり要領をえない。やはり夢だったのかと思ったところで恩師が呟く。

「なんて言ったんだっけ? 『ぜんじつまでにあつめたからばこときんようびにいえからもってきたようきをつかって……』」
「ほら!」
「何が」
「前日までに集めた宝箱と金曜日に、って」
「えっ?」そして恩師が笑う。「宝箱じゃない。から箱だよ、前日の木曜日までに集めた“から箱”と、金曜日に家から持ってきた容器だよ」

 どっと笑いが起き、ヒロは頭をかく。長年の謎が氷解してほっとする気もするが、どことなく釈然としない心地も残る。それからしばらくすると再び、疑念が頭をもたげる。本当はどうだったんだろう? ぼくのいない工作の時間、みんなは宝箱と金曜日を持ち寄っていたんじゃなかろうか。そしていまとなっては、そうであった方が自分にはしっくりくることにヒロは驚いたり納得したりする。

(「宝箱と金曜日」ordered by 巻巻-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題74】ももくる春2008/02/08 08:01:08

「ももくる春」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「ももくる春」ordered by 巻巻-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




====================
◇ ●●●(伏せ字)

 いい本を手に入れたと興奮した調子で記された手紙が届いた。雪でも降りそうな、雲の低い底冷えのする日だった。足を踏みかえながら玄関で呼ばわっていると、奥の方から喜色満面でキミタケが出てきた。家の中だというのにコートを着ている。この屋敷はやたらめっぽう広くて、暖房がまったく利かないのだ。
「おお来たかタツヒコ。お前はこういうの、見逃さないもんな」
「馬鹿め。あんなに興奮で字の踊った手紙が届いたからお前の身が心配で見に来たんだ」
「冗談抜かせ」

 キミタケの書斎に案内されると、火鉢が出ていてその傍らに古い版画本がある。
「あれか」
「まあ座れ」
「何だ、いい本って」
「春画だ」
「そんなにいいのか」
「まだ何も言っていない」
「あの手紙を読んだらわかるさ。早く見せろ」
「まあ、そう急ぐな」

 キミタケの説明によると、ものは江戸時代中期、四国の素封家の趣味でつくられた一冊らしい。絵師が誰かは明記されていないが、恐らくこのあたりという見当はつくらしい。名前を聞いたがおれは聞いたことがなかった。素封家の屋敷が取り壊されることになって蔵を整理していたら出てきたのだそうだ。神戸のイナガキの旦那が手に入れてすぐにキミタケに連絡してきたらしい。イナガキの旦那がそんな風に動くとなるとこれは相当なものなのだろう。概略を説明するとようやく手渡してくれた。

「『るはるくもも』? 何だ、るはるくももって」
「逆だ。右から左に書いてあるんだ」
「失敬。ははあ『ももくるはる』か」おれは2、3回うなずいたが、やはりわからない。「何だ?ももくるはるって」
「ももくるっていうのは中国四国地方あたりの方言らしい。聞いたことは?」
「いや。ない」
「おれも知らなかった。手で探る、とか、いじる、とか、もてあそぶ、とか、まあそんな意味らしい」
「ははあ」
「はるは、季節の春。つまり春画だということだな。まあ開いてみろ」

 なるほど粋人たちが夢中になるのも無理はない、それは大層な傑作だった。横長の版型で左右がだいたい一尺くらい、天地は八寸というところか。男女のむつみ合っている様を、大胆に省略した線と、非常に細かい観察で描き出している。武家娘の着物のすそを割って太股に手を滑らせる町人風の男。大年増の後ろから襟元に手を差し入れる年老いた坊主。手の動きや、力の入れ具合まで見て取れる。一枚、また一枚とめくるが、どれも紙面から押し殺した声やあえぎが漏れ出てきそうな臨場感がある。

「わかるか」
 キミタケが笑いを含んだ声で問いかけてくる。何かあるのだ。普通の春本とは違う何かが。
「待て待て。言うなよ」おれはさらに一枚、また一枚とめくる。「着衣がほとんどだ。男の性器がほとんど出てこない。それに、これは、ああ、そうか。前戯しかないんだな」
「その通り。どうだ珍しいだろう」
「うむう」

 その本の中の男女はひたすら相手の身体をまさぐり、さすり、もみしだくばかりなのだ。それも一枚、一枚、身体のあらゆるところを丹念に責め、添えられた文字はその絵で“ももくる”対象を端的に記す。「ちくひ」、「ほと」といった露骨なものはむしろ少なく、「えりあし」があり、「みみたふ」があり、「さこつ」があり、「あはら」があり、「くるふし」があり、「こしほね」があり、それらを慈しむようにつまみ、ころがし、つつみこむ。そして決して性器を合わせることがない。

「驚いたな。これを江戸時代の中期に」
「依頼主の趣味なんだろうが、この絵の巧みさを見ると」
「絵師も相当に好きだったんだろうな」
 そう言いながら最後の一枚にたどりつく。他の絵で文字が添えられていたあたりに、墨塗りで「●●●」と伏せ字になっているのがいきなり目に飛び込む。しかしよく見るとこれは最初からそのように刷られたもので、後に塗りつぶされたわけではない。

 なるほど、歓喜に身を震わせている絵の中の男女が互いに手を伸ばし触れているのは、普通なら思いつきもしない意想外な部分だ。そこに描かれた独創的な仕業に言葉を失っているとキミタケがささやく。
「どうだ斬新だろう。試してみたくなるだろう?」
「ああ」不覚にも返事の声もかすれてしまう。「いますぐにでもな」
 外は寒いのに額が汗ばむのがわかる。

(「ももくる春」ordered by 巻巻-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)