【お題84】太平洋戦争/米国敗戦2008/04/08 09:06:07

「太平洋戦争/米国敗戦」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「太平洋戦争/米国敗戦」ordered by ヨ ウ ス-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




====================
◇ 逆SEO

 昭和16年12月8日の真珠湾攻撃から始まって、しばらくは誰もが知っている太平洋戦争の経過が綴られていく。ミッドウェーで日本が手痛いダメージを受けるところまでも歴史通りだ。しかしそこから先、史実通りではない流れが始まる。後世批判を浴びる数々の失策の替わりに、日本政府が意外な手を打ち国際社会を翻弄する……。

 時々一緒に仕事をするウェブデザイナーの田辺さんがそのウェブサイトを教えてくれたのはかれこれ3カ月ほど前のことだ。こんなサイトあるの知ってます? なんですかそれ。太平洋戦争のシミュレーションです。右翼っぽい小説かなんかですか? そういうのとは違うんです。ほんとに面白いんですか? 途中から歴史とは違う展開をするんです。ああ、日本が勝ったらってやつですね、スピルバーグの映画でもそんなのなかったっけ?

 田辺さんは微妙な顔をして、まずご自分で見て判断してください。と言った。そういう強引な勧め方をする人ではないので珍しいなと思いながらアクセス方法を聞いてみた。ところが教わった検索キーワードを入れてググってもそのページにたどり着けなかったので、翌日改めて聞いてみると、「あれ、言いませんでしたっけ。8ページ目まで進むんですよ」という。

 8ページ目の真ん中を過ぎたあたり。なるほど見つかった。検索ワードと同じ「太平洋戦争/米国敗戦」というのがページの名称。クリックする。最も素朴なHTMLで書かれたテキスト主体のページ。零戦が飛んでいるわけでもなく大和の勇姿を見せつけるわけでもない。画像といえば題字と、読みやすさのために文中のところどころに配されている記号くらい。いかがわしさもないが、愛想もない。

 それでも警戒しながら読み始めると、意外にこれが面白い。よく書かれた歴史書のような、いいリズム感とほどよく差し込まれる洞察が心地よく、知らず知らず読み進めてしまった。真珠湾攻撃、シンガポール攻略、仏領インドシナ、そしてフィリピンからマッカーサーを追い出す。1942年春先にかけての、いわゆる連戦連勝の日々。それが6月のミッドウェー海戦で完膚無きまでに叩きのめされる。主要な空母4つを失い、艦載機320機、そして3300名がなすすべもなく死んでいった。

 後に関連する掲示板を見つけて知ったのだが、ここまではほぼ史実通りといって良く、最初の明かな史実との違いがこのあとの小さなエピソードとして描かれている。それは戦勝会の準備をしていた東京の軍令部に敗戦の報が届くシーンである。勝つものと決めこんで浮かれていた首脳部に激震が走るのだが、史実では海軍軍令部は敗戦をひた隠しにしていたらしいのだ。このあとも戦闘の結果がありのままに伝えられるというのが明かな違いらしい。

 掲示板を読むと実に多くの人がアクセスしていることがわかる。海外在住の日本人がたくさん読んでいるのも特長だ。同時に翻訳も進められているらしく、数カ国語で読め、それなりの人気を集めているとの情報もあった。やはり人気は戦記物としての出来事そのものよりも作者の洞察力の方にあるようだったが、一部マニアは史実との一致不一致を丹念に洗い出して検証を加えていた。

 あまり知識がない身としては、そういう解説がなければどこまでが史実でどこからが創作なのか、まったくわからない。ただ、読み始める前にはあまり気が進まなかった戦記物が意外に面白く読め、先を楽しみにしている自分が意外だった。この筆者の書く文章が肌に合っているのかも知れない。残念ながら最新の記事は1943年に入ったところまでしか進んでいない。まだ日本は勝っても負けてもいない。

 ただ、外交交渉とその補足手段に奇手(外交官とは別に“語り部”と呼ばれる部隊を各国に送り込むのである)を打ち始めたあたりで、だんだん読み物的な面白さが出てきた。「米国敗戦」とつけたタイトルに向けてどう話を進めるつもりなのか、お手並み拝見だ。このページを話題にした掲示板では様々な憶測が書かれているが、この作者なら予想を上回る思いがけない展開を見せてくれそうな予感もある。次は来月8月の15日の更新まで待つしかない。おや? その日付を見て不意に気づく。

 試しに「太平洋戦争/米国敗戦」でググってみる。8ページ目の正確に15番目にそのページはあった。前から、なぜここまで人気のあるウェブサイトがこんなに後ろに出てくるのかずっと疑問だったのだが、ひょっとすると……。翌日もチェックする。やはり8ページ目の15番目。その翌日もそのまた翌日も結果は同じ。つまりサイトはGoogleの8ページ目の15番目に表示されるようにコントロールされているのだ。よくサーチエンジンによく引っかかるようにする対策をSEOなどと呼ぶらしいが、このサイトは逆SEOを試みているのだ。

 8ページ目の15番目とは、つまり、8月15日のことだろう。しかし、いったい何をすれば、検索結果をそんな中途半端な位置に保つことができるのか見当もつかないが、事実このウェブサイトの作者はそれをやっているのだ。それは単なるお遊びにしては手が込みすぎている。ウェブサイトの技術に詳しい田辺さんに尋ねてみると「偶然でしょう」とまるきり取り合ってくれない。でもその無関心ぶりに注意を払っていれば、田辺さんこそその技術の提供者だということにもっと早く気づけたはずなのだが、それはもっと後の話になる。

 8月15日。サイトは更新され、アクセスした世界中のPCに、とあるソフトウェアが植え付けられる。後にnarratorともkataribeとも呼ばれるそのソフトウェアは次に起動する時期まで長い長い潜伏期間を過ごすことになる。

(「太平洋戦争/米国敗戦」ordered by ヨ ウ ス-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題85】2009 屋久島での出来事2008/04/08 09:07:54

「2009 屋久島での出来事」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「2009 屋久島での出来事」ordered byヨ ウ ス-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




====================
◇ 家族ムービー

 父の7回忌を前に改めて物置のがらくたも整理しようという話になって、いままで恐ろしくて手をつけなかった一画に踏み込んだ。いろいろなものが出てきた。古い扇風機、小型のトランジスタラジオ、びっしり錆び付いた懐中電灯、何かの原稿、手紙の束、クッキーの缶の中に放り込まれたカフスボタンやネクタイピンetcetc...

 剽軽で、家族の前でもいつも馬鹿なことを言ったり、ふざけた仕草をしたりして笑わせてくれた父だったが、こうして出てくるものを眺めると意外に几帳面でまじめな人だったことがわかる。亡くなる直前の時期、病気のためか、不意にふさぎ込んだり、理由も告げずに夏休みの予定を変更したり、少し言動が奇妙になって、会話がギクシャクしたこともあったが、それを除けば父の思い出はいいものばかりだ。わたしも妹も、父のことが大好きだった。

「おとうさんクーイズ!」と父は叫び、自分に関するクイズを出す。「今日、おとうさんが打ち合わせに行った会社の最寄りの駅は次のうちどれでしょう。1、築地。2、月島。3、つきゆび。さあどれでしょう」妹もわたしもけらけら笑いながら「3番かなあ!」などという。ばかばかしいけれど、いまとなっては大切な思い出。

 古びたものの中から比較的新しいDVDが出てきたので、びっくりする。盤面にはマジックペンで太々と「2009 屋久島での出来事」と書かれていた。父の筆跡だ。少し奇妙な気がした。父はおよそSFなどには関心がなく、その父が2009年という近未来を扱ったDVDを個人的に所有しているというのが何とも似つかわしくなかった。また旅行といえば温泉旅館限定という感じで、およそ屋久島に関心があるとは思えなかった。

 いったいこのビデオの中に何の映像が収められているのだろう? 意外と「父も男の子だった」というありがちなオチかも知れないが。そう気づいてわたしは、まず自分一人でチェックすることにした。家族の前で父に恥をかかせることもない。それとまあ、もしそういうことだったとしても、だったら一人で見てみたくもあるし、ね。深夜、ヘッドホンをつけて部屋のパソコンのDVDドライブに差し込んだ。

 見てみるとそれは完全に単なる家族旅行だった。タイトルを見ていなければ、本当にただのご家庭ムービーにすぎない。いったい誰のうちのDVDを持って来ちゃったのよ!という感じの。でもよく見るとそこに録画されているのは母の姿、そしてビデオを録っている父の声と、いまから3年くらい年を取った妹とわたし自身の姿なのだ。

 とても奇妙な体験だった。いまから3年後の、父が生きているうちの家族旅行。場所はまだ行ったことのない屋久島。どういうこと? その中の家族は楽しげにホテルの部屋でくつろぎ、高校生くらいになった妹が地元の食べ物を口に運び、母と何か冗談を言って笑い合っている。これはどういうことなの? カメラの後ろで父がもごもごとくだらないことを言い、大学生くらいのわたしがカメラに冷たい目線を送り、父が大きな声で笑う。

 わたしが知らないわたしと、いまはもう亡くなってここにはいない父が、楽しげにからかいあっているのを見て、わたしはどうしていいのかわからなくなる。もう、そういうことをしたくてもできないのに。それなのにDVDの中の未来のわたしは未来の父と何の悩みもなく楽しげにふるまっている。悔しいような、懐かしいような、羨ましいような、悲しいような、わたしはぼろぼろ涙をこぼしながらそのDVDを見終えた。

 家族旅行の最後に妹の具合が悪くなる。そして唐突に屋久島のムービーは終わり、父が正面を向いて登場する。それは、わたしの知っている父よりずいぶん老けた父だ。その父がカメラに向かって話し始める。外見こそ老けたものの声はそのままだ。内容はだいたいこんな感じだ。妹の病気の原因ははっきりしている。10年前にある場所に出かけ、そこの土で泥遊びをしたことだ。だからいまからそれを止めに行く。そのために何かが大きく変わることになるかも知れないが。

 父は、2009年の父は1999年に干渉し(ひょっとするとこのDVDを携えてタイムトラベルし)、妹がその土に触れないようにしたのだろうか。わたしはその場所のことを知らないし、恐らく妹はその場所を訪れてもいない。でもそのおかげで1999年の父は死んでしまったということ? するとこのDVDはどういうことになる? どこか他の世界のわたしたちの姿なの?

 映像の中で楽しく過ごしている近い未来のわたしたちの姿を、母や妹に見せてあげたくもある。でも妹の気持ちを考えると、これは見せられないな、とも思う。自分を救うために父が死んだのだと自分を責めてしまうだろう。でも父が死ななかったら妹を失うことになるのだ。わたしたちには選びようもない。あるいは2009年が来たら、何かそういう過去に干渉することができるようになるのかもしれないが。その時わたしはどうするだろう?

(「2009 屋久島での出来事」ordered byヨ ウ ス-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)