【お題86】ウンコマン ― 2008/04/11 08:31:12
「ウンコマン」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。
作品の最後に
(「ウンコマン」ordered by ヨ ウ ス-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。
===================
◇ ウンコマン
日本でも大きな町ではガーディアン・エンジェルとかいう舶来ものの自警団が活躍しているそうだが、わたしの住む竜田町ではなかなかそう垢抜けた感じにはいかない。それでも最近になってだんだん治安が悪くなってきたので、竜田商店街の青年部でなんとかしようということになった。でも、わたしたち商店のおっさんたちがいきなりガーディアン・エンジェルとか言っても、急に外人のふりをし始めたみたいでみっともないし、かといって自警団と言うと殺伐とする。
そこで戦隊もののユニフォームをマネして、客寄せイベントをやりつつ、実はまじめに治安維持にも取り組むと言うことになった。その名もドラゴン戦隊タツレンジャーである。言い出しっぺはわたしだが、あくまで「例えばこんな感じ」というので言っただけで、ドラゴンとタツがかぶっているのが気になっていたのだが、青年部ではノリがいいということで一瞬で採用になってしまった。わたしが赤タツレンジャーでリーダーをつとめているのはだいたいそういう理由なのだ。 見た目とか運動神経とかは関係ない。残念ながら。
平日の夜に5人で集まって、土日のイベントの練習をする。つたないながら、わたしが台本を書く。筋書きは単純で、「小島金物店のセラミック砥石で切れ味アップだー!」とか「でんきのナカムラの防犯灯で暗闇退治だー!」など、セールをかける店舗の情報を折り込みながら敵役をやっつける。敵役といっても、そのためにいちいち金をかけて特殊メイクとかするわけにいかないので、不景気マンとか、怪人・フシンシャーとか、妖怪・万引き小僧とか、まあそんなのを相手に戦うわけだ。不景気マンならこてんぱんにやっつけて追い出したり、フシンシャーや万引き小僧なら改心させたり、という具合。
* * *
「断りもなしにかっこつけとるんやないでワレー!」というのがその男の発した第一声だった。けばけばしいスーツ。濃い茶のサングラス。下手に触ると瞬間的に爆発しそうな、むき出しの刃物ののような異常なオーラを発しまくっている。赤タツレンジャーのタイツをはくわたしの手は止まってしまった。事務所のメンバーも全員凍りついた。暴力団は敵として扱わずに来たのに、それでも因縁を付けられてしまうのか、といろいろ考え始めたとき、男の表情が変わった。
「ウンコマン」その言葉が目の前の人間凶器のような男の口から飛び出した。「ウンコマンやないかい」
それは、小学生の時の忌まわしい事件のためにわたしにつけられたあだ名である。この年齢になって人前で暴露されようとは。
「おれや。クボタや。竜田第2小の」
「クボタ……。久しぶりやな。どないしとってん」
クボタは中学までの同級生だ。小柄でいつも敵意むき出しだったクボタとは小学校の頃からのつき合いだった。小学校の頃は仲も良かったのだが、中学にはいるとクボタは学校に来なくなり、かろうじて卒業はしたものの、そのまますぐに地元の組関係の構成員になって、すっかり疎遠になっていた。組の若頭をやっているという噂は聞いていた。そのクボタだったのだ。わたしが何者かわかるととたんにクボタは表情をやわらげ、いろいろ話し始めた。ウンコマンのエピソードまで言いやがった。
「悪かったんやで、この赤タツレンジャーは。おれなんかよりよっぽどキレやすかったんや。小学生やのに二人でようつるんで悪さようけしよったんや。ほんでな、いっぺん近所の中学の悪ガキどもに囲まれてな、しめられそうになったことがあってな」
わたしたちは無謀にも真っ向から闘いを挑み、もちろん二人ともボコボコにやられた。クボタはたぶん肋骨を折られ、わたしも立ち上がれなくなってから何度も腹を蹴られ完全に戦意を喪失していた。ところがそのとき腹を下していたわたしは下痢をもらしてしまい、その瞬間に切れたのだと思う。あとは何がどうなっていたか覚えていない。気がついたら口のまわりに下痢を塗りたくられ顔中あざだらけになって泣きながら謝っている中学生の姿があった。クボタは茫然と脇に立っていた。以来そのあだなをつけられたのだ。
「余計なことをいいおって」
「ええやないか。めちゃくちゃ強かったんやで」
クボタは、これからタツレンジャーに文句言うモンはおれがシメたる、と宣言し、意気揚々と帰っていった。文句を言いに来たのはおまえやないか、と言いたかったが、さすがに黙っておいた。勝手な話もあったものだ。それからクボタとわたしは時々会って酒を飲む仲になった。暴力団と癒着したことになるんだろうか。
* * *
青年部に「クボタが襲われている」という連絡がはいったときも、わたしはタツレンジャーの出番に備えて準備を終えたところだった。聞けばどこから来たかわからない集団に不意打ちを食らってボコられているということだった。まわりからは止められたのだがわたしは「友だちを助けられんで何が正義の味方や」と威勢のいいセリフを叫んで飛び出したらしい。らしい、というのは、よく覚えていないからだ。どうやら何十年ぶりにキレたらしい。
気がついたらわたしはクボタを介抱していた。クボタを助け起こそうとして、ものすごい激痛を覚え、わたし自身指の骨が折れていていることにそのときはじめて気づいた。まわりにはもう誰もおらず、誰が勝って誰が負けたのかもよくわからなかった、でもわたしは指の骨折以外はそれほどダメージをうけた様子はなかった。
「おまえめちゃ強いなあ」クボタが言った。「うちの組にはいらへんか」
「あほか」わたしは答えた。「おれは正義の味方や」
そのあとしばらくクボタは咳き込み、痛みに顔をしかめた。また肋骨を折られたらしい。涙をぽろぽろこぼして痛がりながら、それでも何かをどうしても伝えたいらしく苦しい息の下から必死になって声を絞り出す。
「ウンコマン……」
「わかってるて」
まるでチンピラ映画の感動的なラストシーンだ。でもクボタは別に死ぬわけでもないし、これはどこにでもあるただの乱闘であって、何か守るべき者のためにすごい闘いを終えたわけでも、ない。
「ウンコマン……」
しかもセリフは「ウンコマン」だ。
「やかましわ、ウンコマンウンコマン言うてから」
正義の味方もつらいのである。
(「ウンコマン」ordered by ヨ ウ ス-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。
作品の最後に
(「ウンコマン」ordered by ヨ ウ ス-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。
===================
◇ ウンコマン
日本でも大きな町ではガーディアン・エンジェルとかいう舶来ものの自警団が活躍しているそうだが、わたしの住む竜田町ではなかなかそう垢抜けた感じにはいかない。それでも最近になってだんだん治安が悪くなってきたので、竜田商店街の青年部でなんとかしようということになった。でも、わたしたち商店のおっさんたちがいきなりガーディアン・エンジェルとか言っても、急に外人のふりをし始めたみたいでみっともないし、かといって自警団と言うと殺伐とする。
そこで戦隊もののユニフォームをマネして、客寄せイベントをやりつつ、実はまじめに治安維持にも取り組むと言うことになった。その名もドラゴン戦隊タツレンジャーである。言い出しっぺはわたしだが、あくまで「例えばこんな感じ」というので言っただけで、ドラゴンとタツがかぶっているのが気になっていたのだが、青年部ではノリがいいということで一瞬で採用になってしまった。わたしが赤タツレンジャーでリーダーをつとめているのはだいたいそういう理由なのだ。 見た目とか運動神経とかは関係ない。残念ながら。
平日の夜に5人で集まって、土日のイベントの練習をする。つたないながら、わたしが台本を書く。筋書きは単純で、「小島金物店のセラミック砥石で切れ味アップだー!」とか「でんきのナカムラの防犯灯で暗闇退治だー!」など、セールをかける店舗の情報を折り込みながら敵役をやっつける。敵役といっても、そのためにいちいち金をかけて特殊メイクとかするわけにいかないので、不景気マンとか、怪人・フシンシャーとか、妖怪・万引き小僧とか、まあそんなのを相手に戦うわけだ。不景気マンならこてんぱんにやっつけて追い出したり、フシンシャーや万引き小僧なら改心させたり、という具合。
* * *
「断りもなしにかっこつけとるんやないでワレー!」というのがその男の発した第一声だった。けばけばしいスーツ。濃い茶のサングラス。下手に触ると瞬間的に爆発しそうな、むき出しの刃物ののような異常なオーラを発しまくっている。赤タツレンジャーのタイツをはくわたしの手は止まってしまった。事務所のメンバーも全員凍りついた。暴力団は敵として扱わずに来たのに、それでも因縁を付けられてしまうのか、といろいろ考え始めたとき、男の表情が変わった。
「ウンコマン」その言葉が目の前の人間凶器のような男の口から飛び出した。「ウンコマンやないかい」
それは、小学生の時の忌まわしい事件のためにわたしにつけられたあだ名である。この年齢になって人前で暴露されようとは。
「おれや。クボタや。竜田第2小の」
「クボタ……。久しぶりやな。どないしとってん」
クボタは中学までの同級生だ。小柄でいつも敵意むき出しだったクボタとは小学校の頃からのつき合いだった。小学校の頃は仲も良かったのだが、中学にはいるとクボタは学校に来なくなり、かろうじて卒業はしたものの、そのまますぐに地元の組関係の構成員になって、すっかり疎遠になっていた。組の若頭をやっているという噂は聞いていた。そのクボタだったのだ。わたしが何者かわかるととたんにクボタは表情をやわらげ、いろいろ話し始めた。ウンコマンのエピソードまで言いやがった。
「悪かったんやで、この赤タツレンジャーは。おれなんかよりよっぽどキレやすかったんや。小学生やのに二人でようつるんで悪さようけしよったんや。ほんでな、いっぺん近所の中学の悪ガキどもに囲まれてな、しめられそうになったことがあってな」
わたしたちは無謀にも真っ向から闘いを挑み、もちろん二人ともボコボコにやられた。クボタはたぶん肋骨を折られ、わたしも立ち上がれなくなってから何度も腹を蹴られ完全に戦意を喪失していた。ところがそのとき腹を下していたわたしは下痢をもらしてしまい、その瞬間に切れたのだと思う。あとは何がどうなっていたか覚えていない。気がついたら口のまわりに下痢を塗りたくられ顔中あざだらけになって泣きながら謝っている中学生の姿があった。クボタは茫然と脇に立っていた。以来そのあだなをつけられたのだ。
「余計なことをいいおって」
「ええやないか。めちゃくちゃ強かったんやで」
クボタは、これからタツレンジャーに文句言うモンはおれがシメたる、と宣言し、意気揚々と帰っていった。文句を言いに来たのはおまえやないか、と言いたかったが、さすがに黙っておいた。勝手な話もあったものだ。それからクボタとわたしは時々会って酒を飲む仲になった。暴力団と癒着したことになるんだろうか。
* * *
青年部に「クボタが襲われている」という連絡がはいったときも、わたしはタツレンジャーの出番に備えて準備を終えたところだった。聞けばどこから来たかわからない集団に不意打ちを食らってボコられているということだった。まわりからは止められたのだがわたしは「友だちを助けられんで何が正義の味方や」と威勢のいいセリフを叫んで飛び出したらしい。らしい、というのは、よく覚えていないからだ。どうやら何十年ぶりにキレたらしい。
気がついたらわたしはクボタを介抱していた。クボタを助け起こそうとして、ものすごい激痛を覚え、わたし自身指の骨が折れていていることにそのときはじめて気づいた。まわりにはもう誰もおらず、誰が勝って誰が負けたのかもよくわからなかった、でもわたしは指の骨折以外はそれほどダメージをうけた様子はなかった。
「おまえめちゃ強いなあ」クボタが言った。「うちの組にはいらへんか」
「あほか」わたしは答えた。「おれは正義の味方や」
そのあとしばらくクボタは咳き込み、痛みに顔をしかめた。また肋骨を折られたらしい。涙をぽろぽろこぼして痛がりながら、それでも何かをどうしても伝えたいらしく苦しい息の下から必死になって声を絞り出す。
「ウンコマン……」
「わかってるて」
まるでチンピラ映画の感動的なラストシーンだ。でもクボタは別に死ぬわけでもないし、これはどこにでもあるただの乱闘であって、何か守るべき者のためにすごい闘いを終えたわけでも、ない。
「ウンコマン……」
しかもセリフは「ウンコマン」だ。
「やかましわ、ウンコマンウンコマン言うてから」
正義の味方もつらいのである。
(「ウンコマン」ordered by ヨ ウ ス-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
【お題87】診断書 ― 2008/04/11 08:32:55
「診断書」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。
作品の最後に
(「診断書」ordered by 元祖いまじん-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。
====================
◇ 不明な意図
森の中を抜けて家路を急いだ。もうそろそろ日が沈むし、そうすると森の道は真っ暗になってしまう。うっかり道を間違えると遭難する可能性だってある。何年か前、町で酔っぱらって、真夜中ふらふらとひとりで森に入り込み、3日3晩出て来られなかったこともある。あんな目に会うのはごめんだ。
しかも、早くかみさんに伝えてやりたいこともある。500万円は固いだろうというのが知り合いの弁護士の見立てだった。「それというのもね、わたしが紹介したドクターがよく心得ているからなんですよ」弁護士はやや恩着せがましくそういった。「どんなにたくさん言葉を費やしていても、必要なことが書かれていなければ一銭にもならない。でも極めて簡潔に書かれていても、ありありと状況が想起せられ、しかもその拠ってきたる責任の所在が明々白々浮かび上がるように書かれていればあなた、勝ったも同然なのです。わたしが紹介したドクターはそのあたり、よーく心得ているんです」
事故に合ってから仕事にもケチが付くし、治療費やなんやで物いりだし、時間も割かれるし、文字通り首が回らないし、先週くらいまでは歩き回ることさえできなかった。身体を使う仕事だから、この時期、働けないのは深刻な話だったのだ。でもこれさえあれば、弁護士のおかかえらしいあのドクターに書いてもらったこの1枚の紙切れさえあれば。
その瞬間、突風が吹いて、その紙切れを吹き飛ばした。まるでもぎ取られたような感じだ。あっと言う間もなく木立の中をすさまじい勢いで飛び去っていく。「待て!」声をかけても仕方がないのはわかっているが、とっさにそう声をかけるとあわてて後を追う。もう少し、もう少し、と思っているところで不意に湖に突き当たる。思わずひるんだその瞬間、紙片は水面に落ち、みるみる波間に飲まれてしまった。
「ああ!」自分でもビックリするような大声を出してしまった。「ああ、なんてことだ」
それを待っていたかのようなタイミングで、紙が消えたあたりの湖面が激しく波立ち始め、やがてぐわっと盛り上がったかと思うと、体格のいい人が姿を現した。女性のようにも見えるがそうではないようにも見える。長い髪のようなものが顔に張り付いていてよくわからないのだ。着ているものもずぶぬれで身体に張り付いていて、どういう服かよくわからないし、おまけにぴったり服が張り付いたボディラインが、ずんぐりとしていてどちらかというとおっさん風にも見えるのだ。
その人物が口を開く。寒いらしく、歯ががちがち言っていてよく聞き取れない。
「えっ、何ですか?」聞き返すこと2回でようやく聞き取ることができた。
「おまえの落とした診断書は1000万円取れる診断書か? 10万円取れる診断書か?」
む。これは金の斧と銀の斧の話だ。でも、あれ?1000万と10万というのはおかしくないか?
「すみません。金の診断書と銀の診断書とかで聞いて貰えませんかね」
「ばかもの。そんな、みんながオチを知っている質問じゃ意味がないだろう」
「あっ、そうですか」湖の精も創意工夫をしているのか。「じゃあせめて2000万円取れる診断書と1000万円取れる診断書とか言ってもらえると」
「おおばかもの。ノータリン。腐れペニス」湖の精にしては口が悪い。「それでは金の斧と銀の斧と同じパターンになってしまうだろうが」
しばらく考えていたら急に思いついた。やっぱり金の斧と銀の斧方式でいける。
「どちらでもありません。わたしが落としたのは500万円取れる診断書です」
欲をぶっこかなくてよかった。さあこれで返してくれるだろう。
「すかたん、ひょうろくだま。尻の穴いじり」尻の穴いじり? なんだそれは。「1000万円と10万円のどちらかと聞いているではないか。どちらでもないと言うなら」
湖の精のまわりがごぼごぼ泡立ち始めて、湖の精が沈み始めた。
「待って待ってそれがないと本当に困るんだ」こんな変なやつに頭を下げるのは癪だが、背に腹は代えられない。「頼む。頼みます。おれが落とした奴を返してもらいさえすればそれでいいんだ」
太股のあたりまで沈んだ状態で動きが止まり、湖の精が言った。
「では再び聞く。お前の落としたのは1000万円取れる診断書か、10万円取れる診断書か」
「ええと。10万円じゃどうにもならんから1000万円!」
その途端、あたりがまばゆいばかりの光に包まれて、なんだか感動的な音楽が流れ始めた。湖の精は水面の少し上を滑るように進んできた。正直、にせもんじゃないか、あの弁護士がコスプレをやっているんじゃなかろうかと疑い始めていたところだったので、この音と光と湖の精の動きにはすごくびっくりした。
「正解だ。500万円ではない。1000万円しっかと取るのだぞ」と言って診断書を渡してくれた。「患者がいなくてもその症状が手に取るようによくわかる。よく書けている。いい診断書だぞ、これは。二度となくすな」
あわあわしながらお礼を言おうとしたが、診断書を受け取って目を上げるともう何も見えなくなっていて、そこにはただ静かな湖面が広がっているばかりだった。何だったんだ? なんで湖の精が診断書を? ちょっと湿って重くなった(500万円分重くなった)診断書をもって家路を急いだ。
(「診断書」ordered by 元祖いまじん-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。
作品の最後に
(「診断書」ordered by 元祖いまじん-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。
====================
◇ 不明な意図
森の中を抜けて家路を急いだ。もうそろそろ日が沈むし、そうすると森の道は真っ暗になってしまう。うっかり道を間違えると遭難する可能性だってある。何年か前、町で酔っぱらって、真夜中ふらふらとひとりで森に入り込み、3日3晩出て来られなかったこともある。あんな目に会うのはごめんだ。
しかも、早くかみさんに伝えてやりたいこともある。500万円は固いだろうというのが知り合いの弁護士の見立てだった。「それというのもね、わたしが紹介したドクターがよく心得ているからなんですよ」弁護士はやや恩着せがましくそういった。「どんなにたくさん言葉を費やしていても、必要なことが書かれていなければ一銭にもならない。でも極めて簡潔に書かれていても、ありありと状況が想起せられ、しかもその拠ってきたる責任の所在が明々白々浮かび上がるように書かれていればあなた、勝ったも同然なのです。わたしが紹介したドクターはそのあたり、よーく心得ているんです」
事故に合ってから仕事にもケチが付くし、治療費やなんやで物いりだし、時間も割かれるし、文字通り首が回らないし、先週くらいまでは歩き回ることさえできなかった。身体を使う仕事だから、この時期、働けないのは深刻な話だったのだ。でもこれさえあれば、弁護士のおかかえらしいあのドクターに書いてもらったこの1枚の紙切れさえあれば。
その瞬間、突風が吹いて、その紙切れを吹き飛ばした。まるでもぎ取られたような感じだ。あっと言う間もなく木立の中をすさまじい勢いで飛び去っていく。「待て!」声をかけても仕方がないのはわかっているが、とっさにそう声をかけるとあわてて後を追う。もう少し、もう少し、と思っているところで不意に湖に突き当たる。思わずひるんだその瞬間、紙片は水面に落ち、みるみる波間に飲まれてしまった。
「ああ!」自分でもビックリするような大声を出してしまった。「ああ、なんてことだ」
それを待っていたかのようなタイミングで、紙が消えたあたりの湖面が激しく波立ち始め、やがてぐわっと盛り上がったかと思うと、体格のいい人が姿を現した。女性のようにも見えるがそうではないようにも見える。長い髪のようなものが顔に張り付いていてよくわからないのだ。着ているものもずぶぬれで身体に張り付いていて、どういう服かよくわからないし、おまけにぴったり服が張り付いたボディラインが、ずんぐりとしていてどちらかというとおっさん風にも見えるのだ。
その人物が口を開く。寒いらしく、歯ががちがち言っていてよく聞き取れない。
「えっ、何ですか?」聞き返すこと2回でようやく聞き取ることができた。
「おまえの落とした診断書は1000万円取れる診断書か? 10万円取れる診断書か?」
む。これは金の斧と銀の斧の話だ。でも、あれ?1000万と10万というのはおかしくないか?
「すみません。金の診断書と銀の診断書とかで聞いて貰えませんかね」
「ばかもの。そんな、みんながオチを知っている質問じゃ意味がないだろう」
「あっ、そうですか」湖の精も創意工夫をしているのか。「じゃあせめて2000万円取れる診断書と1000万円取れる診断書とか言ってもらえると」
「おおばかもの。ノータリン。腐れペニス」湖の精にしては口が悪い。「それでは金の斧と銀の斧と同じパターンになってしまうだろうが」
しばらく考えていたら急に思いついた。やっぱり金の斧と銀の斧方式でいける。
「どちらでもありません。わたしが落としたのは500万円取れる診断書です」
欲をぶっこかなくてよかった。さあこれで返してくれるだろう。
「すかたん、ひょうろくだま。尻の穴いじり」尻の穴いじり? なんだそれは。「1000万円と10万円のどちらかと聞いているではないか。どちらでもないと言うなら」
湖の精のまわりがごぼごぼ泡立ち始めて、湖の精が沈み始めた。
「待って待ってそれがないと本当に困るんだ」こんな変なやつに頭を下げるのは癪だが、背に腹は代えられない。「頼む。頼みます。おれが落とした奴を返してもらいさえすればそれでいいんだ」
太股のあたりまで沈んだ状態で動きが止まり、湖の精が言った。
「では再び聞く。お前の落としたのは1000万円取れる診断書か、10万円取れる診断書か」
「ええと。10万円じゃどうにもならんから1000万円!」
その途端、あたりがまばゆいばかりの光に包まれて、なんだか感動的な音楽が流れ始めた。湖の精は水面の少し上を滑るように進んできた。正直、にせもんじゃないか、あの弁護士がコスプレをやっているんじゃなかろうかと疑い始めていたところだったので、この音と光と湖の精の動きにはすごくびっくりした。
「正解だ。500万円ではない。1000万円しっかと取るのだぞ」と言って診断書を渡してくれた。「患者がいなくてもその症状が手に取るようによくわかる。よく書けている。いい診断書だぞ、これは。二度となくすな」
あわあわしながらお礼を言おうとしたが、診断書を受け取って目を上げるともう何も見えなくなっていて、そこにはただ静かな湖面が広がっているばかりだった。何だったんだ? なんで湖の精が診断書を? ちょっと湿って重くなった(500万円分重くなった)診断書をもって家路を急いだ。
(「診断書」ordered by 元祖いまじん-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
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