【お題42】蟻2008/01/07 15:33:01

「蟻」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「蟻」ordered by shirok-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




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◇ なぜわたしは黙るのか

 もしこれで常温超伝導を研究しているとか、遺伝子マップを研究しているとか言えばそれなりに場は盛り上がるに違いない。理論物理学で宇宙の研究をしているなんて言うのも食い付きが良さそうだ。あるいは文化人類学とか犯罪心理学とかでも話は弾むに違いない。でもわたしが研究テーマを告げると微妙な間合いが生じる。

「蟻、ですか?」
「蟻です」

 そして不可解な沈黙が訪れる。どちらかが次の一言を口にするのを待ってしまうのだ。お互いに譲り合ううちポテンヒットになってしまう野手たちのような、礼儀正しくも、気まずい沈黙。わたしが話を続けるべきなのだろうが、そういう時、何を言ったらいいのかわからない。苦手なのだ。聞かれれば答えられるが、相手が望んでいるかいないかわからない話をするなんてわたしにはできない。聞いてくれさえすれば蟻について語ることは無限にある。きっとあなたが興味を持つような話もできるはずだ。でも誰も何も聞いてくれない。そこにあるのはエアポケットのような一瞬だ。

 なぜそのような間が生じるのか。遺伝子とか犯罪心理学といえば、相手は何か関心を示すはずだ。少なくとも「それってどんなことを研究するんですか」と聞くだろう。ところが蟻の場合、それがない。蟻という単語が短すぎるのが原因なのだろうか。蟻における社会構造研究とか、蟻のコミュニケーション理論とか、言えばいいのだろうか。たぶん、そうではない。人々は蟻を研究すると言うことがあまりまじめな行為ではないように感じるらしいのだ。

 質問。蟻の研究は不真面目な行為なのか?

 とんでもない! 例えば蟻は人間以外に唯一牧畜をする生物だ。蟻の巣は全生物の中でも最も長い歴史を持つ完成された建造物のひとつだ。蟻の集団思考とでも呼ぶべきものはコミュニケーションの本質に古くて新しい光を当てるはずだ。蟻の研究からしか得られない知見や洞察があるからこそ研究しているのだ。

 でも人々はそうは思ってくれない。微笑みを浮かべて「蟻、ですか?」というその表情には、どことなくわたしが「うそだっぴょーん!」と続けるのを期待していることを感じさせるものがある。冗談だと思うらしいのだ。そしてそれが冗談ではないらしいとなると、次に続ける言葉がないことに気づくのだ。人々は、蟻について何を質問すればいいのか思いつかない。恐らく最も身近な生き物のはずなのに。子どものころから踏んづけたり観察したりしてきているはずなのに!

 だから最近わたしは小さく「なんてね」とつけるようになった。蟻です。なんてね。「うそだっぴょーん」だと、蟻の研究をしていないことになってしまう。「なんてね」でも効果は同じなのだが、わたしの中では少なくとも事実はゆがめていない。みるみる相手は安心した表情になり、わたしを面白いジョークを言う人とみなし、以後、会話が弾むことになる。そしてわたしは可愛い蟻たちのことを思い少し胸が痛むことになる。

 だから彼女と初めて出会ったときも「蟻です。なんてね」と言った。すると彼女は「蟻を研究していないんですか?」と尋ねた。「研究しています」と答えると「じゃあなんで『なんてね』なんてつけるんですか」と食い下がってきた。だからいままで話したようなことを説明すると大きくうなずきながら「聞いているだけで胸が痛みます」と言った。その途端にわたしは恋に落ちてしまった。だからせっかく蟻について根掘り葉掘り聞いてくれる相手が現れたのに、やっぱりわたしは口をきくことができないのだった。

(「蟻」ordered by shirok-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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