◇ 木2009/07/17 10:38:16

 何百年も生きて来た。何百年分のものがたりを知っている。

 大木の前でただぼーっと立っていたら、そんな言葉が浮かんで来た。ああそうか。このでっかい木はいろいろ見て来たんだな。おれが子どもの頃にもここに立っていて、この近所の人たちの暮らしを見ていたんだな。その頃はまだ携帯電話もなくて、デジカメもなくて、インターネットもなくて、コンビニもなくて、スタバも吉野家もマクドナルドもケンタッキーもディズニーランドもなくて、超高層ビルもなくて、夜中のテレビは砂の嵐で、猪木の新日本プロレスと馬場の全日本プロレスが世界の全てだった。

 違う違う。この木はもっと前からここに立っているんだ。おれのおふくろやおやじが子どものころもここに立っていた。戦争だって知っている。火の粉くらい浴びたかもしれない。ほんの50〜60年くらい昔なら、この木はやっぱり大木で、あたりを見おろしていたに違いない。出征する兵士を見送る行列も、遺体となって戻る兵士も見て来たろう。出征の前に約束を交わす恋人たちがこの木の下で過ごしたかもしれない。おれは思わず足を踏み替えた。

 それからまだまだ前があることを思った。おれは歴史には詳しくないからよくわからないけど、大正だの明治だの幕末・維新だのという時代にもここに立って、人々の暮らしを見ていたのだ。その頃も、いろんなやつがいたんだろうな。いくつになっても優柔不断なやつもいたんだろうな。そういうふにゃふにゃしたやつが上役にいたりして、その下でころころ変わる注文に悩まされてた職人とかいたんだよな、きっと。

 てやんでい、誰に何を言われたんだか知らないが、来るたんびに違うこと言いやがって、なんでい。人のいうことにぺこぺこ頭を下げて何でもかんでも、やりますやりますと安請け合いしやがって。全体てめえの意見ってものぁねえのか!なんて怒鳴ったりしてね。それでまた謝られたりなんかして、やめてくれよ、あんた上役だろ? 年上のくせに情けねえ! とか。いやいや、何しろ士農工商の世界だ。口答えなんか御法度だったろう。黙って理不尽な指示を聞いていたのかもしれない。

 きっと年に一度の村祭りだかなんだかの無礼講のときには本当にはじけて騒いだんだろうな。おんなじような思いをしている仲間で集まって、憂さ晴らしをしたんだろう。どさくさに紛れてその上役の頭をはたいたりしてさ。そんなのもこの木は見て来たんだ。そりゃあもう、いろんなことを見て来たんだ。そう。ここは神社の境内だ。祭りの時には人々が集まり、夜なんぞにはよからぬたくらみをするものが集まったりしたかもしれない。それこそここで果たし合いをしたやつらだっていたかもしれない。そう思った瞬間、刀がぎらりと光って、ぢゃりん、と金属音を立てた気がした。

 江戸時代どころでは済まないかもしれない。その前は、ええと、ええと、戦国時代とか応仁の乱とかムロ、クラ、なんとか幕府とか、まあいいや。でもその頃この辺に人は住んでいたのかなあ。村はあったのかなあ。この神社っていつごろできたんだろう。人がいなかったんなら、この木は何を見ていたんだろう。猿や鹿や猪なんかがうろちょろしているのを見ていたのかもな。梟なんかも飛んで来たろうな。それくらい前になると、さすがにこの木ももうちょっと細くて、背も少し低くて、きっと若木だったんだろうな。いったい何百年くらいここにいるんだろう。どんなことを見て聞いて来たんだろう。その記憶がいっぱいつまってこんなに大きくなったのかもしれないなあ。

 この立派な横木に首を吊ってぶら下がったやつは前にもいたんだろうか。木だって、そんな記憶をためこみたくはないよな。気の毒だ。そう考えると同時に、木の毒だ、という言葉が浮かんでおれは、は、は、は、と渇いた声を立てて笑っていた。そうだ。首つりの記憶なんてそれこそ木の毒だ。立派な大木の寿命を縮めかねない。別に死ぬほどのことじゃあない。「万年子分肌の10歳年上の人の下で仕事をする」 というややこしいシチュエーションにはほとほとうんざりだし、責任を押し付けられて詰め腹を切らされるのは心外だが、おれが世界で最初って訳でもない。おんなじような思いをしているやつは他にもいたし、いまだっているだろう。わかるやつはわかってくれる。

 おれはカバンを抱え直すとその場を離れた。ふと思いついて振り返り、その木にちょっとお辞儀しておいた。カバンの中のロープは、そうだな、登山でも趣味にして使うとするか。

(「「万年子分肌の10歳年上の人の下で仕事をする」 というややこしいシチュエーション」ordered by HIRO-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)