◇ 来2009/07/23 21:12:01

 部屋を片付けてさっぱりしたら、景気のいい声が近づいて来た。
「えっほ、えっほ、えっほ、えっほ」
「さあ、来た来た」
「聞こえて来たぞ」
「グルファンなの? 本当にグルファンなの?」
「ああそうだよ。いい子にしているんだよ」

 期待と不安でいっぱいの子どもたちがわけのわからぬ叫び声を上げる。グルファンのことは昔話で聞いたり、絵本で読んだりしていたものの、それはあくまで「悪魔」や「妖精」と同じく、お話の中の存在に過ぎなかったからだ。12年に1度、本物のグルファンが現れると言われても全然本当のこととは思えなかったに違いない。あるいはクリスマスのサンタクロースのようなものをイメージしていたかもしれない。
「えっほえっほえっほえっほ」
 だんだん近づいてくるかけ声は、それが架空の存在ではないことを示している。

「近づいて来たか」
「もうじきだ。すぐに来る」
「はかっていたようなタイミングだな」
 朝から集会所では近所の住人が総出で片付けをやっていた。12年ぶりのグルファンが気持よく過ごして、次もまた来てくれるように、心をこめて掃除をした。大人も子どもも一緒になって集会所を隅から隅まで磨き上げた。
「えっほえっほえっほえっほ」
 もう、すぐそこまで来ているくらいはっきりと聞こえるのに、声はまだまだどんどん大きくなっている。

「やだやだやだおうちに帰る」
「大丈夫だって、お父さんもお母さんもここにいるから」
 いよいよ本当に来たと聞かされて軽いパニックを起こしたのか、急にぐずり始める子どももいる。なだめている若い親たちの中には不安げに身を寄せ合い、子どもを抱きしめるものもいる。年寄りたちはそんな若い家族を温かい目で見守っている。

 小さな子どもたちは濡らした新聞紙をまき散らしたり、こびりついた汚れを濡らしてふやかす方法を教わったりして、細かい塵やホコリや汚れを取り除くことを覚えた。少し大きな子たちは掃き掃除と雑巾がけを徹底的に仕込まれ、身体が大きな子どもたちは高い場所の明かりや窓ふきなどに駆り出された。子どもたちの掃除を監督する大人たち以外は、男たちは建物の修繕や荷物運びをし、女たちは料理や飾り付けにかかり切りだった。12年に1度のグルファン迎えは子どもたちの躾の場でもあるのだ。

 どんどん高まる一方で、耳が痛いほどの大音量で近づいていたかけ声が、不意にやんだかと思うとがらがらと大扉が開き、グルファンが飛び込んで来た。丸めた背が大扉の上部にかすりそうなくらい大きい。全体はとんでもなく大きなコガネムシが後ろの2本の脚で立ち上がったような形をしている。これは昔話の中でもよくそのようにたとえられるのだが、本当に良く似ている。背中を覆った堅い鎧のような表皮も鈍く金属質に光っている。

 巨大な目玉は左右に突出し、長い舌がベロベロと鋭い歯の間から垂れ、よだれが床にしたたり落ちる。そのよだれは血が混じっているように赤い。子どもたちはあまりの恐ろしさに絶叫して逃げ惑う。親は押さえ込もうとするのだが、子どもたちの恐怖は想像以上に大きく、親の手を逃れ、とにかくどこか部屋の隅に隠れようとする。子どもが自分の手を離れたとなると親も不安になるらしく、もうさきほどまでのように落ち着いたふりはしていられない。

「迎えの者には会いませんでしたか?」
 係の者が尋ねるが、グルファンはそれには応えず、ふんふん、ふんふんと鼻を鳴らしている。
「お荷物はどこかいの?」グルファンが言う。低く轟くような声なのにキンキンと耳障りな雑音が混じっている。部屋の隅から子どもたちの悲鳴が湧き起こる。「早よ出さんとえらいこっちゃで」

「まあまあ、お神酒でもお飲みなさい」
 もう何度もグルファンを迎えたことのある長老がなみなみと酒をついだ器を持って近づく。せかせかと慌ただしげなグルファンをそうやってなだめるのだと昔話にも語り継がれている。その途端にグルファンが激しく頭を振り、長老が横なぎにされ宙を飛ばされてしまう。ぐげ、と妙な声を立てて長老は料理を用意したテーブルに激突し、動かなくなった。

 大人たちは騒然となった。さっきまでぐずぐず言っていた子どもたちはもはや恐怖のあまり声も出せない。
「なあ、お荷物はどこかいの?」グルファンが言った。「さっきのがお荷物か」
 言うが早いかグルファンは飛び上がり、倒れたままの長老の上に馬乗りになった。巨大なコガネムシの下敷になって長老の姿が見えなくなると、何人かの大人たちがあわててグルファンに駆け寄り、引きはがそうとしたが、その時、ごきっ、ぐちゃ、ごりごりという嫌な音がして、グルファンが何かを噛み砕く音が続いた。

 部屋のあちこちで嘔吐する音が聞こえた。
 突然グルファンの堅く丸い背中がブルブルっと激しく震え、グルファンを引きはがそうと手をかけていた大人たちが4人、てんでな方向にはじき飛ばされ、一人は壁に激しく頭を打ち付け、鼻血を流しながらへたりこんだ。

「どうしたんだ」何度もグルファンを迎えて来た大人たちがあたふたと騒ぐ。「グルファンはどうしてしまったんだ」
「ちゃうやんけ」たったいままで長老の上に屈み込んでいたグルファンが振り向きざまに言い放つ。「これ、お荷物ちゃうやん。長老やんか」
「お願いですグルファン、お荷物ならここにありますから」
 大きな荷を両手で抱えて喋りはじめた男に向かって、グルファンが口から何かを吹き飛ばす。それは人間の手の形をしたもので、それを見てまた何人かがげえげえと吐き始める。

「かったいわ、それ。ものごっつ固いわ」グルファンは長老の手のことをそう評した。「こんなんちゃうねんお荷物は」
「ですからお荷物はここに」
「もっとやらかいのがええわ」
「やらかいって?」
「長老とちごて、もっとやらかいのやったら食えると思うわ」
「グルファン!」
「やかましわ」
 グルファンは首を振って男をなぎ倒すと叫んだ。
「こどもや。ちっこいこどもを寄越せ。それで勘弁したる」
 小さな子どもを持つ親たちはみな立ち上がり、一斉に子どもたちの方に駆け寄る。
「ぐじゃぐじゃうるさいねん」グルファンは不意に背中の鎧を広げ振るわせはじめた。羽根だったのだ。そして狭い集会所の中で浮かびあがり、部屋の隅に隠れる子どもたちめがけて飛びかかった。「どこや。お荷物はどこや。お荷物寄越さんかい」

 子どもたちのつんざくような絶叫が響き、グルファンの羽音と共にすさまじい騒音をなす。子どもたちのほとんどは失神し、小便を垂れ流す。その時一人の少女が立ち上がり、食卓の豆をつかみグルファンに投げつけた。最初グルファンはそれに気づかなかったが、何度か豆をぶつけられ、ゆっくり少女の方に向かって旋回した。その瞬間、少女の投げた豆はグルファンの腹部に命中し、とたんにグルファンの羽根は動きをやめ、落下した。

「あかんてあかんて」グルファンは地べたに丸くなってしっかり羽根を閉じた。「あかんてあかんて豆はあかんて!」
 まなじりを決した少女は勇敢にもグルファンに歩み寄り、幾度も幾度も豆をぶつけ続ける。
「堪忍して!堪忍してえな!」グルファンはのたうつ。「どないなっとんねん。なんでこんな乱暴すんねん」
 少女はただ黙って豆を打ち付け続ける。少女が机に豆を取りに戻った隙にグルファンはちょこまかと駆け出し、大扉から外に飛び出していった。少女はそのまま豆をつかんで外まで追い、離陸したばかりのグルファンめがけて投げかけた。グルファンは中空でバランスを失い、ずっこけながらも命からがらという感じで飛び去った。

 こうして12年に1度のグルファン迎えの儀式は終わった。大人たちは再び集会所を片付け、つくりものの反吐をふき取り、名演技をした長老を讃え、そして何よりも勇敢だった少女を賞賛した。グルファンに入っていたのは3人の“迎えの者”だった。いつもの通りのいつもの儀式。こうすれば子どもたちは決してお荷物にならないようになる。お荷物とだけは思われないように頑張って育つ。そういう風習なのだ。

 幾度も繰り返された儀式。襲われる長老。あたふたする大人。お荷物を探し求めるグルファン。その時々にあれこれ手を加え工夫をしてグルファン迎えを盛り上げる。少しずつ過激になる傾向はあったが、だいたいは笑い話で済んだ。けれどもこの年はやり過ぎた。子どもたちは深いトラウマを負った。確かに彼らは長じてお荷物にならないように努力をしたが、それは自発的な努力と言うよりは強迫観念と呼んだ方がよさそうだった。そして村の指導者となることを期待された少女が成人する頃になって、あの年のグルファン迎えがやり過ぎだったことが判明するのだが、まだその時は来ない。

(「荷物」ordered by tom-leo-zero-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)