【お題58】名刺2008/01/28 07:34:29

「名刺」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「名刺」ordered by sachiko-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




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◇ 誰の名刺?

 その女から電話がかかってきたのは午前1時を回った頃だった。名前を聞いても誰だかわからなかったし、声にも聞き覚えがなかった。知らない女から真夜中に電話を受ける。そこには二つの相反する感情が呼び起こされる。ひょっとすると現実離れしたロマンスのようなものが自分の人生に訪れるのではなかろうかという淡い期待。うっかりした受け答えをすると完全にいかれたストーカータイプにこの先、半永久的につきまとわれるのではなかろうかという恐怖。

 冷静に考えれば「間違い電話です」とでも言ってすぐに切ればよかったのだが、そうすることはできなかった。ひとつには相手がこちらの事務所の名前を知っていたからだ。つまりそれは間違い電話ではなかったのだ。もうひとつには上に書いたような期待と恐怖で、理性的な判断力を失っていたせいもある。

「では、あなたはぼくを知っているんですか?」
「いいえ」と女は答える。悪びれるでもなく、淡々と、やや固い声で。「あなたが誰かわかりません」
「どういうことかな」何をどう聞けばいいのか迷ってぼくは口ごもる。「じゃあどうしてぼくの名前を」
「名刺を見ながらかけているからです」
「名刺?」なるほど。名前と電話番号がわかる。「じゃあやっぱりどこかで」
「いいえ。直接いただいた名刺ではないんです」
「はあ」またなんだか頼りない感じになってきた。これはクイズか何かなのか? わかるように説明してくれよ。あ。そう言えばいいんだ。「すみませんが、わかるように説明してくれませんか」
「わからないから電話しているんです」
「わからないって」

 聞くとこういうことだった。彼女が今夜仕事から家に戻ってきて、ふと気づくとリビングルームのテーブルの上にぼくの名刺があったというのだ。
「どうしてそんなところに」
「それを知りたくて電話しているんです」
「そんなこと言われても……あ!」
 思いついた。そうだ。それに決まっている。
「何ですか」
 初めて彼女の声が少し勢いづいた。
「ご家族のどなたか、お父さんかお母さんかご兄弟かがぼくとご一緒したことがあるのでは」
 少し間があいた。誰も何もしゃべっていないのにがっかりしたような空気が流れるのを感じた。
「一人暮らしなんです」
「え。いやでも、例えば誰かが訪ねてきたとか。あ!」
 また思いついた。
「え? 何ですか?」
 彼女の声がまたはずんだ。
「ご家族とか、彼氏とか、出入りする人は」
「いません」
 また声が冷たくなって、きっぱり否定された。彼女に彼氏がいないことまでわかってしまったが、わかったからといってどう活かすこともできなさそうな知識だ。
「電気やガスの点検とか、大家さんとか」思いつくままにいろいろ言ってみた。「でなければ泥棒とか」
「やめてください!」ものすごく強い調子で拒絶された。「やめてください! 無責任なこと言うの!」
 かちんときた。
「ちょっと待って。夜中の1時に電話してきて何ですかそれは」
「だって、泥棒とかだったら、いまもまだここにいるかもしれないってことじゃないですか!」

 え? あ、そうか。

「それは困る」
「こっちはもっと困ります!」
「あなたが無事がどうか心配になってきた」
「心配してください」
「わかりました。いやでもどうやって? あなたが誰か知らないし、電話番号も知らない」
「え。それは」
 厄介なものだ。それはそうだ。今度は電話の相手の男、つまりぼくがストーカーになるかも知れない。一人暮らしの女性はそういうことを心配しなくてはならないわけだ。でももしこのまま電話を切ってしまうと、ぼくはぼくでこの先ずっと「あの女は無事だったろうか」と心配し続けなくてはならなくなる。
「そうだ。せめてこの電話の間に部屋の安全確認だけでもしてみたらどうですか」
 そう提案したのと同時に女はフルネームで名乗った。
「え?」名前を復唱してぼくは言った。「あなたの名刺、持ってます」

 2日ほど前に覚えのない名刺をベッドサイドテーブルの上に見つけて不思議に思っていたのだ。立ち上がって財布を手に取り、しまっていた名刺を取りだし、名前と会社名と電話番号を読み上げる。しばしの沈黙の後彼女が言う。
「それ、わたしです。でもそれは前の会社の名刺です」
「前の会社」
「転職したんです。もう5年になります」
 5年以上前の彼女の名刺がぼくのベッドサイドに?
「失礼ですが酔って記憶をなくすことってあります?」
「いいえ!」失礼な、と言わんばかりの返事。「お酒、飲めませんから」
「ぼくはしょっちゅうなんです。だから知らない人の名刺があってもそんなに驚かないんですが」そこまで言ってぼくは気づく。「でもお互いに名刺を持っているってことと、リビングに名刺があるってのは、話が別ですね。そっちはまだ解決していない」
「こわい」
「うーん」彼女の名刺を見ながらぼくは考える。そして一つの仮説にたどり着く。けれど今度は「あ!」とは言わない。なぜならそれはあまりに悲しい仮説だからだ。
「本当にお会いしたこと、ありませんかね」
「ごめんなさい。お会いしたようには思えないの」
「最近何かの治療をうけたことは?」
「治療? いいえ。あ!」
 彼女が何かを思いついたらしい。
「どうしました?」
 しばしの間の後、ぷつり、と電話は切れた。ぼくはツーツーツーという音を聞きながら、財布の中のもう1枚の名刺を手に取る。誰から貰ったのかわからないもう1枚の名刺。それは聞いたことのない催眠療法士の名刺だ。

(「名刺」ordered by sachiko-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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