◇ 森2009/07/14 09:23:24

 こっそり部屋に持ち込もう。小さな森を持ち込もう。
 どちらが先に言い出したのか、それが二人の合い言葉になった。彼が小さな鉢植えを持ち込み、彼女が、それ、こっそりのつもり?とダメ出しをする。そういう彼女も木製のテーブルを購入し、それを見た彼は、おいおい堂々とし過ぎだろうとたしなめる。だって仕方がないでしょう? テーブルなしで暮らすわけにいかないんだから。

 それもそうだ、ということになり、大物は早めに揃えてしまうことにする。アカマツのクローゼットを買い、ナラ材の仕事机と椅子を入れ、ヒノキの丸太椅子を据え、ベランダにプランターを並べたり、木製のガーデニングテーブル&チェアのセットを置いたりするのは、あえて二人で「堂々と」行い、それから再び「こっそり」持ち込むことにする。

 彼が買った木曽サワラのコップは、バレバレ!と一蹴され、彼女がかなり自信を持って持ち込んだ四万十ヒノキのまな板は、テーブルの上にうっかり取扱説明書を置いていたばかりにすぐに露見してしまった。いずれ生まれてくる子どものためにと称して彼が見つけて来た積み木のセットは、十種類もの木を使ったぬくもりのある素敵なもので、子ども好きな彼女をいたく感動させはしたけれど、やはりバレバレであることに変わりはなかった。ニレを使った印鑑ケースは数日ひっそりと目立たずにいたが、それも請求書に判を押すために彼が引き出しをあけるまでのことだった。

 拾って来た流木をタオル掛けに使ったのは彼女だった。これは最初なかなか気づかれなかった。なにしろ流木を拾ったのは海岸である。森からやって来た、というよりも、海からやって来たイメージがあったため、彼はなかなか気づかなかったのだ。ある朝彼が、洗面所で歯を磨きながら、今度はどこに何を持ち込もうかと物色している時に、偶然タオル掛けに目をとめ、はじめて、それが森からやってきたものだということに気がついた。

 やられた!と叫んで笑い話にすれば良かったのだが、この日たまたま彼は虫の居所が悪かった。このところ、職場のサディスティックな上司から、ねちねちと嫌味を言われ続け、いつもならしないようなミスを連発してしまい、職場での立場も悪くなりつつあった。会社になんか行きたくないとまで思っていた。買い物にでも行って、彼女が絶対に気づかないような森を持ち込もうと思っていた。そんなタイミングでタオル掛けに気づいたのだ。

 ずるいな、というのが彼の感想だった。これはひっかけ問題じゃないか。森というよりは海のものじゃないか。これでこっそり持ち込めたと思って勝ち誇っているのか。そっちがそういうやり方をするなら、こっちだってやりたいようにやるさ。

 ふだんの彼はこんな意地の悪い考え方をする男ではない。でも、この時は違った。男は黙って歯を磨き終え、タオル掛けに気づいたことに触れもせず、むっつりとスーツを着て、テーブルに用意された弁当の包みを黙ってカバンに納め、会社に出かけた。その日彼はキーホルダーを変えた。モリゾーとキッコロのついたキーホルダーだ。けれど彼はそれをカバンから出さなかった。

 翌日はシステムノートの中身をすべて国産パルプ紙使用のものに取り替えた。まだ8月なのに! そしてもちろんそのノートもカバンにしまったままだった。こっそり持ち込んでいるぞ。ほら、気づかないだろう。彼女がタオル掛けに気づいて欲しそうにしているのを見るたび、彼は目をそらし、今度は何を家に持ち込もうかと策を練った。ねえ、と彼女が言う。何、ぶっきらぼうに彼は答える。どうしたの? どうしたの、って何が。おかしいよ、最近。そうか? 何かあったの、会社で……。関係ない! 自分でも意外なほど大きな声で彼は否定する。だって……。彼女が怯えているのを見て、可哀想に思いながらもなぜか素直になることができない。だから、ついきつい口のきき方になる。だって、何? 彼女は黙ってしまう。彼ももう何も言うことがないのに気づく。

 こっそり部屋に持ち込もう。小さな森を持ち込もう。
 そんな言葉は、もう忘れられてしまったかのように、家の中には変化がなくなる。ふたりともむっつりして、必要なこと以外口をきかなくなる。こうなってはもう、彼もいまさら流木のタオル掛けに気づいたふりをすることもできない。きっと彼女はとっくに気づいていたに違いない。彼がタオル掛けのことを知っていて無視していたことを。

 ある日会社の帰りに、彼は店に立ち寄ろうとする。それは以前、二人でよく買い物に来た店だった。でももうすぐ着くというタイミングで、彼女が店から出てくるのを見て、思わず足を止めてしまう。彼女は最近見せたことのないような笑顔を浮かべて、戸口まで送りに来た店主と挨拶している。彼はくるりと背を向けて、もう一軒の別な店をめざす。

 買い物を終えて家に帰ると、彼女はいつものように四万十ヒノキのまな板に向かってキャベツをきざんでいる。男は買って来たばかりの香り玉がやはりヒノキ製だなと思いながら、それを鉢植えの裏のあたりに隠す。財布や定期入れを置くついでなのでばれるはずがない。もう、後、何カ所かに置こう。洗面所に置ける場所はあるかな? トイレの上の棚の中にしようか。

 振り向くと、彼女がこちらを見ていた。悪いことをしている所を見つかったような気分になって彼はどぎまぎする。すると彼女は木でできた椀と皿を机に置き、これ、買って来ちゃった、と言う。何? 彼はまだわからない。こっそり持ち込むんじゃないのかよ。どうしてそれ、言っちゃうの? だって。彼女はうつむき、それから思い切って言う。もう、そういうことしないのかと思ったから。ええ? 鈍い男はまだ気がつかない。どうしてそう思うの? だって。

 彼は思わず鉢植えの裏の香り玉を取り出して、言ってしまう。おれ、まだやってるのに。ほら、これ、香り玉。ヒノキの香りのする丸い玉を彼女がそっと手に取る。それにこれ。彼がポケットから取り出したのはモリゾーとキッコロのキーホルダーだ。彼女は吹き出し、笑顔を見せる。

 で、何なの、それ? 安心した鈍い鈍い男が言う。ずいぶん、小さくね? そこまで口に出してはじめて彼は気づく。え? あ? そうなの? マジ? おめでた? あーあ、隠しておけば良かった。彼女は微笑みを浮かべたまま答える。そう、ベビ−食器。

 ひとしきり大騒ぎした後で、ふたりはソフトドリンクで乾杯し、一緒に食事を食べ終える。おれがやるからと言いながら、彼が手際悪く食器を洗う。改めて腰を落ち着けてから、彼は尋ねる。どうしてこっそり持ち込まなかったの、これ。桜の木でできたベビー食器はテーブルの中央にまるで上等な花器のように飾られている。だって。と彼女は言う。最近冷たかったじゃない。冷たかったんじゃないよ、と彼は言いながら、軽口を飛ばす。久しぶりの軽口を飛ばす。平熱が低い男なだけだよ。ばか。彼女が笑い、さっきの香り玉を掌に転がす。香り玉の匂いは、買って来たばかりの頃のまな板の匂いと同じだ。

(「平熱が低い男」ordered by ariestom-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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