◇ 梟2009/07/18 09:22:35

 仲間と思って呼び続けていた。本当は自分の声のこだまなのに。

 ホッホー、ホッホー、ホッホー。森の奥から聞こえてくるのはアオバズクだった。どこにいるのかはわからなかった。わかりようもなかった。さっきまで斜面の下の方から聞こえてくると思っていたのが、気がつくともっとずっと遠くから聞こえるような気もする。山道をうねうねと歩いているので、正確な位置関係などわかるはずもないのだ。

 わたしにはそれが夢の中のできごとだとわかっていた。ちっともかまわなかった。しばらくこのままこうしていられるのなら。そう。山の中を歩いているのはわたし一人ではなかったのだ。兄がわたしのすぐ後ろを歩き、時おり話しかけてくれた。昔のままの飄々とした話し方で、最近あったおかしなできごとを教えてくれる。

 それがさ、そのばあさんが手を離してくれないわけさ。いやもうここで行きますんでって言ってもじっとおれの手を握ってるわけさ。そのうちだんだんその手の力が強くなって来ておれも、イタい、イタい、イタタタタタッて思わず叫んだところでばあさん、ほなずーっとわたしといてくださいとぬかしやがった。

 ほんまやの? わたしはなぜか関西の方の方言でしゃべっていた。にいさん、話、つくってんの、ちゃうん? つくってなんかいないさ。兄が、まるでひと昔前のアクション映画の俳優みたいに妙に気取った口調で答えるのがおかしい。おれが話しているのはすっかり実際にあったことばかりさ。

 ホッホー、ホッホー、ホッホー。あっ。梟や。ああ、あれはアオバズクの声だね。アオバズク? 夢の中のわたしは初めて聞いた名前のように鸚鵡返しにつぶやく。よう知ってんなあ、けったいなこと。まあね、研究してるからね。研究って、何してんの最近と言おうとしてわたしは不意に兄がもう生きていないことを思い出した。別に思い出したからどうと言うことはない。最初から夢だとわかっていたし、兄がそこにいることが夢の証拠だと思ってもいたから。

 そうだね、おれの研究は主に金融工学の解体だ。キンユウコウガクノカイタイ? 思わず聞き返すと兄はもう、これ以上爽やかな声は出せないというくらい爽やかな声で、だってコカ・コーラをもうこれ以上飲めないだろう、仮に体重が190kgあったとしてもさ。にいさん、そんなにあるの? 仮さ、仮にと言っている。

 そういえばさっきからずっと話しているのに、わたしは後ろを振り返らず歩いていたので、兄がどういう姿をしているか見ていないことに気づいた。兄は190kgもある巨漢になってしまったんだろうか。そんな兄の姿を見たくはない。昔のままの兄ならいい。でも、と、わたしは考え直す。だったらわたしの方が年上になってしまう。それはいやだ。

 想像はとりとめなくふくらむ。兄がもしもっと違う姿になっていたらわたしはどう思うだろう。急にわたしはこわくなってくる。たとえば生まれ変わった全然知らない人の姿で歩いていたら。あるいは死んでからの年数分朽ち果てた姿で歩いていたら。こういう時にいい『想像は働かない。わたしは後ろを見るのが恐ろしくなる。いや、自分が振り返って見てしまうのではないかと思うことそのものが恐ろしくなってくる。

 振り返ってはいけない。そうだ。兄が死ななかったらなっていたであろう年齢なりに年をとっていてさえ、わたしには受け入れられないかもしれない。なのにわたしは振り向かずにいられないことを知っている。ああ、おまえ。アクションスター気取りの兄の声がすぐにかぶさってくる。いけない。振り返っちゃいけないよ。なんで? わたしは少しすねた声で言ってみる。なんでもさ。振り返ると幸せは逃げて行く。

 もう! と言って振り返ると、そこには誰もおらず、誰もいないことにわたしはうちのめされる。頭上でばさばさっと羽ばたきがして、あわてて見上げようとするが、夢の中のわたしの動きは緩慢で何も見つけられない。ホッホー、ホッホー、ホッホー、とアオバズクが鳴き、わたしはそれがアオバズクの鳴き声だと言うことを忘れないでおこうと、必死になって自分に言い聞かせている。

(「190」ordered by sachiko-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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