【お題30】門松2007/12/27 21:29:07

「門松」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「門松」ordered by 花おり-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




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◇ 門松を選ぶ

 父は何でも「元来日本では」と理屈をつけて、いろいろ奇妙なことをやっては「だからこれでいいんだ」と悦に入っていた。例えば長髪。わたしが子どものころ友だちの男親で髪の長い人なんて皆無だった。本人は「元来日本では男が髪を長くして結うのは当たり前のことだったのだ。床屋って言葉も髪結床から来ているんだ。散髪なんていって短くするのはたかだか明治以降の欧米かぶれの習慣に過ぎん」と意気揚々としていたが、時代的にはヒッピームーブメントのさなかだったので、まわりからは「年甲斐もなく若作りをしている」と思われていたようだ。わたしも弟もそれが恥ずかしくて仕方がなかった。

 それから何かというと太陰暦を持ち出すのも迷惑だった。睦月、如月、弥生といった言葉を使うので、小さいころわたしは1月、2月、といった月以外にも卯月とか神無月とかいう月があって、1年は20カ月くらいあるのだと本気で信じていた。おかげでひどい恥をかいたのでそのことでは真剣に父を恨んでいる。盆を旧盆にやるのはまだいいとして、正月も世間がみんなお正月の時には「元来日本ではまだ師走で」とか何とかまくし立ててろくに正月らしいことをせず、あげくに旧盆の時は自分が忙しいものだからやはりろくに正月らしいことをせず、でもそれがおかしいということに気づいたのはわたしがある程度大きくなってからで、確かわたしが小学校4年生の年にようやくうちにも当たり前の正月が来るようになった。わたしが文句を言ったせいもあるが、本人も正月らしいことがしたかったのではないかと思う。そうでなければなかなか自説を曲げるような人ではないからだ。

 ただこれもただではすまなかった。父の説によれば「元来日本では門松というものは常緑樹であれば何でも良かったのだ」ということで、信じられないことだがクリスマスツリーを門の前に飾り、それをそのまま正月まで立て続けて「これでいい」と言い張ったのだ。さすがにクリスマスを過ぎるとオーナメントこそはずしたものの、端から見ると、理屈がどうだろうと「片づけ忘れた家」「何かを間違えている家」以外の何物でもない。このことではわたしも弟も泣いてやめて欲しいとお願いしたのだが、父は頑として聞き入れなかった。これでいいのだの一点張りだった。これも後から考えれば、恐らく旧の正月を譲った分、何かで自分の主張を貫きたかったのだと思うが、家族はいい迷惑である。

 だから数年前の正月に実家に帰って、当たり前の門松が当たり前に飾られているのを見て、嫌味半分にクリスマスツリーを飾らないのかとからかってみた。すると父は真顔で「そんなことがあったはずはない」と言った。押し問答の結果、わかったのは「うちは旧の正月を祝うので、クリスマスからだと1カ月以上飾り続けることになってしまう」という理屈だった。その時初めて、父の記憶があやうくなり始めていることに気がついた。わたしが小学校4年生以降の記憶がどんどん失われていたのだ。

 やがて父はときどき自分がまだ40代や30代だと思いこむようになり、いくつかの問題を引き起こした。行動を規制されるようになってからは急激に体調を崩し、間もなく世を去ってしまった。死の直前には、母のことをその母親だと思いこむようになり、しばしば「ミツコはどこですか」と尋ねたそうだ。ときどきは「元来日本では」といいかけたものの話す内容を思いつかず、そのままになってしまうこともあったらしい。最期の言葉も「元来日本では」だったら話は面白いのだが、残念ながらそうではなく「ミツコさんをお嫁にいただけないでしょうか」という挨拶だったらしい。20代の頃、母の両親の元へ挨拶に来た日そのままの真剣な顔つきでそう言ったそうだ。母はそのことを少し嬉しそうに語った。

 年末に門松を買いに行って、シンプルな松だけのものや可愛いミニ門松や、いろいろ並んでいる花屋の店先を物色しながら、夫とどれにしようか話している時にふと「シンプルなのでいいんじゃない? もともと日本では常緑樹なら何でも良かったらしいから」と言って、はっとした。自分も父のようなことを言い出す年齢になったんだろうか? 小さいころは嫌でたまらなかったのに。と思っていたら夫が言った。
「いつも感心するけどさ、おまえってそういうこと、ホントよく知っているよなあ」
 どうやら知らないうちにいつも言っているらしい。次からは「元来日本では」と言ってみようかな。

(「門松」ordered by 花おり-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題31】あいうえお2007/12/27 21:30:25

「あいうえお」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「あいうえお」ordered by みやた-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




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◇ (言葉の)レッスン

 あさはかな考えだと言われるなら反論のしようはないし、あさましい功名心だと言われても甘んじて受けるが、これだけは言っておきたい。謝らなければならないのは彼らであって私たちではない。あくまでも個人的な研究だったものを彼らが取り上げ、バランスを欠いた形で肥大化させてしまったのだ。悪夢はそのようにして始まり、いま終わろうとしているのだ。あどけない目をした私のペットはいまや世界中を恐怖に陥れてしまい抹殺されるのを待つばかりだ。合わせる顔がない。あまりにも無惨であまりにも理不尽で、そして自分があまりにも無力だったことが、ただくやまれる。

 一年前のある日、彼らは私の元を訪れた。いきなりの訪問を謝りながら、政府からやってきたと名乗る彼らの目的は私の飼っていた大型犬を引き取りたいというものだった。言うまでもなく家族同然のコロを手放す気はないと抵抗する私に彼らは言った。「違法な研究をされていることはおわかりでしょうね。遺伝子操作、動物虐待、そして動物に高度な知性を植え込もうとすることには、倫理的な面も含め問題はたくさんあります。いまのままではあなたを逮捕せねばならなくなりますが、ただし」慇懃な口調で彼らは言葉を続けた。「いい方法があります。この犬と研究のデータをそっくり引き渡してもらえれば、逮捕だなんて無粋な真似はしません」

 有無を言わせず私からペットを引き離し、研究室の全てのデータを奪い、彼らは去った。裏からも手を回し、どうにかしてコロを取り戻そうと試みたが、日本政府のどこにも彼らのような組織はないと言われて話は先に進まなくなった。嘘をついているのは誰なのか、彼らなのか、日本政府なのか。うやむやにされてはたまらないと八方手を尽くし、議員をしている友人にも掛け合ったが、もはやとりつく島もなかった。うろうろと少しでも関係のありそうなところを訪ね歩くだけで無為に時間が過ぎていった。胡散臭い連中からアプローチがあったのはそんなある日のことだった。

 笑顔で登場した女はかつて私の研究室で働いていた研究員だった。「閲覧権がありますからね、わたしはデータにいつでもアクセスできますし、もちろんコロちゃんの所在もわかっていますよ。栄養もたっぷり与えられて元気に賢く、いささか賢すぎいるほど賢く育っています」エジプトの古代の壁画から抜け出したような顔つきの女は続けた。「円なら1500万円、ドルなら10万ドルで連れ出してあげましょう」営業用の笑みの奥で笑わない目が私を見つめる。「越権行為かも知れませんがね、あなたのポケットマネーも調べがついています。エサ代には困らないくらい残りますよね?」

 愚かだったことに気づいたのはそのすぐ後だった。女は軍事用にトレーニングを受けたコロの本当の恐ろしさを知らず、奪還作戦中に喉笛を食い破られ死んでしまった。およそ人類が経験したことのない怪物と化したコロは脱走した千葉県から徐々に東京へと向かい、その道筋に人間も家畜も含め多くの死体を積み重ねていった。追いつめられた愛犬の映像を見て私が事態を悟ったのは、コロが脱走してから3日もたってからで、すでにコロは研究所からわずか数キロまで接近してきていた。大あわてで現場にたどり着いたときには、殺戮は終わろうとしていた。大勢の人間があるいは命を落とし、あるいは重傷を負い、その中程でコロはずたずたの毛皮の塊となって地面にへばりついていた。大声でわめきながら、周囲の制止を振り切って私はコロのそばに駆け寄った。尾がぱたりと動き、コロのつぶれていない方の目が私を見つめ、そして前足を動かして地面に書きつけ始めた。

   あいうえおあいうえおあ

 あを書いている途中で前足の動きが止まり、コロは死んだ。それは、トレーニングを始めたとき、私がいちばん最初にコロに教えようと試みた言葉だった。

(「あいうえお」ordered by みやた-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)