【お題18】生え抜き2007/12/15 17:06:59

「生え抜き」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「生え抜き」ordered by カリン-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。



====================
◇ 矜持(プライド)

 そして作家はマントを羽織ると誰にも声をかけずむっつりした顔で外出する。腕組みをして、足早に。黙々と歩き続け、早くても半時間、長いときは3時間くらい帰ってこないこともある。その間、どこに立ち寄るでもなくただただ歩き続けているらしいが、誰かがついて回って確認したわけではないので確かなところはわからない。

 家の者はそれを見て、ああまた行き詰まっているなと察する。いつもそうなのだ。書いているものが先に進まなくなるとこのように歩きに出る。目的は答が見つかるまで歩き回ることなので、すぐに答が見つかればそれで帰ってくる。でもだいたい頭の中で整理するのに時間がかかるので最低でも半時間くらいはかかるわけである。

 たいていは細かい表現に関することで、例えば今日などは「生え抜き」にするか「生粋」にするかで悩んでいる。場合によっては「たたき上げ」の方が適切なのではないかと思いついたあたりから、考えるべきことが膨らんでしまった。「生え抜き」か「生粋」かはほぼ同じ意味なので趣味の問題とも言えるが、「たたき上げ」にすると主人公の設定がいささか変わってしまう。いままで書き上げた部分も修正しなくてはならなくなる。そこまで踏み込むべきかどうかで悩んでいるのだ。

 もうひとつ作家を悩ませていることがある。

 それは夕べ編集者が教えてくれたインターネット上のある流行の話だ。インターネットの利用者の誰かが「お題」と呼ばれるものを出し、それに対して作家気取りの者達が極々短い小説をものすごいスピードで書き無料で公開する、ということが流行っているらしい。サドンフィクションと呼ばれるそれらの作品は少なく見積もっても10万点を超すというすさまじいボリュームになっており、あろうことか多くの読者を獲得しているというのだ。それもずっと活字離れを指摘されていたはずの若年層がこれを面白がって異様な活況を呈しているらしい。編集者によれば、いずれは読書文化は印刷された活字ではなくインターネット上に移行し、出版社を逼迫するのではないかとまで言うのだ。

 ふざけるな! と作家は考える。そんな思い付きをただ垂れ流すようなものがまっとうな作品として認められるわけがない。例えばわたしは、こうして歩き回る中で、それまで三人称で進めていた物語の話者を二人称にすべきだという結論に達し、既に書き上げていた600枚にもおよぶ原稿を全て書き直したことがある。そういう全身全霊を賭けた作業をその者達は想像さえできないに決まっている。

 編集者は言っていた。最初に始めたのはa.k.a.hiroとかいうどこの馬の骨とも知れないコピーライターで、しばらくは1人でやっていたが、わずか1、2年ほどの間に我も我もと書き手が増えていまや1万人近くの書き手がインターネットを徘徊しているらしい。

 広告屋風情が! 作家は苦々しく思う。どうせあっちこっちで仕入れたネタを上手につぎはぎするのが得意なんだろう。その手の剽窃まがいの閃きだけは上手で、それが模造文化に慣れた読者に受けているに決まっている。だいたいa.k.a.hiroとは何だ。なんて読むのかもわからない。「あかひろ」とでも読むのか。そういえば「なんとかチャンネル」というものがインターネットにあってそこの社長だかなんだかの名前が確かそんな風ではなかったか?

 小説の創造に必要なのは閃きだけではない。まず習慣として書き続ける能力が絶対的に必要だ。ぱっと書いてもう終わり、などもってのほかだ。それだけではない。構想力、構成力、そして粘り強すぎるくらい粘り強い推敲に耐えられるだけの忍耐力が必要だ。ものすごいスピードとは何ごとだ。単なる忍耐力のなさの表れではないか。おそらくその者達は「生え抜き」と「生粋」で悩むことなどないだろう。ましてや「たたき上げ」に変えることで全面的な書き直しをするかどうかについて頭を使う努力など思いつくことさえできないに違いない。いやいや。それどころか「生え抜き」と「たたき上げ」の違いだって知らない可能性がある。出版社も出版社だ。何を考えてぐちぐちと泣き言を言っているのだ。わたしをそんな者どもと一緒にされては困る。わたしには矜持がある。なぜならわたしは文芸誌に認められ文芸誌とともに育った生え抜きの作家だからだ。

     *     *     *

 そこまで書いて作家は万年筆を止める。いやここは生粋の作家とすべきだろうか。むしろたたき上げの作家とした方が、地に足のついた作家の誇りのようなものを強く表現できるのではないだろうか。
 そして作家はマントを羽織ると誰にも声をかけずむっつりした顔で外出する。(冒頭に戻る)

(「生え抜き」ordered by カリン-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題19】ハレルヤ2007/12/15 17:08:06

「ハレルヤ」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「ハレルヤ」ordered by みやた-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




====================
ハレルヤ!ハレルヤ!

 毎週火曜日には教会に入園前の小さな子どもたちが遊びに来る。「いたずら会」の日だ。教会の牧師は子どもたちと過ごすこの時間が好きだ。子どもたちも牧師と遊ぶ時間をとても気に入っている。牧師と一緒にいると次から次へと面白いことが起こるからだ。たっぷり子ども達と遊んだ後、火曜日の夕方に牧師は時折ひとりのマジシャンのことを思い浮かべることがある。いまはもういない、過去のマジシャンのことを。

     *     *     *

 当初ハレルヤ斎藤はデイヴィッド・カッパーフィールド的なマジシャンとして登場した。1990年には北海道のだだっ広い大麦畑で最新鋭の巨大なトラクターを一瞬で消し、1991年には富士山麓の自衛隊演習場で戦車部隊をまるごと消してみせた。トラクターの所有者や自衛官が演技でなく真剣にあわてふためく様子など、スケールの大きさに加えユーモラスな演出が話題になり、一躍人気を得てハレルヤ斎藤はテレビ番組改編期の常連となった。1992年には東京タワー上空を飛んでいた2機のヘリコプターを消してしまい東京中をあっといわせた。同年、羽田空港でジャンボジェット機が一瞬にして100羽の鶴になって飛んでいった。1993年の正月番組では、神宮球場で360度から見られている状態でリトルリーグの少年少女50人を消してみせた。しかしこの時、パニックに陥った保護者の恐怖の悲鳴が球場内に響き渡り、以来、ハレルヤ斎藤はお茶の間向きではないという烙印を押され、テレビ界から遠ざけられた。

 おりしもバブルがはじけ、制作費のかかる番組が敬遠されるタイミングだったこともあり、人気絶頂の時とは対照的に、手のひらを返したようにどこの局からも声がかからなくなった。ラスヴェガスのようなショー空間を持たない日本において、ハレルヤ斎藤のようなマジシャンにとってテレビは唯一のステージだったから、これは死活問題だった。テレビ局が安心するようなネタを次々に考案して持ち込んだが、いったんケチがつくとテレビ局の態度は極めて冷淡だった。もう検討すらしてもらえなくなっていた。

 各地のバブリーなホテルのディナーショーで食いつなぎいでいた時代はまだ良かったが、これも景気の悪化とともに減っていった。ハレルヤ斎藤のショーの特長だった「笑い」の要素が姿をひそめ、自然、受けも悪くなっていったが、自分では受けが悪い原因は最も得意とするスペクタクルマジックが封印されたせいだと思いこんでいた。追い打ちをかけるようにマジックのトレンドがテーブルマジックに移行してしまうと、もはやどこからも全く声がかからなくなり、事実上廃業に追い込まれた。いや。チャンスはまだあったのかも知れないが、ハレルヤ斎藤の中で何かが終わってしまったのだった。

 2001年の冬、牧師だった父が亡くなり、ハレルヤ斎藤は宮崎の実家に戻った。放蕩息子の帰還である。名前も斎藤晴也に戻ってそのまま教会に住み着き、牧師の仕事を継ぐべく勉強を始めた。何度か無神経な雑誌の「あの人はいま」「一発屋伝説」といった特集に取り上げられたこともあったが、それすらもたいして話題にならないほどで、斎藤晴也はひっそりと勉強に専念して過ごした。2003年には正式に牧師になった。2004年の秋、地元の子どもたちと話していて彼らが雪を見たことがないと言うのを聞いてクリスマスに雪を降らせ、短い時間雪景色をつくった。もちろん誰にも言わずただ雪を降らせだけなので、それが斎藤晴也牧師の仕業だということを誰も知らない。

 それが楽しかったので、2005年の春には何度かにわたって桜が満開を迎えるようにした。しかしながらその結果といえば花見の宴会が長引き公園のゴミが増えただけだったので、これはもうやめようと思った。夏が近づき、子どもたちが虫取りに連れていってもらったことがないと聞いて、教会の裏手の山を虫取りのワンダーランドにしてみせた。たくさんの子どもたちが虫取りに夢中になり、「最近では珍しく山野を駆け回る子どもたちの声が聞こえる」と地元紙でも紹介された。

 そしていま斎藤牧師は今年のクリスマスは何をしようかと考えている。ホワイトクリスマスはもうやってしまった。トナカイのそりに乗って空を飛ぶサンタクロースを出現させるのも楽しそうだが、宮崎だけにサンタクロースが現れてもぴんと来ないだろう。雪だるまが行進したりしたらさすがに誰の仕業だってことになるだろうし、そうなると牧師としては困る。

 今日は火曜日。いつものように斎藤牧師は、教会に遊びに来た子どもたちを簡単なトリックでからかう。人生の全てが毎秒毎分、驚きに満ちている小さな子どもたちは、牧師のマジックをいちいち不思議がったりはしない。ただ、他の大人より面白い大人として牧師を面白がるだけだ。落としたはずの帽子を服のお腹のところから取り出されてけらけらと笑ったり、部屋の隅で万国旗たちが振り付けの練習をしているのを見て大はしゃぎしたり。どうして牧師と一緒にいると世界はこんなに面白いんだろう。子どもたちの笑いはそう物語っている。

 そうだ。不意に斎藤牧師は思い出す。どうして忘れていたんだろう? 笑わせるために始めたんじゃないか。小学生の時には給食の時間、友だちが持っている箸を一瞬で2本の鉛筆にかえて大受けした。中学校では背を向けて黒板に書いている先生の頭の寝癖の上に矢印を飛ばして教室中爆笑に巻き込んだ。ああそれがいい。笑えるマジックがいい。今年のクリスマスにはひとつ、みんなが笑って大はしゃぎして腹の底から愉快な気分になれるようなことをやってみようじゃないか。

 こうして放蕩息子は再度帰還する。そう。ハレルヤ斎藤が帰ってきたのだ。

(「ハレルヤ」ordered by みやた-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)