【お題19】ハレルヤ2007/12/15 17:08:06

「ハレルヤ」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「ハレルヤ」ordered by みやた-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




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ハレルヤ!ハレルヤ!

 毎週火曜日には教会に入園前の小さな子どもたちが遊びに来る。「いたずら会」の日だ。教会の牧師は子どもたちと過ごすこの時間が好きだ。子どもたちも牧師と遊ぶ時間をとても気に入っている。牧師と一緒にいると次から次へと面白いことが起こるからだ。たっぷり子ども達と遊んだ後、火曜日の夕方に牧師は時折ひとりのマジシャンのことを思い浮かべることがある。いまはもういない、過去のマジシャンのことを。

     *     *     *

 当初ハレルヤ斎藤はデイヴィッド・カッパーフィールド的なマジシャンとして登場した。1990年には北海道のだだっ広い大麦畑で最新鋭の巨大なトラクターを一瞬で消し、1991年には富士山麓の自衛隊演習場で戦車部隊をまるごと消してみせた。トラクターの所有者や自衛官が演技でなく真剣にあわてふためく様子など、スケールの大きさに加えユーモラスな演出が話題になり、一躍人気を得てハレルヤ斎藤はテレビ番組改編期の常連となった。1992年には東京タワー上空を飛んでいた2機のヘリコプターを消してしまい東京中をあっといわせた。同年、羽田空港でジャンボジェット機が一瞬にして100羽の鶴になって飛んでいった。1993年の正月番組では、神宮球場で360度から見られている状態でリトルリーグの少年少女50人を消してみせた。しかしこの時、パニックに陥った保護者の恐怖の悲鳴が球場内に響き渡り、以来、ハレルヤ斎藤はお茶の間向きではないという烙印を押され、テレビ界から遠ざけられた。

 おりしもバブルがはじけ、制作費のかかる番組が敬遠されるタイミングだったこともあり、人気絶頂の時とは対照的に、手のひらを返したようにどこの局からも声がかからなくなった。ラスヴェガスのようなショー空間を持たない日本において、ハレルヤ斎藤のようなマジシャンにとってテレビは唯一のステージだったから、これは死活問題だった。テレビ局が安心するようなネタを次々に考案して持ち込んだが、いったんケチがつくとテレビ局の態度は極めて冷淡だった。もう検討すらしてもらえなくなっていた。

 各地のバブリーなホテルのディナーショーで食いつなぎいでいた時代はまだ良かったが、これも景気の悪化とともに減っていった。ハレルヤ斎藤のショーの特長だった「笑い」の要素が姿をひそめ、自然、受けも悪くなっていったが、自分では受けが悪い原因は最も得意とするスペクタクルマジックが封印されたせいだと思いこんでいた。追い打ちをかけるようにマジックのトレンドがテーブルマジックに移行してしまうと、もはやどこからも全く声がかからなくなり、事実上廃業に追い込まれた。いや。チャンスはまだあったのかも知れないが、ハレルヤ斎藤の中で何かが終わってしまったのだった。

 2001年の冬、牧師だった父が亡くなり、ハレルヤ斎藤は宮崎の実家に戻った。放蕩息子の帰還である。名前も斎藤晴也に戻ってそのまま教会に住み着き、牧師の仕事を継ぐべく勉強を始めた。何度か無神経な雑誌の「あの人はいま」「一発屋伝説」といった特集に取り上げられたこともあったが、それすらもたいして話題にならないほどで、斎藤晴也はひっそりと勉強に専念して過ごした。2003年には正式に牧師になった。2004年の秋、地元の子どもたちと話していて彼らが雪を見たことがないと言うのを聞いてクリスマスに雪を降らせ、短い時間雪景色をつくった。もちろん誰にも言わずただ雪を降らせだけなので、それが斎藤晴也牧師の仕業だということを誰も知らない。

 それが楽しかったので、2005年の春には何度かにわたって桜が満開を迎えるようにした。しかしながらその結果といえば花見の宴会が長引き公園のゴミが増えただけだったので、これはもうやめようと思った。夏が近づき、子どもたちが虫取りに連れていってもらったことがないと聞いて、教会の裏手の山を虫取りのワンダーランドにしてみせた。たくさんの子どもたちが虫取りに夢中になり、「最近では珍しく山野を駆け回る子どもたちの声が聞こえる」と地元紙でも紹介された。

 そしていま斎藤牧師は今年のクリスマスは何をしようかと考えている。ホワイトクリスマスはもうやってしまった。トナカイのそりに乗って空を飛ぶサンタクロースを出現させるのも楽しそうだが、宮崎だけにサンタクロースが現れてもぴんと来ないだろう。雪だるまが行進したりしたらさすがに誰の仕業だってことになるだろうし、そうなると牧師としては困る。

 今日は火曜日。いつものように斎藤牧師は、教会に遊びに来た子どもたちを簡単なトリックでからかう。人生の全てが毎秒毎分、驚きに満ちている小さな子どもたちは、牧師のマジックをいちいち不思議がったりはしない。ただ、他の大人より面白い大人として牧師を面白がるだけだ。落としたはずの帽子を服のお腹のところから取り出されてけらけらと笑ったり、部屋の隅で万国旗たちが振り付けの練習をしているのを見て大はしゃぎしたり。どうして牧師と一緒にいると世界はこんなに面白いんだろう。子どもたちの笑いはそう物語っている。

 そうだ。不意に斎藤牧師は思い出す。どうして忘れていたんだろう? 笑わせるために始めたんじゃないか。小学生の時には給食の時間、友だちが持っている箸を一瞬で2本の鉛筆にかえて大受けした。中学校では背を向けて黒板に書いている先生の頭の寝癖の上に矢印を飛ばして教室中爆笑に巻き込んだ。ああそれがいい。笑えるマジックがいい。今年のクリスマスにはひとつ、みんなが笑って大はしゃぎして腹の底から愉快な気分になれるようなことをやってみようじゃないか。

 こうして放蕩息子は再度帰還する。そう。ハレルヤ斎藤が帰ってきたのだ。

(「ハレルヤ」ordered by みやた-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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