【お題23】サイコロ2007/12/19 22:57:46

「サイコロ」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「サイコロ」ordered by miho-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。



====================
◇ マジックナンバー7

「極めて論理的です」女探偵は人差し指をぴしりと立てると、言い放った。「児玉さん。曜日はいくつありますか?」
「曜日?」
「そう。曜日です。いくつありますか?」
「いくつって。7つってこと?」
「そうです」勢いよくうなずくと女探偵はせかせかと歩き回り始めた。「そう、7つです」

 私は椅子にかけたまま彼女を目で追い、考える。身のこなしはバレリーナを思わせる。細身ながら鍛え抜かれて優雅で、無駄がない。からだにぴたりと合った黒いスーツはダンサーの練習着のようにも見える。いまにも華麗なステップを見せてくれそうだ。

「7つ。それがなにか」
「マジックナンバーです」
「マジックナンバー」私は苦い薬を飲み込むような気分でその言葉を口にした。「7が? マジックナンバーなんですか?」
「そのとおり!」
「ラッキーナンバーじゃなくて?」
「マジックナンバ−ですよ児玉さん!」女探偵は近づいてきてぐっと顔を寄せてきた。そして私の顔にわざと息を吹きかけるようにして言う。「あなたはご存じのはずです。どうしてこれがマジックナンバーなのかを」

「わかりませんよ」美しい女の顔が至近距離に近づいてきたので内心動揺しつつ、答えるべきことはきちんと答える。話が飛躍しすぎだからだ。「わかるわけないじゃないですか」
「わかるわけないとおっしゃる。あなたが!」ためこんだ笑みを顎のあたりに漂わせながら女探偵は両手の指先を合わせる。透き通るように白く細長い形のいい指だ。その指先を顎の下に当てて話し続ける。まったく見飽きることのない女性だ。「記憶の名人のあなたが」
「どなたかとお間違えでしょう」
「いいえ。著書も拝読しました。ああなるほど」再び指をぴんと立て、女探偵は間をおく。「ご著書ではペンネームを使っておられるし、顔写真もない。でもだから違うと言われても困る。そういう子供だましはナシです」

 面白い女だ。私は興味が湧いてきた。まるで『古畑任三郎』か何かのキャラクターを演じているような話し方だ。これは本人の地なのか、それとも演技をひっぺがすと別な人格が顔を出すのか。
「人間が1度に記憶できるチャンクは7±2というんでしたっけ?」女探偵は私の考えなどお構いなしに続ける。「マジックナンバーは7というわけです。完璧な数字。世界を動かす原理」

「だから何なんです?」女探偵をしばらく眺めていたい気分になってきたのでもっと会話を続けることにする。「話がそこから進んでいませんよ」
「はい。問題はそこなんです」再び顔を近づけてきて女探偵が言う。ミント煙草を吸っているらしい。「あなたは発見した。世界を動かす原理を。完璧な装置を」
「それがどうしました?」
「この装置が最近機能していないから世界は前に進まなくなった」
「その装置が世界を前に進ませている?」
「そう。正確に言うと次の選択肢を選んでくれるのです」
「選択肢? ロールプレイングゲームのように?」
「そう。ただし人間界の選択肢より一つ多い選択肢の中から」
「何なんですそれは」
「正七面体の完全物質」
「そんな立体は存在しない」

「そんな立体は存在しない」女探偵は復唱する。「では犯行現場に残されていたこれは何でしょう?」
 そう言うとスーツの右ポケットに無造作に突っ込んでいた白いハンカチを取り出す。そんなはずはない。これはフェイントだ。私の動揺を引き起こそうとしているのだ。

「どうしました?」
「何を言っているのかさっぱりわかりませんよ」
「ではここで振ってみましょうか」
「振る?」私は頭を回転させる。そして会話の方向を変えることにする。「私を振るんですか? まだ口説いてもいないのに? ではまず口説きましょうか。あなたは美しい、あなたの目は」
「では振りましょう」相手にもせずに女は言って、ハンカチの中のものを右手にとるや手首のスナップを利かせ丸めた手の中でころころと転がし始めた。いけない! そんな使い方をしてはいけない!

「いけない!」私は叫んだ。「サイコロをそんな風に使っちゃいけない!」
 女探偵は手を止めずにちらっとこっちを見る。それからゆっくり手を止め、右のポケットにつっこむ。何も言わない。私も何も言わない。
 間があいた。
「サイコロ?」やっと女探偵は言った。「ひとことも言ってませんよ、私は。サイコロなんて」

 かくてわたしは女探偵にとらわれる。正七面体のサイコロを神から盗んだ不届き者として。まあいい。どうせとらわれるなら美しい女の方がいい。それに、世界を動かす原理なんかより、この女探偵の心の方がずっと盗み甲斐があるというものだ。『カリオストロの城』の銭形警部風に言えば、だが。

(「サイコロ」ordered by miho-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題24】キャベツ2007/12/20 08:32:52

「キャベツ」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「キャベツ」ordered by sachiko-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。



====================
◇ お出かけの日に

 夕方になっても彼が起きてこないのでわたしはカンカンになってひとりで出かける。だって今日は二人ともお休みなんだし、楽しいところに行って楽しいこといっぱいしようって約束していたのに、先輩に頼まれた仕事か何か知らないけど、三日前から帰ってこなくなって朝になって毎晩徹夜続きでへとへとだーって帰ってきてそのまま眠って声をかけても揺すぶっても殴っても蹴ってもお湯をかけても水をかけても寝耳に水をたらしても起きてこない。お出かけの日なのに。そんなのってあり? そんなのってなしだよ。

 1人でお酒飲みに行ってかっこいい男見つけて口説かれてやるんだ。とーってもかっこよかったらそのまま帰ってこないんだ。三日間ぐらい帰らないで楽しいことをいーっぱいしてやるんだ。

 でも1人でお酒を飲みに行く店を思いつかないので近所のよく知っているお店に入る。とんとんと地下に降りて空いているからどこにでも座れるけどカウンターだとマスターがいろいろ話しかけてきそうだし、そうするとどうして彼はいないんだとか電話かけて呼べばいいじゃないかとか一緒に飲んで仲直りすればいいとかもし呼んだら2人にカクテルをご馳走してやるとか言われるに決まっているから、店の隅の方の2人がけのテーブル席に座る。座ってからこれじゃあかっこいい男が入ってきても口説いてもらえないことに気づいてしまったけどどうせこのお店にはそんなにかっこいい男は入ってきた試しがないからまあいいやと思っていたらいつもの連中がだんだん集まってきて結局わたしもみんなのテーブルにまぜてもらう。

 わいわい飲んでいるうちにだんだん調子が出てきてなにしろここの連中は本当に本格的に絶対的にバカばっかりでバカばっかりやってきた話をバカ丸出しで話すから機嫌が悪かったのも忘れて大笑いする。わたしもとびっきりのバカ話をする。ついでに彼のバカ話もする。ものすごく働いているのに請求書を書くのが面倒だからというだけの理由でずーっと無収入で過ごしてあやうく餓死しそうになったこととか、酔っぱらって家に帰ってトイレに行くつもりでベランダに出てトイレに柵があるのはヘンだからといって乗り越えて2階の高さから駐車場に落ちたけど酔っぱらっていたから無傷だったこととか、約束の時間を守れたためしがないこととか、いるべき時にいるべき場所にいたためしがないこととか。

 そこまで話したときに彼が姿を現して、みんなが大歓迎する。わたしも大歓迎する。みんなで彼のバカっぷりをワイワイ話していると照れくさそうに笑って「これ差し入れ」とわたしに袋を渡す。期待して中をのぞいたら野菜が山ほど入っている。「すごくおいしそうだったから喜ぶと思って」と彼は本気で言う。

 いつもこうなんだ。これが彼のプレゼント。選んだ理由もズレてるし選んだものはもっとズレてる。何を考えているんだかしらないけど、何でもない日に「今日は何でもない日だから」なんてヘンなプレゼントをくれたりする。全然可愛くないストラップとか。気が滅入るような絵本とか。
「キャベツ頭!」とわたしは言う。彼は笑う。
 ばしばし叩きながらわたしは叫ぶ。このキャベツ頭! キャベツ頭! 痛い痛いと言いながら彼は笑う。ごめんごめんとあやまる。みんなが笑う。ひゅーひゅーと冷やかす。
 だからわたしはキャベツが好き。

(「キャベツ」ordered by sachiko-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題25】大晦日2007/12/21 00:08:45

「大晦日」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「大晦日」ordered by Dr.T-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。



====================
◇ オールスター・セッション

 聖ウラバンの年には大公妃が崩御され、翌・諸賢人の年には「たてがみの殿下」として民衆にも親しまれたド・ツイタルネン卿が急死し、さらに勇士リマワリーの年にはなんとセ皇子とイーモ皇女の兄妹が高熱からくるショック状態で幼い命を散らした。それが全てクリスマスの日のできごとだったのである。

 王国には呪いがかかっている。

 そういう噂をもはや消すことは不可能となっていた。近隣諸国は虎視眈々と侵略の機会をうかがい、戦乱を恐れた商人たちは店をたたみ国外への脱出をはかりはじめた。こうなるとサイヘルニア王国には暗雲がたれ込めた。何年にもわたって王宮には喪章が掲げられている。民心は離れている。経済的にも苦境に陥った。兵士に戦意はなく、元気なのは武器商人と棺桶屋だけである。

 デモッソの年のクリスマスの日、サンタルノ・オジサーノ伯爵は祈りを捧げた。

  暗き夜道は
  きらめける
  汝の刃先が
  役にたたん
  …………

 幸いなことにこの年には王宮内で誰も命を落とすことがなかった。誰が言ったか「死のクリスマスプレゼント」を配る黒いサンタは現れなかったのだ。安心した王は何かで祝うことにした。喪に服して押さえた色調にしていたカーテンを明るい派手な柄に変えた。しかもそれはリモコン操作でたちまち別な色の組み合わせにかわるからくり仕立てという代物だった。

 新年を迎える大饗宴が開かれるらしいという噂を聞きつけた人々は町の外からも押し寄せてきて、駅のホームはごったがえした。「張さん!」「ゴレンさん!」「鈴木さん!」「イブラヒムさん!」などと聞き慣れぬ名前で呼び交わす外国人の姿も数多く見受けられるようになった。芸術家のウツボ・ピカブロは「ご不在連絡票」という作品を発表し、黒のサンタが届け物をできなかったことを暗示した。惑星外からも火星の石が献上されるなどいやが上にも盛り上がり、レセプション・パーティーの会場は連日大賑わいである。子どもたちも浮かれ遊ぶので町の学習塾はすっかり廃墟のようになってしまった。歌手ケニー・ヒーライが歌う懐かしいメロディ「おじいちゃんの帽子」が町中に流れ、妖艶な美女の誘惑に骨抜きになった男たちが町にあふれた。喪に服した期間を埋め合わせるように彩り豊かな衣裳を身にまとった人々で町はまるでドライフルーツをぶちまけたように見えた。

 しかしそこにわずかながら影がしのびよっていたことに少数の者達は気づいていた。いかさま師のコッヅーレ・オーカミーが「財産を肥え太らせる」という触れ込みのブタの貯金箱を売り歩き、ハングルを思わせる不可思議な記号が町のあちらこちらに描かれはじめた。王宮からは生え抜きの兵士たちがごっそり姿を消し、見習い兵だけが取り残された。祭りに向けて盛り上がる「ハレルヤ!」という歓声も、ワールドカップを思わせる熱狂も、刻一刻と勢いを早めながら滝へと落下していく急流を思わせた。

 連日饗宴が繰り広げられ、もはや国中が曜日も日付もわからないような状態になっている。王宮の大広間には貴族たちが、王宮広場に用意された会場には民衆がつめかけ、いまかいまかと新年を迎える時を待っている。
「さあ、いまこそ数え始めるのじゃ」
 王が叫び、会衆が熱狂し、カウントダウンが始まった。これが天国と地獄の扉を開くとも知らずに。しかしサイコロは振られてしまった。「4! 3! 2! 1! ブラヴォー!」
 人々が叫んだ瞬間、彼女が叱りつける。
「このキャベツ頭。1日早いんだよ。まだ大晦日だってば」

(「大晦日」ordered by Dr.T-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題26】正月晴れ2007/12/24 23:59:35

「正月晴れ」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「正月晴れ」ordered by delphi-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。



====================
◇ 風の問題

 通りを歩くと冷たい風が正面からぶつかってきて息がつまりそうになる。かろうじて呼吸をして肺に流れ込んでくる空気は透明できりりとひきしまり身体を内側から洗い流してくれる。
 空は澄みわたり光満ちあふれ、わずかに浮かぶ雲の白も一点の濁りもなく輝くばかりだ。年末から年始にかけてこんな空を見ることができる。おれはそれを「正月晴れ」と呼んでいる。暮れでも正月晴れ、だ。旭川にいても仙台にいても清水にいても高松にいても佐賀にいても正月晴れだ。
 思えばいろいろな場所で正月を迎えてきた。仕事がらこれはもういかんともしがたい。風が吹けばその風に従い、町から町へとさすらうわけで、次の行き先は文字通り風に聞いてくれというわけだ。

 風を背にして声を張り上げる。
「えー。風博士〜風博士。風に関するお悩みご相談は風博士まで」
 おれの声は風に乗って町から町へと広がっていく。もっともどこの町に行っても風邪薬を売りに来たと思われて、なかなか本来の仕事の依頼はない。風博士という仕事があること自体、あまり知られていないらしく、聞けば『13歳のハローワーク』にも載っていなかったという。
 風の力を使わせてもらい、風が害をなすときにはこれをやわらげ、時には風と戯れる。夕べ訪れたこの町では一定した調子で強い風が吹き続けているので、これを使わない手はないと思い、動く玩具をつくり、音楽を演奏させてみた。風を受け風車がまわり、砂利の詰まったバケツがするすると引き揚げられる。帆に風をはらんだ陸上ヨットが走り回り、紙飛行機が滞空時間の記録を伸ばし続ける。

 でもどうしたわけかこの町の人は集まってこない。よそ者を避けているのだろうか。昼過ぎまでその場でひとり遊んでいたがどうにもらちがあかないので、せめて子どもが集まっているところを探しに行こうとしたその時、初老の男が一人近づいてきた。用心深く、値踏みする目でおれを見つめ、口を開く。
「風博士というのは風の玩具屋か」
「玩具も作るが風全般を扱っている」
「風を起こすのか}
「いやいや吹いている風を使わせてもらうだけだ」
「じゃあこの風を止めることはできないのか」
「風を止める?」どうしてそんなことをしなきゃいけないんだ?「この風を? 止めることはできないが吹いて欲しくない場所に吹かなくすることはできる」
「吹いて欲しくないところに……」男はその言葉の意味を確かめるように繰り返し、軽く首を振った。「だめだ。それではこの町は救えん」
「町を救う? もう少し詳しく聞かせてもらえんかね」

 男の話を簡単に要約するとこういうことだ。この風は毎時毎分毎秒24時間365日一定して吹き続け、おかげでこの町はどんどん吹き流されて移動し続け、元々は山の麓にあったのにどんどん浜の方に押し寄せられ、いよいよこの年末にも海の中に押し出されそうだというのだ。
「なんとまあ」なんとまあ、そんな話は聞いたことがない。「では風が町を押し流すのをとめなければならないわけだね」
「そうだ。というか」
「というか、何だ?」
「本当は、元のところまで戻して欲しい」
 なるほど。風博士としては腕のふるいどころだ。
「わかった。やってみよう」
 そういうわけで今年はこの町で正月を迎えることになりそうだ。
 お前たちは元気にしているか。そっちも正月晴れか。母さんによろしく伝えてくれ。よいお年を。

(「正月晴れ」ordered by delphi-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題27】色気とセクシー2007/12/25 00:00:37

「色気とセクシー」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「色気とセクシー」ordered by オネエ-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。



====================
◇ in the car

「ソウくんこんにちは! おじさんお邪魔しまーす」
「はいどうぞ。狭くてごめんね」
「それじゃあ今日はよろしくお願いします。メグミいい子にするのよ」
「はーい」
「では行ってきます」

 なんだ。母親は一緒に来ないのか。バリバリのキャリアウーマン風に決めた母親は娘を預けると行ってしまった。娘も母親に負けず劣らず華のある少女で、とても幼稚園児とは思えない存在感を放っている。顔立ちが整っているのはもちろんのこと、言葉づかいもしっかりしているし、態度もはっきりしていて気持ちがいい。それに何と言っても目に力がある。お仕着せのファッションで格好をつけているのではない、自然なオーラが出ているのだ。うちの息子がこんな子と仲良くしているというのが不思議だ。いいように利用されているんじゃあるまいな。

 サイドブレーキをはずして車を出す。後部座席では子どもたちが話し始める。
「じゃあ今日は何にする?」女の子が意気込んで言う。「むずかしいのがいい」
「そうだな」息子が少しためらうようにしてルームミラー越しにこっちの様子を見ている気がする。どういうことだ?「むずかしいっていうのはクイズっぽいってこと?」
「クイズっぽいって?」
「たとえば、カフェオレとカフェラテの違いは何かとか」
「じゃなくてー」女の子はあっけらかんと言う。「もっと何て言うの、アダルト?な感じの」

 アダルト? いまうちの息子の女友だちはアダルトと言ったのか?

「え? どういうこと?」息子の声が低くなり、ますますルームミラー越しにこっちを見ている。何なんだ。察するにいまからする話をおれに聞かれたくないと言うことだな。「あのさ、それってまた今度に……」
「色気とセクシーの違いは?」

 婆さんをひきそうになって、あわててブレーキを踏む。

「きゃっ!」女の子が叫び、息子にしがみつく。
「失礼」おれは車内の紳士淑女諸君にあやまる。「ばば……おばあさんが急に飛び出してきてね」
 後部座席が気になって婆さんに気がつかなかった。あぶない危ない。
「大丈夫ですよ、ソウくんのパパ」女の子は明るい声ではきはきと言う。そうか大丈夫だったか、良かった良かったと心が晴れ晴れしてくるような声だ。そのままの声で会話に戻る。「説明できる? 色気とセクシーの違い」
「ええー?」

 息子が答えようとしないのはわからないからではなくて、ここにおれがいるからに違いない。おれがいなければいつもこういう会話をしているのだ。おれの息子は。どういうことだ。いまの幼稚園児というのはどういうことになっているんだ? これは一般的な現象なのか、うちや、あのキャリアウーマンのようにシングルパパやシングルママの家において引き起こされる現象なのか。

「じゃあ。たとえば誰なら色気があって、誰ならセクシーかな」
「落語家で色気があるとかって言うよね」と息子。「あれが芸風の話だけど、セクシーな落語家って言うと単にプレイボーイって感じで」
「あ!あ!あ! ダメダメ、そういうので逃げちゃ。もっとストレートに、男女関係限定で行こうよ」

 男女関係限定で行くんだ。

「じゃあソウくんにとって誰なら色気があって誰ならセクシー? わたしは?」
「ええっ?」息子はものすごく困っている。おれだって困る。あんな聞かれ方したら。「ソウくんのパパはどう思います? わたしは色気がある? セクシー?」

 なんでおれに振るんだ?

「ははは。幼稚園ではいつもそんな話をしているの?」
「ねえソウくんはどう思うの?」

 シカトかよ。おれのセリフはシカトかよ。

「落語家の話じゃないけど、セクシーって言うのは性的に引きつけるってことだと思うんだ」息子までおれをシカトだ。「色気っていうのはそれに限定しない、愛嬌みたいなものも含むんじゃないかな」

 というかその深い議論は何なんだ。大人のおれにだってそんな会話はできないぞ。

「また逃げる。わたしはどうなの?」
「だからメグミちゃんはセクシー以前、色気少々って感じかな」

 なんてうまいことを言うんだ。おれにそのトーク術を教えてくれよ。

「なにそれ」不満なのかよ。すげえうまいこと言ったじゃん、おれの息子。「ねえ、ソウくんのパパ、うちのお母さんは色気がある? セクシー?」

 セクシー、かな。ってまともに考えてどうすんだよ。

「メグミちゃんのママはとっても魅力的だから、どっちもあるんじゃない?」
 メグミちゃんの口から伝わることを想定しておれは言葉を吟味する。
「ソウくんのパパは色気って言うよりちょっとセクシー、かな」
 幼稚園女子にセクシーだと言われておれはどうすればいいんだ?
「パパの話はいいよ」息子がはなはだ迷惑そうに言う。
「どうして? 大事な話じゃない! わたしのパパになるかも知れないんだから」

 えー? そうなのー?
 いけないまた婆さんをひいてしまう。
「ないよ。そんなの。パパはメグミちゃんのママが一緒に来るのかと思っておめかししてきたけど、メグミちゃんのママは全然そんな感じじゃなかったじゃない」
 そうだよなあ。あれっていつも幼稚園に送り迎えしているときに見る仕事のスーツだったよな。っていうか息子よ、お前はそんなことを観察していたのか。

 突然会話が途切れたことに気づく。どうしたんだ? ミラーをのぞくとメグミちゃんが歯を食いしばりながら涙をこらえていた。何だ? 何がどうしたんだ?
「わたしだって、パパが欲しい」

 うわっ。いきなりそう来るのかよ。くっそー。涙出て来ちゃったじゃないか。どうしたらいいんだ? 何なんだよ。何なんだよお前ら。おれにどうしろっていうんだ?
「大丈夫だって」息子が言う。「そのうちきっといいことがあるよ」
 出る幕なし。お父さんは裏方に徹します、はい。ああそれから。さっきの話の答、わかったよ。お前らだよ、色気とセクシーは。

(「色気とセクシー」ordered by オネエ-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題28】無意識の中の意識2007/12/25 00:01:32

「無意識の中の意識」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「無意識の中の意識」ordered by helloboy-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。



====================
◇ 観念論的水族館

 無意識という言葉が嫌いでね、それがすべての始まりでした。

 無意識という言葉を使う方は、意識を上等なものだと思っておられて、無意識をその下にある訳のわからないぐちゃぐちゃしたものだと考える傾向にあります。冗談じゃありません。言ってみれば意識なんてポケット版事典みたいなもんです。本体の事典は図書館まるごとを埋め尽くしてなおあふれ返り続けている。そんな感じ。本体の事典のことを「無ポケット版の事典」なんて言いますか、普通?

 ああ。違うなあ。これは違います。事典じゃ整然とし過ぎている。そうじゃない。

 無意識は、結局のところ、海です。海なのであります。無意識と呼ばれているものこそ豊穣な海であり、意識なんてその一部をすくいとった水族館に過ぎない。なるほど水族館は色々工夫が凝らされていて一日いても見飽きないけれども把握できないほどのものではありません。海は、何年何十年かけたってその全てを把握することは不可能です。生物の種類の多少のことだけを話しているのではありません。もっと圧倒的な差があるのです。早い話、水族館には海底火山はないし、海流もないし、海溝もない。それくらい違う。それくらい無意識と呼ばれるものは豊かで多面的で可能性に満ち満ちていて、対する意識は貧弱でぺらぺらでつじつま合わせに汲々としている。「無・意識」だなんて名前の付け方は、海のことを「無・水族館」と呼ぶようなものです。ああ。これの方が近い。

 海そのものはあまりにも巨大で要素が多くて扱いきれないから、扱いやすいところだけちょこちょこっとまとめて簡易版にしたものが水族館です。無意識と呼ばれるものがあまりにも巨大で要素が多くて扱いきれないから、扱いやすいところだけちょこちょこっとまとめて簡易版にしたものが意識です。だったら無意識という名前を変えてみたらどうでしょう。かろうじて手に負えるサイズの「簡易版の海」が水族館なら、かろうじて手に負えるサイズの「簡易版の無意識」が意識というわけです。

 でも、もうこの水族館が大きくなりすぎて扱いきれなくなっているからみんな海のことを持て余しているんですよね。水族館の中ですら行き迷っているのに海のことなんか考えていられるかってわけです。ということで、当水族館ではついに画期的な手法を発明しまして、この巨大化してしまった水族館をそのまま海の中に戻すことにしたのであります。

 入り口はこのようにちゃんとありまして、入館料もいただきます。最初のうちは浜辺の生物、岩場の生物、太平洋の生物、熱帯の海の生き物という具合に進んでいきますが深海の生物に行くあたりでそこはもう本物の海になっています。気がつくと建物もなくなっています。我々としては可能な限りガイドをつとめますがなにしろ相手が海ですからどこまでお客様の対応ができるかわかりません。

 というわけで入館料と一緒に保険料をちょこっといただきますので、こちらにご署名と入金をお願いいたします。本日は水族館「無意識の中の意識」オープン記念価格として特別定価でお届けしております。本物の海の醍醐味をどうぞ存分にお楽しみください。

(「無意識の中の意識」ordered by helloboy-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題29】恋2007/12/25 00:03:34

「恋」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「恋」ordered by aisha-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。



====================
◇ 手紙

 その手紙を見つけたのは、そこに住み始めてから半年ほども過ぎてからのことだった。前に住んでいたところがオーナーの事情で急に住めなくなって、あわてて見つけた家だったので、最初は色々と不満も多かったが、住めば都とはよく言ったもので住み始めると不思議となじんで、ひと月もたたないうちにもう何年も住んでいるような気持ちになる、少なくともぼくにとってはそんな家だった。

 古い一軒家で家賃は驚くほど安く、しかもいろいろな家具は据え付けで、二階の寝室など日本とは思えないような大きなウォークインクローゼットがついていた。そう。以前は外国人専用に貸し出していた建物だったらしい。築年数は半世紀に少し届かないというところで、当然のことながらあちこちにガタが来ていて立て付けも悪くなっているし、気候が涼しくなってくるとすきま風の多さを痛感させられることになる。家のオーナーは必要があれば修理費も出すし、自由にいじって構わないと言ってくれたので最初はもちろんそのつもりだったのだが、手つかずのままだ。住み始めるとそのままでいいかなと思わせられる、そんな完成された世界がここにはあるのだ。すきま風だらけで「完成」もないものだが、やはり迂闊に手を出せない確固とした世界観のようなものがこの家にはあり、これを受け入れた人はそのまま住むし、受け入れられなかったひとは出ていく。そんなシステムができあがっているようだった。

 実際、最初のうち部屋をシェアしていた同居人は住み始めて間もなく「悪いけれどおれは出ていく」と言って半月もたたないうちに出ていってしまった。ほとんど何の説明もなしに出し抜けにそう宣言したので、ぼくは自分に問題があったのかと思ったが、かろうじて聞き出せたのは「この家はおれには合わない」ということだけだった。霊感があって何か見えるのかと聞いたが笑ってそういうことではないと言う。修理費は出してもらえるみたいだから自分の居住スペースだけでもいじってみればどうかと提案したが、しばらく考えてから、無理だ、と言った。無理なことはお前にもわかるはずだ、と。

 一人で暮らすようになってからさすがに広すぎるし家賃の負担もバカにならないので、ルームシェアの相手は常時募集しているつもりなのだが、なかなか決まらなかった。友人たちに言わせると本気で探しているように見えないらしい。むしろ一人でいたいようにすら見えるとまで言われた。そんなつもりはないのだが、気がつくと確かにその家で過ごす一人の時間をぼくは結構気に入っていた。

 そんなある日、日差しがまぶしい秋の朝、急に思い立って部屋の大掃除を始め、お昼近くになって手紙を見つけた。

 ライティングテーブルの引き出しをひとつひとつ取りだして拭いていたら、その奥にひっそりと、それはあった。取りだして読むと英語で書かれた手紙で、辞書を引っぱり出して何とか読みとった限りでは、誰かに宛てて書かれたものの出されずに終わった手紙だった。確証はないけれど、恐らくそれは女性の手になるもので、恐らく思いを寄せる異性に向けて書かれたもので、恐らくそれは片思いで、恐らくこの家に住んでいた人だ。なぜなら手紙には「今日、2階の窓枠を明るいブルーに塗り直しました」と書いてあり、それはついさっきぼくが丹念に汚れを拭きながら「これは元々淡いブルーに塗られていたに違いない」と思った窓枠と一致するからだ。手紙の主はその他にも家のあちこちを描写していて、それらは歳月の分、古びてはいるものの驚くほど手紙のまま保存されてきたことがわかって、ぼくは少し興奮した。その女性の控え目で知的で思いやりに満ちた人柄が手紙からも建物からも伝わってくるようだった。

 夜になってその手紙をまた読み返しながらぼくは考えた。ジャック・フィニィの小説の登場人物なら、この手紙に返事を書いて、引き出しの同じ場所にしまうだろう。するとその手紙は彼女のところに届き、彼女からの返事がまた現れる……。ほとんどぼくはそうしようかと思ったが、それはやめにして、代わりにレコードを買い集めることにした。手紙が書かれた40年近く前のレコードを買い集め、この家で鳴らし、その響きを聞くことにした。その頃に読まれたであろう本を買い求めて読み(当然それはその時代以前に遡る)、古くからある銘柄の酒を手に入れて飲んでみた。ある時代を思い起こさせる写真や小物を買い込んで部屋に飾り、まめに掃除をするようになり、ルームシェアの募集をことさらに言わなくなった。

 いまもぼくは一枚のアルバムを聴きながらこれを書いている。以前なら聴こうと思わなかった種類のその音楽が、いまはとてもしっくりと耳に、身体になじむ。彼女はこの曲をこの部屋で聴いただろうか。レコードで、あるいはラジオで。そんな風にあれこれ考えながら、頭の片隅でこの気持ちは一体なんだろうとぼくは考える。生きていたらもういい年齢のおばあさんであろう彼女のことをこうしていろいろ考えるこの気持ちは。音楽の中でシンガーが歌う。ある朝目を覚ますとわたしは恋に落ちていた。そう。その通り。ある朝目をさますとぼくは恋に落ちていたんだ。

(「恋」ordered by aisha-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題30】門松2007/12/27 21:29:07

「門松」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「門松」ordered by 花おり-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




====================
◇ 門松を選ぶ

 父は何でも「元来日本では」と理屈をつけて、いろいろ奇妙なことをやっては「だからこれでいいんだ」と悦に入っていた。例えば長髪。わたしが子どものころ友だちの男親で髪の長い人なんて皆無だった。本人は「元来日本では男が髪を長くして結うのは当たり前のことだったのだ。床屋って言葉も髪結床から来ているんだ。散髪なんていって短くするのはたかだか明治以降の欧米かぶれの習慣に過ぎん」と意気揚々としていたが、時代的にはヒッピームーブメントのさなかだったので、まわりからは「年甲斐もなく若作りをしている」と思われていたようだ。わたしも弟もそれが恥ずかしくて仕方がなかった。

 それから何かというと太陰暦を持ち出すのも迷惑だった。睦月、如月、弥生といった言葉を使うので、小さいころわたしは1月、2月、といった月以外にも卯月とか神無月とかいう月があって、1年は20カ月くらいあるのだと本気で信じていた。おかげでひどい恥をかいたのでそのことでは真剣に父を恨んでいる。盆を旧盆にやるのはまだいいとして、正月も世間がみんなお正月の時には「元来日本ではまだ師走で」とか何とかまくし立ててろくに正月らしいことをせず、あげくに旧盆の時は自分が忙しいものだからやはりろくに正月らしいことをせず、でもそれがおかしいということに気づいたのはわたしがある程度大きくなってからで、確かわたしが小学校4年生の年にようやくうちにも当たり前の正月が来るようになった。わたしが文句を言ったせいもあるが、本人も正月らしいことがしたかったのではないかと思う。そうでなければなかなか自説を曲げるような人ではないからだ。

 ただこれもただではすまなかった。父の説によれば「元来日本では門松というものは常緑樹であれば何でも良かったのだ」ということで、信じられないことだがクリスマスツリーを門の前に飾り、それをそのまま正月まで立て続けて「これでいい」と言い張ったのだ。さすがにクリスマスを過ぎるとオーナメントこそはずしたものの、端から見ると、理屈がどうだろうと「片づけ忘れた家」「何かを間違えている家」以外の何物でもない。このことではわたしも弟も泣いてやめて欲しいとお願いしたのだが、父は頑として聞き入れなかった。これでいいのだの一点張りだった。これも後から考えれば、恐らく旧の正月を譲った分、何かで自分の主張を貫きたかったのだと思うが、家族はいい迷惑である。

 だから数年前の正月に実家に帰って、当たり前の門松が当たり前に飾られているのを見て、嫌味半分にクリスマスツリーを飾らないのかとからかってみた。すると父は真顔で「そんなことがあったはずはない」と言った。押し問答の結果、わかったのは「うちは旧の正月を祝うので、クリスマスからだと1カ月以上飾り続けることになってしまう」という理屈だった。その時初めて、父の記憶があやうくなり始めていることに気がついた。わたしが小学校4年生以降の記憶がどんどん失われていたのだ。

 やがて父はときどき自分がまだ40代や30代だと思いこむようになり、いくつかの問題を引き起こした。行動を規制されるようになってからは急激に体調を崩し、間もなく世を去ってしまった。死の直前には、母のことをその母親だと思いこむようになり、しばしば「ミツコはどこですか」と尋ねたそうだ。ときどきは「元来日本では」といいかけたものの話す内容を思いつかず、そのままになってしまうこともあったらしい。最期の言葉も「元来日本では」だったら話は面白いのだが、残念ながらそうではなく「ミツコさんをお嫁にいただけないでしょうか」という挨拶だったらしい。20代の頃、母の両親の元へ挨拶に来た日そのままの真剣な顔つきでそう言ったそうだ。母はそのことを少し嬉しそうに語った。

 年末に門松を買いに行って、シンプルな松だけのものや可愛いミニ門松や、いろいろ並んでいる花屋の店先を物色しながら、夫とどれにしようか話している時にふと「シンプルなのでいいんじゃない? もともと日本では常緑樹なら何でも良かったらしいから」と言って、はっとした。自分も父のようなことを言い出す年齢になったんだろうか? 小さいころは嫌でたまらなかったのに。と思っていたら夫が言った。
「いつも感心するけどさ、おまえってそういうこと、ホントよく知っているよなあ」
 どうやら知らないうちにいつも言っているらしい。次からは「元来日本では」と言ってみようかな。

(「門松」ordered by 花おり-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題31】あいうえお2007/12/27 21:30:25

「あいうえお」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「あいうえお」ordered by みやた-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。




====================
◇ (言葉の)レッスン

 あさはかな考えだと言われるなら反論のしようはないし、あさましい功名心だと言われても甘んじて受けるが、これだけは言っておきたい。謝らなければならないのは彼らであって私たちではない。あくまでも個人的な研究だったものを彼らが取り上げ、バランスを欠いた形で肥大化させてしまったのだ。悪夢はそのようにして始まり、いま終わろうとしているのだ。あどけない目をした私のペットはいまや世界中を恐怖に陥れてしまい抹殺されるのを待つばかりだ。合わせる顔がない。あまりにも無惨であまりにも理不尽で、そして自分があまりにも無力だったことが、ただくやまれる。

 一年前のある日、彼らは私の元を訪れた。いきなりの訪問を謝りながら、政府からやってきたと名乗る彼らの目的は私の飼っていた大型犬を引き取りたいというものだった。言うまでもなく家族同然のコロを手放す気はないと抵抗する私に彼らは言った。「違法な研究をされていることはおわかりでしょうね。遺伝子操作、動物虐待、そして動物に高度な知性を植え込もうとすることには、倫理的な面も含め問題はたくさんあります。いまのままではあなたを逮捕せねばならなくなりますが、ただし」慇懃な口調で彼らは言葉を続けた。「いい方法があります。この犬と研究のデータをそっくり引き渡してもらえれば、逮捕だなんて無粋な真似はしません」

 有無を言わせず私からペットを引き離し、研究室の全てのデータを奪い、彼らは去った。裏からも手を回し、どうにかしてコロを取り戻そうと試みたが、日本政府のどこにも彼らのような組織はないと言われて話は先に進まなくなった。嘘をついているのは誰なのか、彼らなのか、日本政府なのか。うやむやにされてはたまらないと八方手を尽くし、議員をしている友人にも掛け合ったが、もはやとりつく島もなかった。うろうろと少しでも関係のありそうなところを訪ね歩くだけで無為に時間が過ぎていった。胡散臭い連中からアプローチがあったのはそんなある日のことだった。

 笑顔で登場した女はかつて私の研究室で働いていた研究員だった。「閲覧権がありますからね、わたしはデータにいつでもアクセスできますし、もちろんコロちゃんの所在もわかっていますよ。栄養もたっぷり与えられて元気に賢く、いささか賢すぎいるほど賢く育っています」エジプトの古代の壁画から抜け出したような顔つきの女は続けた。「円なら1500万円、ドルなら10万ドルで連れ出してあげましょう」営業用の笑みの奥で笑わない目が私を見つめる。「越権行為かも知れませんがね、あなたのポケットマネーも調べがついています。エサ代には困らないくらい残りますよね?」

 愚かだったことに気づいたのはそのすぐ後だった。女は軍事用にトレーニングを受けたコロの本当の恐ろしさを知らず、奪還作戦中に喉笛を食い破られ死んでしまった。およそ人類が経験したことのない怪物と化したコロは脱走した千葉県から徐々に東京へと向かい、その道筋に人間も家畜も含め多くの死体を積み重ねていった。追いつめられた愛犬の映像を見て私が事態を悟ったのは、コロが脱走してから3日もたってからで、すでにコロは研究所からわずか数キロまで接近してきていた。大あわてで現場にたどり着いたときには、殺戮は終わろうとしていた。大勢の人間があるいは命を落とし、あるいは重傷を負い、その中程でコロはずたずたの毛皮の塊となって地面にへばりついていた。大声でわめきながら、周囲の制止を振り切って私はコロのそばに駆け寄った。尾がぱたりと動き、コロのつぶれていない方の目が私を見つめ、そして前足を動かして地面に書きつけ始めた。

   あいうえおあいうえおあ

 あを書いている途中で前足の動きが止まり、コロは死んだ。それは、トレーニングを始めたとき、私がいちばん最初にコロに教えようと試みた言葉だった。

(「あいうえお」ordered by みやた-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

【お題32】5円玉2007/12/28 11:29:26

「5円玉」と言う言葉がどこかに出てくる作品をお待ちしています。
タイトルに限らず、本文中のどこかに1回出てくればOKです。

作品の最後に
(「5円玉」ordered by tara-san/text by あなたのペンネーム)
とつけてください。これはお題を出した人への礼儀と言うことで。



====================
◇ お賽銭談義

 文化人類学だか比較宗教学だか知らないがそういうのを修めた女と結婚するとろくなことはない。例えば家族3人で近所の有名な寺に初詣に行くとしよう。するとこういうことになる。
「あれ。5円玉がないや。5円玉持ってる?」
「いいのよ1円でも10円でも100円でも」
「いやでもお賽銭は5円だろう」
「いくらでも変わんないって」
「んなこたないだろう。1円と500円じゃ500倍も違うし」
「だから同じなんだってば1円でも500円でも」
「同じって。わけわかんないし」
「それは頭が西欧文明型の価値観に毒されているからよ」
「頭が何に何されているって?」
 3歳になる娘は敷き詰められた石を拾っては投げて遊んでいる。
「西欧文明型の価値観に毒されているのよ」
 娘と一緒に石で遊んでいたい。
「毒されなかったらどうなるの」
「すべてのものが等価なものとして交換可能になるの」
「1円玉と500円玉が?」
「1より500の方が大きい、500より1の方が小さいなんてことをいちいち比べたりしない世界なのよ」
「いやそりゃ仏さんがそろばん勘定しているとは思わないけどさ」
「そういうことじゃなくて、仏教では一つの世界は無辺なる世界で無辺なる世界は一つの世界だから有限な数の多少なんて意味を持たないの」
「えっと……ムヘンって何だよ」
「広大無辺な世界。全世界よ」
「そりゃ全世界は一つだろうよ」
「じゃなくて、部分は全体で全体は部分だっていうこと」
「大丈夫かお前」
「だから」おれがふざけていると思って妻は苛立ち始める。おれはふざけているんじゃない。真剣に大丈夫か心配しているのだ。「有限の数字の大小にとらわれるのは西欧文明的な、一神教的に画一化された価値観の世界だって言ってるの」
「それはわかるけどさ。部分って言うのは全体の一部だから部分なんだろ? それが全体って言われても」
「部分を見れば全体がわかって、全体を見れば部分がわかるってことよ」
「1円玉を見ても500円玉のことはわかんないぜ」
「だからそこにはもう区別はないの!」
「区別がない? いやあるだろう。だって1円玉出して煙草くれって言っても売ってくんないぜ」
「だから貨幣経済も西欧文明的な……」
「ああわかったわかった。つまり仏教だから1円でも5円でもいいわけね」
「そう」
「じゃあ、0円でもいいってことかな。スマイル0円みたいなので」
「だめだめ。0円では関わりを持てないじゃない」
「カカワリヲモテナイ?……あそ。じゃあ1円でいくわ」
「最初からそう言ってるじゃない」
 はいはい。ため息をついて1円玉を投げ入れ手を合わせるおれの横で、妻は自分の財布を開けて2枚の5円玉を取りだして1つを娘ににぎらせる。
「あれ? なんだよ。自分は5円玉かよ」
「だってご縁があった方がいいんだもん」
「ええー?」
 二人がお賽銭を投げ入れる。
「ご縁がありますように」
「ごえんがあいまふようい」
 なんだよそれー。文化人類学だが比較宗教学だか知らないがそういうのを修めた女と結婚すると本当にろくなことはない。

(「5円玉」ordered by tara-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)